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知取気亭主人の四方山話
 

『威信』

 

2014年4月9日

今、日本を代表する組織の「威信」が揺らいでいる。理化学研究所然り、検察庁然りである。国語辞典に依れば、「威信」とは「威光と信望。威厳と信頼」とある。また「威光」は「自然に人を従わせるような、おかしがたい力」とあり、その「おかしがたい力」に加えて、他人から信用されて人望が厚いことも、「威信」には必要な要素となっている。国を代表する組織であれば、そのどちらも備わっている必要があるのは、至極当然のことだろう。しかし、最近新聞やテレビを賑わしているニュースを聞いていると、その“当然のこと”がこの国では大きく揺らいでいる、と思えて仕方がない。

我が国の理化学分野でトップレベルの組織である理化学研究所も、法曹界の権力組織である検察庁も、「威光」に関しては疑う余地がない。特に、検察庁については、世間一般ばかりでなく、多分、職員そのものもそのことを意識していると思われる。それ程、どちらの組織も庶民からは遠い存在であるし、十分な、と言うよりむしろ近寄りがたい「威光」を放っていると言っても良い。ところが、最近耳目を賑わしている出来事で、備わっていなければならないもうひとつの「信望」や「信頼」が極めて怪しくなって来ているのではないか、と感じている。それは、私ばかりではないだろう。尤も、こと検察庁に関して言えば、厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長村木厚子氏が虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた事件で、一度大きく信用を失墜しているから、既に「信望」は失われていたのかもしれないのだが…。

理化学研究所の威信を揺るがしている出来事とは、皆さん知っての通り、“世紀の発見”と言われた「STAP細胞」に関する一連の騒動である。2月にこの四方山話でも取り上げた事もあり、事の推移を注意深く見守っているところだが、捏造疑惑まで持ちあがっていて、「STAP細胞」の存在そのものも疑問視され始めている。報道を聞いていると、理化学研究所の論文審査がかなり杜撰であることが分かる。それも後出しじゃんけんの様に、後から後から出て来る。仕事のやり方や内容については性善説に立ち研究員の自己責任に任せているのかもしれないが、少なくとも研究成果の妥当性を自分達の組織では事前にチェックできず、外部からの指摘で綻びが明らかになる様では、我が国トップレベルの組織としては頂けない。

今回のこの騒動は、つい2か月ほど前「世紀の大発見」として世界を駆け巡った生命科学分野の大ニュースだっただけに、日本の研究者達は勿論だが、世界の研究者達をも唖然とさせてしまっている。理化学研究所は、今回の問題が自分達の研究所だけにとどまらず、日本の信頼そのものを揺るがしかねない由々しき問題であることを十分認識して、今後の対応をしっかり取らなければならない。勿論、今回の問題ばかりでなく、他の研究に関しても自己チェックが機能不全に陥らないような仕組み造りも忘れてはならない。

一方、検察庁の「威信」を揺るがしているのは、こちらも皆さんご存知の、「袴田事件」の再審開始判決と、その判決を出した静岡地方裁判所の「捜査機関による証拠の捏造疑惑」判断である。「犯人が犯行時に着ていたとされる、パジャマに付いていた血痕のDNA鑑定の結果、袴田死刑囚のものと違っていた」とか、「事件発生1年2ヶ月後に味噌樽タンクの中から見つかったとされ、パジャマに替えて新たに証拠として提出された血染めの衣類の、弁護側の再現実験と比べると不自然なほど鮮やかな点と、ズボンのサイズが袴田氏には穿くことさえできないほど小さい」など、素人が聞いても、「袴田死刑囚は犯人ではない」と思わせるのに十分な証拠が揃っているように見える。

しかし、検察は、この判決を不服として即時抗告した。弁護側が、検察の提出した証拠の数々の矛盾点を明らかにしたにも拘らず、である。どうやら、この判決そのものもそうだが、「証拠の捏造疑惑判断」が検察の「威信」をいたく傷つけた、ということらしい。でも、我々庶民からすると、検察にとっては「信望」を得る事よりも「威光」を保つことの方が大事、と映ってしまう。検察が「信望」を取り戻すには、検察が不利になるような証拠も洗いざらい出して、一から審理を尽くすことしかない。

ところで、この事件は何故「袴田事件」と呼ばれているのだろうか。どうして、事件のあらましを表す、例えば「みそ会社専務一家殺人事件」ではないのだろうか。死刑が確定した後も無罪と冤罪を叫び、再審請求を続けていた特殊な事件だったからなのだろうか。元被告の個人名が付けられているのはどうしてなのだろう。警察が名付けたのか、それとも検察が付けたのか、或いは報道関係がそう呼び始めたのかは知る由もないのだが、ずっと違和感があった。勿論、今もある。「袴田元被告が犯人にでっち上げられた事件」というのであれば得心も行くのだが…。

上記二つの報道が熱を帯びていたのと同じ頃、高血圧治療薬の臨床研究で不正行為があった製薬会社ノバルティス社のスイス本社社長の記者会見が行われた。その席で、社長は「不正行為が行われた背景には、患者より医師を優先するという日本特有の慣行があった」と指摘したとされているが、この記事を読んで直ぐ頭に浮かんだのは、「袴田事件」で検察が行った即時抗告である。「国民の公正な裁判を受ける権利より自分達の威光を優先する」という内向きな理論と、どうしても重なってしまうのだ。

検察は、再審の場に堂々と立つべきである。また、全ての証拠を明らかにするなど、公正な裁判が行われるよう、最大限の努力をしなければならない。そうしなければ、検察への「信望」を取り戻すことは、極めて難しい。

【文責:知取気亭主人】

  
椿

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