2013年5月29日
私は、子供の頃から地図を見るのが好きだった。田舎に住んでいて近隣の町にしか出たことが無かったせいもあるだろうが、教科書の地図帳を見ながら、行ってみたこともない土地への空想旅行を楽しんだものである。インターネットは勿論ないし、テレビ放送も始まったばかりの時代でしかも観る時間も極限られていたから、見知らぬ土地に関する情報は、地図や図書館で借りて読む本、そしてラジオからの情報が殆ど全てであった。お陰で、想像力というか空想力は人並み以上に磨かれた、と言っていい。
やがて中学、高校と進むにつれ、使う地図帳はより詳細に、そしてカラフルになって、我が日本の国土の狭さと平地の少なさ、これらに比べて異常なほど長い海岸線を改めて実感させられたものだった。そんな興味もあって、大学受験の際に社会の選択科目として「地理」を選択したのは、言うまでもない。そして、大学受験の忙しい時でさえ、地図を見ながら、複雑な形をした海岸線や珍しい地名にワクワクし、勉強そっちのけで名所・珍名探しに没頭したこともある。その頃からの「見知らぬ土地へ行ってみたい」という願望が高じて、旅行好きになったのかもしれない。そういう訳で、地図は、小さな頃から今までもずっと身近な存在である。
そんな地図が、昔に比べると随分一般的なものになって来ている。カーナビやスマートフォンなどという便利な道具のお蔭だ。ちょっと前まで「地図が読めない」と揶揄されることが多かった女性も、“若い人を中心に”ではあるが、今では極普通に使いこなしている。紙から電子媒体に姿は変えたものの、これらの便利道具を上手く使いこなせば、旅程でも旅先でも最早迷うことはなくなった。本当に便利なったものである。ただ、そこに使われているのは昔と変わらずやはり“地図”であり、そして、器具や方法は変わったものの、“測量”という地道な作業が昔から営々と続けられているのである。
日本における測量と言えば、直ぐに名前が浮かぶのは伊能忠敬であろう。確かに、測量機械もコンピューターも人材も、兎に角あらゆる物がナイナイ尽くしの時代に成し遂げた彼の業績は、歴史の中で燦然と輝いている。そして、その輝きがまるで合図になったように、江戸末期の彼の時代から明治維新を経て、近代国家へと歩みを進めるのに合わせ、日本の測量技術も近代化への動きを速めることになる。そんな、日本における地図の黎明期にスポットを当てた、興味深い本がある。元国土地理院職員の山岡光治著「地図をつくった男たち 明治の地図の物語」(原書房)である。
最近、竹島や尖閣諸島に関して、韓国や中国との間で領有権問題が起きているが、本来、国家という組織が存在する限り、国家は、国民の生命・財産を守り、領土を守り、国土を保全しなければならない。そのためには、正確な国土の地図を作製しなければいけない。そして、国土を有効利用するためにも、計画的なインフラ整備をするためにも、統一した方法や基準で国土を表すことが必要なのである。明治の為政者も当然、その必要性を認識していたのに違いない。そして、地図作成に情熱を燃やしていた幕末から明治にかけての技術者たちも、為政者たち以上にその必要性を肌で感じ取っていた筈である。著者の山岡は、その辺りのところを、激動の時代に地図作成に関わった人物たちを登場させることにより、克明に描いている。
江戸から明治へ、鎖国から開国へ、そして富国強兵へと一気に突き進む時代の流れの中で、若き技術者たちは、ある者は海外に行って最新の技術を学び、ある者は雇われ外国人技術者から学び、日本地図編纂への情熱を傾けて行く。そこにある苦難は、カーナビやスマートフォンなどで地図を利用するだけの一般人にとって、多分信じ難いものであろう。今でも、縁の下の力持ちが脚光を浴びないのと同じなのかもしれない。ただ、本書を読めば、いかに多くの先人の苦労があり、その後も営々と続けられている測量作業があればこそ便利な地図が利用できる、ということが少しでも理解できるのではないかと思っている。
もうそろそろ入梅の便りが北上し始めている。外に出ることが億劫になる、そんな梅雨の夜に手に取っていただきたい本である。そして、地図を目にしたときに、先人たちの偉業と苦労を思い出してもらえれば、著者の本書に託した思いはほとんど達成された、と言っていいのではないだろうか。
ところで、皆さんは、6月3日が「測量の日」だということをご存知だろうか。1949年(昭和24年)――奇しくも私が生まれた年――の6月3日に「測量法」が公布されたのだが、この日を記念して、1989年(平成元年、昭和64年)、当時の建設省(現国土交通省)が「測量の日」と定めたのが始まりだ。定めたことは定めたのだが、一般の人にとっては、全くと言って良いほど馴染みが無い。家族に聞いても、全員が「知らない」という。測量・地図への幅広い理解と関心を深めてもらうことを目的としているが、その効果のほどは疑わしい。記念日の制定もさることながら、地道な作業を続けてきた歴史にこそ光を当て、当時の道具を使っての地図作りを、そして国家・国民にとっての地図の重要性を子供に学ばせる、そんな実地教育が教育課程に必要な気がする。さすれば、「地図が読めない」と揶揄される女子は少なくなるではないだろうか。勿論、国土に関する関心も高まる筈である。
【文責:知取気亭主人】

|
「地図をつくった男たち −明治の地図の物語−」
【著者】 山岡 光治
【出版社】 原書房
【発行年月】 2012/12/20
【ISBN】 9784562048700
【サイズ】 B6判
【ページ】 272ページ
【本体価格】 \2,520(税込)
|
|