2013年7月31日
皆さんは、「WTO」という団体をご存じだろうか。多分、「WTO」と聞いて直ぐに思い浮かぶのは、「世界貿易機関(World Trade Organization)」だろう。しかし、今回話題として登場させるのは、残念ながらその「WTO」ではない。「WTO」は「WTO」でも、「世界トイレ機関(World Toilet Organization)」という、何ともユニークな名前の団体だ。そう、毎日お世話になっている、あのトイレに関する団体である。恐らく、一般の人には殆ど知られていないと思う。私もつい先日知ったばかりだ。実はこの「世界トイレ機関」、決して“おふざけの組織”ではない。2001年に創設された、シンガポールに本部を置く民間の非営利団体で、至って真面目に、「世界のトイレ施設と公衆衛生の改善」を主張しているのだという。しかも、その活動が国連まで動かした、というから凄い。
7月24日、国連総会は、この「世界トイレ機関」の活動を後押しするため、同団体の設立日である11月9日を「世界トイレの日」とすることを、全会一致で決議したという。世界人口の凡そ40%に当たる約25億人が十分なトイレ設備を利用できないでおり、毎年180万人が赤痢で死亡しているという。そのうちの多くは5歳以下の子供だというから、トイレ施設の充実は、途上国にとって最重要課題の一つでもあるのだ。
確かに、日本でも、トイレ施設の充実と共に、赤痢という病名を聞かなくなって来た。汲み取り式のボットントイレが多く、糞尿を田畑の肥料として使っていた昭和の半ば頃までは、夏になると、赤痢や疫痢の病名を良く聞いたものである。しかし、水洗トイレがほぼ全国に普及した今では、ほとんど聞かなくなった。今の若い人にとってはそれが“あたり前”になっているが、日本のトイレ事情の歴史や途上国の現状を知れば、自分達が如何に恵まれているか、が分かる筈である。そこで、私の経験した幾つかのトイレ事情を紹介してみたい。
小学校に入る前(昭和20年代)の我が家や両親の実家のトイレは、(多分)汲み取り作業の利便性と悪臭を考慮して、家の外に離れて在った。それが決して特別ではなく、当時の田舎ではごく普通の情景だった。しかも、便壺の上に木の板を二枚渡しただけの簡単な造りで、渡してある板は簡単に動き、囲いも極めて風通しが良かった。そんなこともあってか、母の話だと、飼っていた山羊が落ちたこともあるという。
昭和30年に入ると流石に“家の外”という事は減ってきたが、それでも私が育った町に水洗トイレが登場するのは、まだ先の事だ。私が初めて日常的に水洗トイレを使える様になったのは、昭和40年代半ばに大学の寮に入った時で、それまでは殆どがボットン式であった。以後昭和50年代までの田舎では、旅館や民宿でさえ、水洗式は少なかった。それでも、汲み取り式ながら水洗が出て来たり、合併処理槽式が普及したり、更に地方都市でも下水道が整備され始めたりして、昭和も60年代に入ると、私が利用させてもらったトイレの殆どは水洗になって行った。ただ、今主流のウォシュレットが一般的になるのは、平成に入ってからの事だ。ところが、そんなトイレ進化とは無縁の、遥か昔にタイムスリップしてしまったのではないか、と錯覚してしまう驚きの体験をした場所がある。ネパールの田舎だ。
昭和59年に、約4ヶ月間、ネパールで仕事をしたことがある。首都のカトマンズから車で数時間内陸に入った田舎で生活したのだが、地元の人達の、余りに貧しい暮らしぶりに驚かされてしまった。当時の日本では既に当たり前にあった、電気、上水道、トイレが無いのだ。それに比べると有難いことに、私の宿舎には、電気も水道も、そして水洗トイレもあった。ただ、雨が降ると忽ち水道の水は濁り、泥水色になる。聞けば、小さな沢を堰き止め、そこからホースで引いただけの簡易水道で、日本の簡易水道の様な濾過施設はないという。したがって、“水洗トイレ”と言ってもその処理方法は“推して知るべし”だ。
そんな極貧の地域にある現場で地元の人達が沢山働いていたのだが、仕事が進みにつれ、現場の至る所で異臭がするようになって来た。トイレがない彼らが、現場で用を足しているのだ。容器に入った僅かばかりの水でお尻を洗い、紙を使う習慣のない事もあって、見た目には目立たないのだが、臭いで直ぐにそれと分かる。持ってくる昼食用の弁当は、コメやトウモロコシの干したものを水で飲みこむだけの、極めて質素な食事だが、食べれば滓は出る。出れば…、となる訳である。
こういった人間や放し飼いの山羊などの糞は、雨水に溶け、地下に浸透したり、沢に流れ出たりして、水を汚染する。そういった類の水とは知らず、蛇口から出る水で歯を磨いていたのが悪かったのか、滞在期間の半分近くを下痢で悩まされることになる。その上、帰国してから原因不明の病気に罹り、40日ほど入院する羽目に陥ってしまった。トイレの有難さ、大切さ、保健衛生の重要性を、身を持って教えられた貴重な体験だ。
そして、そんな彼らの暮らしぶりを見るにつけ、「衛生的な水を安定的に得るためにも、環境負荷の少ないトイレが必要だ」との思いを強くしたのは、必然の成り行きだろう。そんな思いもあって、その後体験したのが、オガクズを利用した“バイオトイレ”だ。このトイレの優れたところは、水を流さない上に、残滓を肥料として再利用できるところだ。環境負荷は、撹拌機のモーターを動かす電気位なもので、極めて少ない。全くの無臭という訳にいかないが、臭いも気にならない。世界遺産に登録された富士山にも設置されているようだが、山には打って付けのトイレだ。勿論、水が貴重な国や地域にもお勧めだ。
生きている間は必ずお世話になるトイレ。「世界トイレの日」はまだ先だが、富士山のトイレ事情がクローズアップされている今この時に、トイレマナーも含め、トイレの在り方を見つめ直してみるのも良い機会なのかもしれない。
【文責:知取気亭主人】
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やっぱりトイレでしましょうよ! |
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