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知取気亭主人の四方山話
 

『心のよりどころ』

 

2019年4月24日

現地時間の15日夕方(日本時間の16日未明)、パリ中心部にある世界遺産のノートルダム寺院(大聖堂)から出火し、尖塔や屋根の大部分が焼失した。世界的に有名な寺院であるだけに、尖塔が焼け落ちる衝撃的な映像は、インターネットを介し瞬く間に世界に広まった。ただ、私自身が日本以外の世界遺産に疎い事もあって、今回の火災に関する報道を見聞きして初めて、同寺院が、フランスを代表する歴史的建物であるばかりでなく、多くのフランス人の“心のよりどころ”でもあることを知った。

フランスに行ったことがない私には、ノートルダム寺院と聞いても、昔観た映画「ノートルダムのせむし男」しか思い浮かばないのだが、同寺院は観光資源としてばかりでなく、カトリック教徒にとってのシンボルだという。17日の日本経済新聞(以下、日経)や北陸中日新聞の朝刊には「私たちキリスト教徒の心、フランスの心が燃えている」と嘆くフランス人観光客の言葉が紹介されていたが、そこまで言わしめるとは、如何に同寺院が国民やキリスト教徒に慕われ、尊敬を集めていたかが分かる。凄い事である。

そうしたフランス人の“心のよりどころ”であることを如実に示す行動が、世界を驚かせている。再建に向けて、翌日には早くも巨額の寄付の申し出があったのだ。日経に依れば、グッチなどを持つ会社の筆頭株主が1億ユーロ(日本円で約125億円)、ルイヴィトンと同社株を持つ一家が2億ユーロの寄付を発表した、とある。そして、寄付は仏国内ばかりでなく海外からも表明が相次いでいて、「AFP通信によると、16日現在で少なくとも計8億ユーロ(約1千億円)に上る」というネットニュースもある。金額もさることながら、その素早さにも驚かされる。「たかが」と言っては失礼だが、一つの寺院の再建に向けての寄付だというのにこの額、意思表明の早さである。私たち日本人にそんなことができるだろうか。

未曽有の大災害であった8年前の東日本大震災(2011年3月11日)、あの時の寄付に関する報道を覚えているだろうか。ソフトバンクの孫正義社長が個人で100億円寄付し、台湾からの義援金が200億円を超えたなどが話題となったが、2012年2月13日付きの日経のネットニュース(https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08029_T10C12A2CR8000/)に依れば、発災から約11ヶ月で凡そ4400億円の寄付があったという。恐らくその後も増えているのだと思う。素直に、凄い額だと思う。

しかし、二つの災害を比べると、被害の額がけた違いなのは明らかだ。それを考えると、今回の火災に対する義援金の凄さが、より際立ってくる。そしてその凄さの理由は、ノートルダム寺院がフランス人やキリスト教徒にとっての“心のよりどころ”であった、ということに尽きるのだろう。フランス人の信仰心の厚さや、キリスト教徒(この場合はカトリック教徒というべきか)の敬虔さを、改めて垣間見たような気がする。翻って、日本人に同じような“心のよりどころ”はあるのだろうか。どうも怪しい。

新渡戸稲造は、ベルギーの法学家から問われた「宗教教育のないという日本で、どうやって道徳教育を授けるのか」に答える形で、『武士道』(矢内原忠雄訳、岩波文庫、1938)を著した。1899年(明治32年)のことである。新渡戸は武士道に道徳教育の一端を見つけたのだろうが、残念ながら、今もって“日本人の心のよりどころ”には成り得ていない。それまでの日本社会を考えれば、仏教、或いは神道に答えを見出しそうなものなのにそうしていない。思うに、武士道に答えを見出そうとしたのは、自身が武士の家系であったことや、キリスト教に帰依していたことなども影響しているのだろうと思う。

一方、我が身を振り返ってみると、「悪いことをすると地獄に落ちる」とか、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」とか、「托鉢のお坊様にはお布施をしなさい」などと言った仏教の教えが、鮮明な記憶として残っている。物心ついたころから小学校の中学年ごろまでに、お寺に飾られた地獄絵を見せられて教えられたからだ。本来これが、新渡戸が問われた道徳教育の一つではなかっただろうか。ところが今は、日本人にとってお寺はすっかり縁遠くなってしまった。したがって、私が受けたような教えを耳にすることは殆どない。

4月8日はお釈迦様の生まれた日を祝う「花まつり」だ。私の小さなころには、小さな仏像に甘茶を掛け、同じ甘茶をいただいたものだが、余程信心深い仏教徒でない限り、またそうした行事を行う宗派の檀家でない限り、たとえ家に仏壇があったとしてもそんな行事があることさえ知らないと思う。降誕祭(生まれた日ではないらしいが)としてクリスマスを盛大に祝うキリスト教とはえらい違いである。人々の“心のよりどころ”に成り得なかった宗教と成り得た宗教の違い、と言い切ってしまうには何とも寂しい気がする。

というのも、イギリス人作家のアーサー・C・クラークが、『海底牧場』(高橋泰邦訳、ハヤカワ書房、1977)でこんなことを書いているからだ。「哲理であって宗教ではない仏教は、他の宗教と違い啓示に依らないため、他の大宗教が衰退していく中でも勢いを増している」と。仏教徒としては嬉しい事を書いてくれているのだが、出版から40余年経った今、少なくとも日本に於いては、彼の予想は外れている。その最大の原因は、日本仏教界の布教不足ではなかったか。仏教界には頑張ってほしいものである。そして“日本人の心のよりどころ”といわれるようになって欲しいものである。日本にも世界遺産に登録されたお寺がたくさんあるのに、観光資源としか見られていない。それでは本来の存在意義が全く理解されていないことになるのだが…。


【文責:知取気亭主人】


平家物語ではないが、やはりこの世は諸行無常であるらしい…
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