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知取気亭主人の四方山話
 

『from impossible to I'm POSSIBLE』

 

2019年5月22日

先週の土曜日(18日)、孫息子が通う特別支援学校の運動会に行ってきた。肢体が不自由な子供たちと、発達障害など知的障害を持った子供たちが通う学校だ。小学生から高校生まで、全12学年が通っている。そこの運動会だ。孫息子が貰って来たプログラムに依れば、当日の運動会は、小学部と中学・高等部に分かれ、夫々会場を変えて実施されることになっている。

その内小学部は、恐らく肢体が不自由な子供たちの体力のことを考えてのことだろう、午前も午後も行われるのではなく、午前中だけで全ての競技を終了するプログラムになっている。一方、中学・高等部は丸一日の長丁場だ。また、父兄や先生が参加する競技は無く、あくまでも主役は子供たち、が徹底された運動会だ。では、「我が家のその主役は」というと、今年同校に入学したばかりの、やんちゃ盛りの小学1年生である。

そんな運動会だが、息子夫婦から聞いた時には、「特別支援学校の運動会ってどんな具合にやるのだろう?」と想像もつかなかった。30年ほど前に息子や娘たちが通った幼稚園にも障害を持った子たちが通園していて、障害のある子とない子が混じって行われるのを、父兄としてだが、経験したことはあった。しかし、経験したと言ってもあくまでも障害を持たない子たちが大多数を占める運動会であったから、実施された競技の多くは、自分もやったような良く見慣れたものだった。

ところが、今回見に行った運動会は、参加する子供たち全員が何らかの障害を持っている。全員が、である。したがって、私が知っているありきたりの競技種目やそのルールでは、障害の症状も程度も個々に違う子たち全員を競技に参加させる事は難しい。楽しんでやることは、もっと難しい。そこには、練りに練った様々な工夫がどうしても必要だ。ただ、それがどんな工夫なのか想像がつかない。しかし見始めてすぐに、如何に固定観念にとらわれ、凝り固まった考え方しかできない頭になってしまっているのか、思い知らされることになる。多少は歳のせいもあるとは思うのだが…。

会場となった体育館の2階から下で行われている開会式を見ていると、参加児童のおよそ半分が、何らかの形で車椅子を利用している。そうした子の中には、障害の程度がかなり重そうな子もいて、介助の人が寄り添っている。介助を受けているのは、肢体が不自由な子供たちばかりでない。多くの子供たちも何らかの形で受けている。孫息子もその一人だ。そうした様子を見ながら、どんな工夫でこの子たちを主役の座に送り出すのだろうと、ぼんやりと考えていた。しかし、経験がないからなのか、一向にアイデアが浮かばない。

ところが、その後進行していく競技を実際に見学し始めると、目から鱗状態のまま閉会式を迎えることになってしまった。良く考えられた競技内容とその工夫を凝らした競技のやり方に、「そうかこんなやり方があるのか!」といたく感動させられたのだ。難しいだろうなと思っていた、運動会の花形、“駆けっこ”や“玉入れ”もある。肢体に障害を持った子供たちも知的障害を持った子供たちも、在校生全てが参加できるように、素晴らしい工夫がなされているのだ。一人ではどうしてもゴールできない子には、最後の最後にスタッフが介助している。そうやって、全員に「できた!」という感動と成功体験を積ませている。

やっている子供たちも真剣だ。必死に頑張っている。そして、子供たちを支えてくれる、目配り・気配り溢れるスタッフの暖かい事。そうした姿を見ていて、感動のあまり目が潤んできた。「これはいかん」と一緒に行った家族に悟られないように、競技会場を覗き込むようにしていたのだが、そこであることに気が付いた。どうやら、この運動会を切り盛りしてくれるスタッフの中に、教職員以外の人たちもいるようなのだ。一見すると、子供たちと同じくらいのスタッフがいる。「そうだよな、そうでなければやれないよな!」と、今頃になって気が付いた。そうしたみんなの暖かくも熱い思いを考えると、これまでで最高の運動会を見させてもらったなと思う。

障害を持っていると、ただでさえスポーツとは縁遠くなり、本人も親もとかく諦めがちになる。しかし、この運動会は違う。子供たちが必死に頑張っている様子や、やり遂げた時の破顔、そしてスタッフの皆さんの明るい笑顔を見ていると、校舎に掲げられていた標語「可能性に挑戦」の実践そのものだということが良く分かる。こうしたことを通して一人一人の可能性を広げていくのだよ、と教えられた気がする。

折しも、一週間ほど前のNHKラジオで、大越健介キャスターが、「from impossible to I’m POSSIBLE」という標語がある、と話していた。不可能という意味の「Impossible」に「’」を加えると「I’m POSSIBLE」(私はできる)と書き換えることができることから、「不可能を可能にしよう」という意味を持たせた造語だと言い、東京パラリンピックに向けて、その活動が活発になっているという。特別支援学校とパラリンピック、世の中の注目度は違うが、言わんとすることは全く同じだ。それを思うと、子供たちに「I’m POSSIBLE」を実感させようと真剣に取り組んでくれるスタッフの、何と有り難い事か。ただただ頭が下がる。そして、なんとしてもやり遂げようとする子供たちの姿。そんな姿を見て感動しない人はいないと思う。この様な運動会を見学することは、最高の情操教育だ。感受性豊かな子供の頃にこうしたことに接していれば、いじめの多くは無くなると思うのだが…。

なお、「I'm POSSIBLE」は、国際パラリンピック委員会(IPC)公認のパラリンピック教材で、パラリンピックの歴史や競技、その価値について知ることができるらしい。


【文責:知取気亭主人】


「きれいだな!」と思う心を持ちたいものである(シラン)
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