2014年11月26日
何年振りかで生の舞台を観た。イヤイヤ、演劇という意味では、息子夫婦が6、7年前に仲間と共に演じてくれた、町内会の催し物以来だ。もっとしみったれた言い方をすれば、お金を払って演劇を観たのは、男性ばかりのバレエ団(確かグランディーババレエ団)の舞台以来だから、かれこれ二十年近く経つかもしれない。何度かコンサートなどは観に行った、というか聴きにいった事はあるのだが、観劇となると記憶に残っているのは至って少ない。大都市と違い、金沢などの地方にいると地元での公演は限られていて観に行くチャンスそのものが少ないからだが、今回は、たまたま会社の仲間に劇団に所属している者がいて、「久し振りに出演するから是非に」とお誘いを受け観に行くことにした。
演題は、「飛龍伝」である。舞台好きな人にはお分かりの事と思うが、あの「つかこうへい」の手による劇である。ネットで調べると、これまで結構著名な俳優陣も演じていて、かなり人気を博している舞台らしい。70年安保闘争を舞台に、学生運動の代名詞だった全共闘の委員長に祭り上げられた女性闘士と機動隊員との恋を扱っていて、団塊の世代以前の人達には、懐かしい思いを抱かせるテーマだ。また、私の様に、ヒロインの「神林美智子」という名前を聞いて、「60年安保闘争で亡くなった東大生の樺美智子さんを捩ったな」と思うのは、同じ時代を生きた証なのかもしれない。
舞台となっている70年安保闘争も、その前の60年安保闘争も、日米安全保障条約(以後、安保条約と記す)締結に関わる、時の政府に対する反対運動だ。ややもすると学生運動ばかりがクローズアップされるが、野党も労働組合もが参加した社会現象と言っても良い程、日本全体を騒動に巻き込んだ反対運動であった。思い起こすと、私が大学に入学したのが1968年だったから、正に70年安保闘争の真っ只中に飛び込んでいった事になる。
私が入った寮は、入寮する少し前に二つの寮が統合されて造られたもので、今京都大学で名前の挙がっている中核派の闘士もいれば、革マル派の活動家も、そして民青(民主青年同盟)も、また旧制高校のバンカラ風土を受け継ぐ猛者もいる、という混合所帯であった。そんな混合所帯であったことや新しい寮であったことに加え、安保条約締結後の10年の期限を迎える1970年が間近に迫っていることもあって、入寮以来連日の様に寮生大会が開かれていた。高校時代を田舎でノホホンと過ごしていた私にとって、怒号が飛び交い、寮の自治は勿論、政治にまで議論を戦わせる寮生大会は、カルチャーショックであったし、新鮮でもあったし、何より大人の仲間入りを実感させてくれるものであった。
当然ながら、先輩方のオルグ(organizeの略で、組織への勧誘行為)も活発で、我々新入寮生は、それぞれの派から何回となくオルグを受けることになる。私は、一時同室となった先輩が革マル派の活動家だったことや、出身高校が近くだった先輩に中核派の闘士がいたりしたこともあり、同じ新入寮生に比べ、アタックは頻繁だった
。ただ、決して学生運動に無関心だった訳では無いが、家からの仕送りも無い貧乏学生だったこともあってアルバイトに忙しく、たまにデモに参加することはあったものの、闘士となって学生運動にのめり込むことは無かった。
しかし、アメリカでのベトナム戦争に反対する学生運動の大きなうねりもあって、日本における学生運動は、70年に向かい徐々に激しくなって行った。入学した翌年には、私が通う大学もついに学校封鎖の事態に陥ることになる。この様に、学生運動は全国の大学で激しさを増し、やがて一部の高校にも飛び火していった。私が通った隣町の高校も、激しい運動で全国的に名を馳せることになる。また、伝え聞いたところに依れば、私の同級生でも浪人中に東大闘争に参加していたのがいるらしく、結果的に自らの志望校の入試を中止させてしまった、という笑えない話もある。そう、東大では、1968年から1969年に掛けて大学紛争が激化し、1969年の入学試験が中止に追い込まれてしまったのだ。その彼は、結局一橋に進学することになったのだが…。
いずれにしても、当時の若者は、それだけ政治――時の権力者と言った方が感覚的に合っているかも知れない――に対して真剣に向き合っていた様な気がする。勿論、持て余すエネルギーのはけ口を学生運動に求めたり、ある種流行の最先端として学生運動に参加していたりした者達も、少なからずいたとは思う。しかし、例えそうであっても、運動に多少なりとも関わった学生は政治に無関心ではなかったことだけは間違いない、と思っている。
翻って、今の学生達はどうだろうか。一時期の就職難ということもあってか、大企業志向や安定志向が強く、政治に向き合うよりは職を得ることに全精力を費やしているように見える。我々親の世代の責任なのかもしれない。しかし、そういった安定志向にならざるを得ない日本の現状を変えるには、もっと政治に目を向け、学生の、若者のエネルギーを、政策に反映できるように働きかけるべきだと思うのだが、一向にそんな気配はない。
それに比べると、“民主化への道が遠のく”という危惧もあってか、香港の学生達は違う。自らの主張を持ち、時の権力者に立ち向かっている。あの学生達の活動を見ていて、ある種の羨ましさを覚えたのは私だけだろうか。勿論、40年以上前の当時を懐かしく思い出したからでは無い。自分達の主張を訴え、何とか通したい、という切実な思いが伝わってきたからだ。武力闘争を肯定するつもりは毛頭ない。しかし、自らの意見を主張する前から諦めてしまう様では、未来を切り開くことは難しい。是非、日本の学生にも、香港学生の行動力を見習ってほしいものだ。「飛龍伝」を観劇しながら、そんな思いを抱いた次第である。
【文責:知取気亭主人】
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