いさぼうネット
賛助会員一覧
こんにちはゲストさん

登録情報変更(パスワード再発行)

  • rss配信いさぼうネット更新情報はこちら
知取気亭主人の四方山話
 

『遠州大念仏の精神』

 

2013年8月21日

今月の13日、静岡県西部の町、遠州森町に住む親戚で初盆があり、珍しい郷土芸能を見せてもらった。浜松市を中心とする遠州地方に伝わる、「遠州大念仏」という、お盆ならではの風習だ。昔は近隣の村々で盛んに行われていたらしいが、田舎の伝統文化はどこも同じ運命らしく、最近では結構珍しくなったと聞く。私が見たのも、随分前に矢張り親戚の初盆で見たのに今回を加え、たったの2回だ。

「大念仏」と聞くと、お坊さん達が一堂に会しお経を大合唱する、といった事を想像しがちだが、そんなイメージとはちょっと違う。「遠州大念仏」は、浜松市の無形民俗文化財に指定されていて、保存会に所属する愛好家たちが演ずるもので、お坊さん達とは特に関係がない。したがって、どこの宗派とも関係が無いらしい。「死者の霊を弔う」という意味ではお坊さん達と同じだが、今では伝統芸能の色合いが濃くなっているようだ。調べたところによると、保存会には約70の組が活動していて、初盆を迎えた家(施主)から依頼されると、その家まで出向いて、庭先で大念仏を演じる仕組みになっているらしい。

初盆の儀式が終わった18時半過ぎ、バスに乗った一行が到着した。施主の依頼を受けた隣組の代表が迎えに行くと、羽織を着た二人を先頭に、総勢30人ほどにもなる演者達が、前庭に入って来た。横笛・太鼓・(直径1m程もあろうかという大きな)鉦(かね)・歌い手など総勢30人ほどの団体だ。御旗の様な綺麗な飾り付けを2旗、初盆の祭壇横に置くと、大念仏が始まった。太鼓の踊り手の中には、若い女性も交じっている。そして、念仏との取り合わせが何とも妙だが、いろんな演目があるらしく、2時間ほど続く踊りの中で“阿亀(おかめ)”と“ひょっとこ”も登場して、見事な踊りを披露してくれた。

  
お盆の祭壇は右手前にある。陣幕を張った奥の建物は納屋。

基本的には、笛と太鼓、鉦を打ち鳴らし、歌や合いの手などで賑やかに、そして勇ましく踊る。演目と演目の間には、隊列を組み直すのだが、その時地面に置かれた太鼓を見て、ある事に気が付いた。全ての太鼓に徳川家の家紋である“三葉葵”が描かれているのだ。不思議に思って声に出すと、隣に座っていた長老の従兄弟が、この大念仏が始まった謂れを丁寧に説明してくれた。それに依れば、謂れはこうだ。

始まりは、440年ほど前までさかのぼる。徳川家康が武田信玄と戦った「三方原の戦い(1572年12月)」、この合戦で亡くなった武田勢の霊を慰める為に始まったのだという。家康の居城である浜松城近く攻め込んできた武田勢を撃退するために、「犀ヶ崖」と呼ばれる渓谷(浜松城の北側約1qにある)に布で目くらましの橋を架け、橋と思って突進してきた軍勢は悉く崖下に落ち大勢の兵士が亡くなった、という伝承があるらしい。この時亡くなった兵士の供養として始まったのが「遠州大念仏」と言う訳だ。

“怨霊思想”が根底にあってのことかもしれないのだが、敵の供養の為とは、如何にも日本的で心が洗われる。現在も、「犀ヶ崖」では、7月15日に三方原の戦いで亡くなった兵士達の供養として、「遠州大念仏」が行われているという。440年以上経った今でも供養して呉れているとは、亡くなった人達も浮かばれるというものである。それを考えると、毎年8月15日になるとニュースに上る靖国神社の精神は如何なものか、と毎年のことながら疑問を感じてしまう。

A級戦犯の合祀問題や政経分離問題など、靖国神社が話題に上る背景には色々な難しい問題があるからだが、そういった難しい問題はさて置いて、以前から、神として祀られている戦没者達の選別に違和感を覚えているのだ。尤も、「国家のために戦争で殉じた人は神になる」との発想そのものにも違和感を覚えるのだが…。

靖国神社は、幕末から明治維新かけての動乱期に始まり、日清、日露や太平洋戦争などの戦いで亡くなった軍人や軍属などを祀った神社であることは良く知られている。ところが、尤もな事なのかも知れないのだが、敵とみなした戦没者は祀られていない。排除されてしまっているのだ。戊辰戦争や西南戦争関係者では、政府側のみが合祀されていて、今NHKの大河ドラマ「八重の桜」の舞台となった会津藩の藩士達も、倒幕の旗頭の一人だった西郷隆盛も祀られていない。特に、西郷隆盛などは、江戸城の無血開城に大きな役割を果たした筈なのに、である。

そんな考え方に比べると、「遠州大念仏の敵味方の無い供養」というものに何となく安堵感を覚えるのは、恐らく私だけではないだろう。国家の為に殉じた人を国家が供養するのは当然の事だとは思う。しかし、市井の人個人の主義主張とは関係のないところで戦争は起こり、自らの意思とは関係なくそこに駆り出されて亡くなった人々に死んでからも敵味方が付いて回るとは、「慈悲が無い」と思えてしまうのだが…。

(合掌)

【文責:知取気亭主人】

  
睡蓮

Copyright(C) 2002- ISABOU.NET All rights reserved.