2014年4月30日
人間誰しも、考え事をしていたり、逆に何も考えずにボケーとしたりしていると、失敗を仕出かす事がよくある。私もご多分に漏れずで、その手の失敗は枚挙にいとまがない。いとまがないのではあるが、これまで仕出かしたのは大火傷をするほどの大失敗ではないから、特に反省をするでもなく、何と無く“まあ良いか”としている。それがいけなかったのか、少々気になり始めている事がある。人様には内緒にしているのだが、“ついうっかり”が年々増えてきている、と感じているのだ。先日も、高速道路でちょっとした失敗をやらかしてしまった。車で静岡に向かった時のことだ。
高速道路を使って金沢から静岡・名古屋方面に行くには、大きく分けて二つのルートがある。第一は、私が「米原ルート」と呼んでいるもので、北陸自動車道で米原に向かい、米原ジャンクション(以後、JCTと記す)で名神高速道路に乗り換え、そのまま東名高速道路へと続く東名・名神高速道路を利用するルートである。もう一つは、「小矢部ルート」と名付けているもので、北陸自動車道を米原とは逆の富山方面に向かい、富山県に入って直ぐにある小矢部JCTで東海北陸自動車道に乗り換え、最終的に東名に出て静岡・名古屋へと向かうルートである。東海北陸自動車道は日本列島を南北に横断していて、大半が山岳部を通っていることもあり、大体、冬は「米原ルート」を、春から秋にかけては両ルート半々ぐらいで利用している。
当日は4月も半ばを過ぎていたこともあり、「もう雪もないだろうし、凍結もしてないだろう」ということで、久し振りに「小矢部ルート」を行くことにした。米原ルートに比べて交通量が少なく、比較的“のんびり気分”で運転できる点を重視しての選択だ。ただ、今になって考えると、このルートを通るのが去年の秋以来久々だったことも、“ついうっかり”を仕出かした原因の一つかもしれない。
森本インターで北陸自動車道に乗り、富山方面に車を走らせた。通勤時間帯が始まる前だという事もあって、車はまだ少ない。そこで、乗って直ぐに、通勤時の車の中でもやっている、ハンドグリップを使っての握力を鍛える運動をし始めた。また、これもいつものことだが、NHKラジオを聴きながらの運転だ。そして、暫くすると、お決まりの、“宝くじに当たったらどうしようか”等というあらぬ妄想をあれこれし始めた。特段自慢する内容でもないが、これらの行動パターンは、長距離運転をする時のいつもと何ら変わらない。そして、多くの場合、何事もなく目的地に着ける。ところが、今回は違った。妄想が余程楽しかったのか、逆に妄想も何もなく脳ミソがただ休憩していただけかは定かでないが、小矢部JCTで“ついうっかり”が出てしまったのだ。
快調に走らせていた。ところが、ふと気が付くと、走行車線を走っている筈なのに、不思議な事に左手に車が見える。しかも、暫く併走した後、急に左旋回し遠ざかって行く。何と、東海北陸自動車道に乗ろうとしている車だ。しまった、と思った時にはもう遅い。静岡に行くにはここで曲がらなければいけないのに、その小矢部JCTを見過ごし、北陸自動車道をそのまま直進してしまったのだ。口惜しさ紛れに、「そうか、こんな時Uターンすると、高速道路逆走事件になるのだな。俺はやらんぞ!」と粋がってみても、後の祭りだ。もうこうなれば、そのまま次の砺波インターまで行くしかない。癪に障ったが、仕方がない。無駄な時間に加え無駄なカネまで使うことになるが、高速道路を一旦出て入り直す、という正規な方法でUターンすることにした。
Uターンしながら、「何でJCTに気が付かなかったのだろう?」と考えてみた。考えているうちに、1年程前にも高速道路で似た様な失敗を仕出かしたことを思い出した。矢張り、今回と同じ静岡へ出張した時のことだ。今回は “JCT見逃し事件”だったが、1年程前の失敗は、同じ“ついうっかり”でも“進入路取り違え事件”で、森本インターに入って直ぐに起こしてしまった。
森本インターの料金ゲートをくぐった地点で認識できる空間位置は、右手が富山方面、左手が福井方面となる。ところが、本線への進入路は“右手が福井方面”で“左手が富山方面”と逆になっていて、このため、富山と福井の位置関係をよく理解している人ほど間違えやすい。私も、以前間違えそうになったことがあって、いつも道路標識を確認しながら進入していた。ところがその日に限って、標識を確認することなく、認識している空間位置そのままに、右手の進入路を進んでしまったのだ。進入路の大きなカーブを過ぎ本線が見えた時、行こうとしていた富山方面ではなく、福井方面に侵入してしまった事にやっと気が付いた。しかし、時既に遅し、である。
どちらの方向に進んでも、距離も時間もそう大して変わらず目的地に着ける事を知っていたので、Uターンはせずそのまま走ることにしたが、初めて使うインターでもないのに、何故間違えたのだろうか。結局、「ボケーとしていた」という事に尽きるのだろうか。必死に当時を思い出してみても、何か考え事をしていて、という事ではなさそうなのだ。尤も、覚えているのが間違えた事だけであるため、状況を思い出そうにも思い出せないのが、実際のところではある。
“ついうっかり”は、誰しも経験している事である。しかし、その原因が「ボケーとしていた」で片づけられてしまうと、何やら不安になってくる。ボケーとしている時間の脳ミソの働き具合が心配なのだ。まさか、完全休憩状態、ではないと思うのだが…。
【文責:知取気亭主人】
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ヤマモモ
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