2013年12月18日
人は誰しも、自分が中学・高校生の頃には「早く大人になりたい!」と思い、大人になって子供が生まれ、その子が高校生になる頃になると、子供の気持ちが理解できている訳でもないのに、「早く独立してくれないかな」と願う。ところが、願いは叶ってみたものの、この歳になると、ふとした時に、当時思ってもみなかった一抹の寂しさを感じるようになってくる。子供が巣立っていくこと自体もそうだし、周りから一人、また一人と去って行くからなのだろう。特に、「二度と会えない」となると、寂しさは一層深い。
“人の定め”ではあるが、還暦を迎えた辺りから、私の回りで鬼籍に入る人が増えてきた。特に今年は多く、指折り数えてみると、両手に余る人達が亡くなっている。同級生もいればその親もいるし、仕事関係の人達もいる。勿論、親戚も例外ではない。我々自身がそろそろそういった年齢に差し掛かっていることもあるのだが、我々の親世代は必然的に殆ど80歳を超えていて、暑さの厳しい夏場やグンと冷え込む冬場になると、体力のない高齢者には堪えるらしい。昔から、寒暖の厳しい季節に亡くなる高齢者は多い。
そういった事もあって、親戚でも、今年おばさん二人が鬼籍に入った。共に、父方のおばさん達だ。この二人のおばさんには、私が子供の頃に大変お世話になった。特に、父にとって兄嫁に当たる伯母さんは、ほんの一時だが、私を預かり、育ての親になってもくれた恩人だ。大袈裟な言い方をすれば、今私があるのも、ある意味彼女のお蔭でもある。そこで、私の家族以外は全く興味のない話だとは思うが、伯母さんの思い出話、というか私の思い出話を記し、墓碑銘として残しておきたい。
伯母さんは、満98歳、数えの100歳で、先月末亡くなった。ある意味、大往生だ。従兄弟の話だと、兎に角、元気で働き者だったという。嫁ぎ先である父の実家は静岡県でお茶農家をしているのだが、100歳に手が届く高齢になっても、亡くなる直前まで畑仕事をしていたらしい。今年の茶摘みの時にも、摘んだ茶葉を入れる大きな竹篭を背負い率先して働いていた、というから驚いてしまう。従兄弟やその奥さんから伯母さんの飛び切り元気な様子は毎年聞いていて、その度に驚かされていたのだが…。
伯母さんは、私より13歳上の長兄を頭に三男三女をもうけ、戦中戦後の物の無い時代を生き抜いてきた。終戦前後の混乱した時代の生活は、田舎暮らしだったとは言え、今の若い人達には想像もできない位に大変だったと思う。しかも、伯父さん夫婦に祖父、そして6人の子供を加えた9人の大所帯だったのだから尚更だろう。そんな大変な状況の中に、父が病に倒れ亡くなるまでの数か月間、幼い私が預けられた。
預けられたのが幾つの頃だったか、ハッキリとした記憶はない。父の顔さえ覚えていないのだから仕方がない事ではあるのだが、私とは別々に母の実家に預けられた3歳上の姉に聞いても、「確か、私(姉)が小学校に入る前だったと思うけど…」といった曖昧な記憶しか無いという。母の妹に聞いても、同じような答えしか返ってこない。母に聞いておけば良かったのだが、言葉を発しない今となってはもう遅い。また、伯母さんにしても、聞くチャンスを逸してしまった。
ただ、姉達の曖昧な話と私の僅かな記憶を総合すると、どうやら、私が預けられたのは3歳から4歳にかけての数か月間だったらしい。今の孫娘が3歳と3ヶ月だから、似たような年齢で、多分、まだ幼児言葉が抜けきらなかった頃だったと思う。そう考えると、記憶が断片的にしか無くても仕方がないことだ、と諦めもつく。
丁度その頃、伯母さんの家には、16歳(多分)の長男を頭に私より1つか2つ年下の末っ子まで、食べ盛り、いたずら盛りの子供達がワンサカいた。そこに、もう一人目が離せない幼児が加わったのだから、伯母さんは大変だっただろうなと思う。私も入れると10人もの食事の世話をしなければいけないのだから、調理は勿論の事、多量の食材調達も大変だったに違いない。加えて、チョッと目を離すと何処へでも行く私の行動も、恐らく心配の種だっただろう、と今更ながら恐縮している。
私は外で遊ぶのが大層好きだったらしい。従兄弟の話だと、迎えに来てくれるであろう母を探していたのか、兎に角、良く高い所に登って、遠くを見ていたという。誰に連れられたのか(平屋建ての)屋根に登ったり、庭の隅にある百日紅の木に登ったりしていると、祖父に大きな声で叱られたものだが、伯母さんにも「危ないよ!」と注意された記憶がかすかに残っている。そんな僅かな記憶も、今となっては懐かしい。
父が亡くなった後も、小学校の低学年までは、良く泊りがけで遊びに行っていた。その度に、大変お世話になった。当時は遊ぶことに夢中で、伯母さん達の苦労など及びもつかなかったが、この歳になって、孫に恵まれ、孫を育てる長男夫婦を見ていて、あの当時の伯母さんの大変さが良く分かるようになった。同時に、幼子を残して逝く父の口惜しさ、残された母の悲しみと苦労、それらを汲み取って世話してくれた伯母さん達の優しさ、そういったものが心に染み入るようになって来た。この年齢になってやっと、とは恥ずかしい限りだが、伯母さんが生きている時に言えなかった「有難う」を、この場を借りて言いたい。
伯母さん、有難うございました。安らかにお眠り下さい。 【合掌】
【文責:知取気亭主人】
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日本海に沈む夕日
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