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知取気亭主人の四方山話
 

『当たり前の有難さ』

 

2014年10月22日

今の日本では、余程の事が無い限り、当たり前の様に雨露がしのげる建物の中で生活することが出来、当たり前の様に温かい布団の中で眠る事が出来る。蛇口から出て来る水はそのまま飲めるし、夜になれば明るい電灯の下で本を読む事も出来、しかも停電することは殆ど無い。こういった国民生活における基本的な利便性を国民全てが享受できている国は、世界を見渡してもそんなに多くはない。それどころか、極めて少ないのだと思う。また、日本の公共交通機関は、時間の正確さに掛けては世界一だとのお墨付きが付くくらい、時刻表通りに運行されている。でも、我々はそれらを当たり前の事だと思っていて、日頃から感謝して生活している人は殆どいない。我々が享受している利便性が“世界の中では当たり前ではない”ことに、全くと言って良い程気付いていないからだ。

そういった“当たり前の有難さ”に気付くのは、それまで享受していた利便性が突然途切れた時だ。発展途上国に行って現地での生活を余儀なくされた時だとか、災害などで自らが被災したり生活インフラが被災したりした時などに、その有難さをしみじみと感じるのである。ただ、そういった非日常でなくても、日々の生活の中で有難さを感じる事がたまにある。例えば、日頃使っている電化製品や自動車などが故障した時などだ。そういった身近な物が突然動かなくなると、途端に困ってしまい、以前と同じ様な生活が出来ず不便を感じることになる。我が家でも、つい最近、つくづく“当たり前の有難さ”を感じる出来事があった。

先々週の金曜日(10日)、我が家の住宅設備の一つが故障した。設備の故障は、今までも無かったわけではない。家を建ててから20年も経つと、色んなところが順番に痛んできていて、その度に往生している。電化製品だけを取ってみても、10年過ぎた辺りから次々と壊れ始め、まず洗濯機、続いてエアコン、次に風呂と給湯に使っている灯油ボイラー、そしてウォシュレット、今年に入ると何と居間の電灯が壊れた。蛍光灯ランプを止めているプラスチックのフックが劣化して次々と折れてしまい、とうとうランプを止められなくなってしまったのだ。

「これでもう暫くないだろう」と思っていたら、10日の金曜日、10年ほど前に取り替えた筈の灯油ボイラーが、また壊れてしまった。いつもは自動的に止まる水位で、止まらなくなってしまったのだ。「湯張りが終わったよ」という通知音が一向に鳴らないので見に行くと、お湯が湯船から勢いよく溢れ出ている。そして、電源スイッチを切っても、溢れ出るのが止まらない。何回か、電源の「オン」「オフ」を繰り返したのだが、矢張り止まらない。「このままではダメだ」と判断し、ボイラー横にある水道のバルブを閉め、やっと溢れ出るのが止まった。そして急いで、メーカーに電話を入れた。

表示されているエラーメッセージを伝え、部品の交換ができるか尋ねると、思わぬ返事が返ってきた。「お客様の商品は10年以上前の製品ですので部品はありません」、そして決定的だったのは、「当社はもう灯油ボイラーは製造していません」との冷たい返事だ。もう打つ手はない。結局、新しいボイラーに買い替えることにしたのだが、故障したのが三連休(10月11日〜13日)前日の金曜日、しかも夜だったこともあり、見積もり依頼をしたのが11日の土曜日になってしまった。それから連休を挟んで火曜日に現場を見てもらい、次に見積もりが出て、あれやこれやと時間が掛かり、結局「毎日風呂に入れる」という“当たり前だった生活”に戻るまで、凡そ1週間に亘る不便な生活を送ることになってしまった。

話は飛ぶが、アフリカ大陸など日々の生活水にも不自由している乾燥地域では、“水汲み”が子供や女性の最も過酷な労働だという。貴重な水をこぼさずに長い距離を運ぶのは、確かに、大人の男性でもきつい。そして重い。そんな重労働には足元にも及ばないが、今回の灯油ボイラー騒動で、ほんの僅かばかり、水汲みの大変さの一端を味わうことになる。

ボイラーの故障で、風呂も沸かせなければ、シャワーも出ない。普通に考えれば、風呂には入れない。一般常識に満ち溢れている(?)私は、直ぐに銭湯行が頭に浮かんだ。ところが次女は違った。「外に出るのは面倒だから、何とか我が家の風呂に入る」と決め込んだらしく、「銭湯に行こう!」と誘うのだが乗ってこない。結局、私が折れ、足し湯をして我が家の風呂に入る事にした。

湯船の底にある程度水を溜めた後、ガスと電気ポットで沸かしたお湯を注ぎ足し、適温、適量になるまで運ぶのだ。水汲みならぬお湯汲みだ。運びながら昔タライで行水をしていた頃を思い出したが、タライと湯船では大きさが違う。我が家で一番目と二番目に大きな鍋二つと、4リットルの電気ポット1台、計3個を使って注ぎ足しても、見た目には僅かしか増えない。結局、これを複数回繰り返さなければ、お尻を浸す程度にしかならない。3個で1回に運べるお湯の量は15リットル程か。これを、凡そ1週間、少ない日で4回、多い日で5回運び、何とか我が家の風呂に入ることが出来た。ただし、男の私は、なるべくお湯を使わない様にと、頭以外は水しか出ないシャワーで済ませての話だが…。

ところで、今回のお湯汲み、どれ位の時間が掛かったか分かるだろうか。驚くなかれ、約1時間強も掛かっているのだ。15℃前後の水から沸騰するまで沸かすのだから、冷静に考えれば仕方がない事なのだが、壊れた古い灯油ボイラーでも、凡そ30分もすればもっと多くのお湯を張ってくれた。スイッチを押しておけば、他の事をしていてもお風呂が沸いて、しかも知らせてくれた。それくらいの事当たり前だと思っていたが、その当たり前の事が如何に有り難いか、今回改めて思い知らされた次第である。そう思うと、命に係わる大事でなければ、たまにはこんな体験をするのも必要なことなのかもしれない。

【文責:知取気亭主人】

  
ガマズミ
 

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