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知取気亭主人の四方山話
 

『県盗り物語』

 

2018年8月15日

司馬遼太郎の小説に、NHKの大河ドラマにもなった『国盗り物語』というがある。舞台は、今から凡そ470年ほど前の戦国時代だ。一介の油売りから美濃の国の一国一城になった斎藤道三と、その道三の娘の帰蝶(濃姫)をめとり天下布武を推し進めた織田信長を描いた本である。時は弱肉強食の戦国時代、次々と領地を拡大していく彼らの姿を、司馬は「国盗り…」と名付けた訳だが、言い得て妙である。そんな絶妙な言い回しをちょっと拝借させていただいて、今回のタイトルを「県盗り物語」とした。そう、今回は隣り合う県の土地を争奪した(?)、奇怪な話である。

“争奪した”と言っても、恐らく、戦国時代の様に血を血で洗う争いがあった訳ではないと思う。ただ、地図帳をよく見ると、普通では有り得ない形の県境があるのだ。そんな珍しい県境があることを教えてくれたのは、以前“ヤマタノオロチ伝説” の自説(どんな説かは、第730話『神代の昔も今と同じ…』を参照されたい)を熱っぽく語ってくれた、(一般社団法人)砂防フロンティア整備推進機構理事長の亀江幸二氏である。ネタ不足を愚痴っていた私の窮状を見かねて、救いの手を差し伸べてくれた、という訳である。

氏は登山が趣味で、既に百名山は踏破し、今は2百名山征服を目指しているという健脚家である。そうした山登りの過程で、これから紹介する摩訶不思議な県境に出会ったのだろう。そうでなければ、地図帳を眺めているだけでは、県境の不思議な形など、県境オタクか地図オタクでない限り気が付かない。私も高校時代から地理好きではあったが、こんな奇妙な形をした県境には殆ど気付かなかった。恐らく、高校で地理を学んでいても、気付く人はほんの僅かだろう。それほど常識はずれなのだ。さて、前置きはこれ位にして、これから不思議な形の県境を南から紹介しよう。紹介するのは、私が感心した3箇所である。

紀伊半島の南端付近に、和歌山・三重・奈良の三つの県の境が集まる場所、いわゆる“三県境”がある。普通であれば“三県境”は1箇所のみであるが、地図帳でここをよく見ると、奇妙きてれつな県境になっているため、都合5箇所もあることに気付く。原因は、和歌山県の“飛び地”が2箇所もあるからだ。三重県と奈良県、この2県だけが接している筈の境界に割って入るように、和歌山県の北山村が丸々存在し、海沿いに中心街が位置する和歌山県新宮市の飛び地(旧・熊野川町)が挟まれているのだ。

どうしてこうなったかをネットで調べてみると、意外とシンプルなものであった。北山村のホームページ(https://www.vill.kitayama.wakayama.jp/about/)にも書かれているが、いろいろなサイトをまとめると次のような概要になる。両飛び地とも古くから吉野杉の産地として林業が盛んで、切り出した木は熊野川の水運を利用して運ばれていた。そのため、熊野川の河口に発達した新宮市との経済的な結びつきが強く、廃藩置県の時に「新宮市が和歌山県に入るのだったらオラ達も和歌山県に入りたい」と希望して、あえて飛び地を選んだらしい。平成の大合併の時も、三重県に編入するチャンスがあったらしいが、住民は川を通しての結びつきが弱まった車社会の今も、歴史的な絆を重視したという。良い話である。

では、2番目の奇妙奇天烈県境に行こう。次も“三県境”で、山形県と新潟県、そして福島県の県境が交わる場所だ。県境の多くは“山頂などの分水嶺”や“大きな川”などを利用しているのだが、この“三県境”は分水嶺である。因みに、先の飛び地付近は、熊野川を県境としている。さて、山形・新潟・福島の3県からなる“三県境”は、亀江氏が最も熱っぽく語ってくれた県境で、「盲腸県境」としてその道の人には知られているらしい。通常であれば山形県と新潟県の県境しかない尾根筋に、細長い福島県が延々7キロ半余りも入り込んでいるのだ。その幅、狭いところでは1メートルにも満たないという。

どうしてこうなったのか、持っている地図帳だけでは分からなかったので、20万分の一の地勢図を買い求め、詳しく見てみた。すると、この奇妙な形の「盲腸県境」は、山岳信仰上の理由であることが透けて見えてくる。と言うのも、福島県の西北端にそびえる三国岳からその盲腸県境を5キロほどたどると、同県境における最高峰飯豊山(2105m)の山頂付近に「飯豊山神社」があるのだ。この神社や参道の帰属を福島県と新潟県が争った結果が、今のへんてこな形の県境になったのだろう。そんな私の推理が当たっていることは、「山いろいろ」というブログ(https://yamayama.at.webry.info/200806/article_1.html)を読んでいただければ納得してもらえると思う。しかし、信仰心が県境まで動かしてしまうとは、何とも凄い!

最後に紹介するのは、秋田県と山形県の県境である。亀江氏に『秋田県の最高峰は?』と問われてあれこれと考えていると、『鳥海山と思いがちだが、実は鳥海山の山頂は秋田県にはない』と言う。若い頃、秋田県側の鳥海山の麓、由利本荘市矢島で仕事をしたことがあって、鳥海山は秋田のシンボル、と教えられていただけに氏の発言には正直驚いた。鳥海山の山頂はそっくり山形県側に入っていて、可哀そうなことに県境は秋田県側の山腹を通っているのだという。

帰ってきて、早速地図帳を見てみた。秋田・山形の県境は、内陸にある秋田・山形・宮城の“三県境”から分水嶺を県境として日本海に向かって行くのだが、氏の言う通り、鳥海山のところで急に山頂を避けるように凸型になっていて、明らかに異様な形をしている。地勢図を見ると、鳥海山山頂付近に「大物忌神社」があって、不思議な形の理由は、先ほどと同じ様に山岳信仰だということが見て取れる。果たして、「鳥海山の山頂論争」なるブログに依れば(https://www.city.yurihonjo.lg.jp/yashima/kinenkan/chokaisan01.htm)、今の形は修験道の主導権争いの結果だったらしい。神への信仰だというのに、いかにも俗世的なところが、何となく救われる。

それにしても、県境にもいろいろな理由があるものである。紹介した3箇所以外にも珍しい県境はまだある。実際の県境が動くわけではないが、毎年10月の第4日曜日に静岡・長野の県境をかけて、県境の“兵越峠”で行われる「峠の国盗り綱引き合戦」では、毎年県境が移動するというユニークな所もある。信州軍(長野県飯田市南信濃)と遠州軍(静岡県浜松市水窪町)と称し、両市の商工会青年部の精鋭が対戦し、勝った方が1メートル県境を相手方に移動できる、という村おこし行事だ。始まりは1987年(昭和62年)だというから、もう30年も地元の人たちは楽しんでいることになる。こうした冗談も含め、県境は夏休みの宿題テーマとしても面白いと思う。夏休みの宿題そっちのけで遊んでいたお父さんやお母さん、その血をしっかりと受け継いでいるかもしれないお子さん(?)に、そっとアドバイスしてみては如何だろう。上手くすれば株が上がるかも…。

【文責:知取気亭主人】

三県境ならぬ三種類の花のツルが絡まり合っている
三県境ならぬ三種類の花のツルが絡まり合っている

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