2019年6月5日
数年前から縄文時代が静かなブームらしい。最近読んだ、山田康弘監修の「縄文時代の不思議と謎」(実業之日本社、2019)にも、そのようなことが書かれていて、中学時代に縄文時代の遺跡巡りを楽しんだ身としては、ちょっぴり嬉しい気分である。私が住んでいた静岡県の西部地方には、浜松市の蜆塚貝塚を始めとして、縄文時代の石器や土器が発見される多くの遺跡があった。入学してほんの数か月間しか通わなかった田舎の小学校校庭で“矢じり”などが見つけられることもあったし、中学校の敷地に続く神社にも石器が出土するとのクラブ仲間からの情報を得て、休み時間を利用して探した事もある。そうしたクラブの先輩や仲間の情報を頼りに、良く近隣の遺跡巡りをしたものだった。
遺跡巡りの成果品として、石器や土器をたくさん拾った。その後入学した高校の文化祭に展示できるほど貴重な石器もあった。ところが、残念ながらその多くは散逸してしまった。今手元に残っているのは、“矢じり”や“石錘(せきすい:石のおもり)”など、僅かばかりである。ところが、その残されている物も当時としては私の宝物だった筈なのに、今の慌ただしい日常生活の中ではすっかり忘れられている。時々探し物の最中に見つけて手に取ることがあり、さすがにその時ばかりはしばし見入ってしまう。そして、その度に当時の記憶が蘇ってくる。
遺跡巡りの交通手段は、もっぱら金の掛からないママチャリだった。ひたすら天竜川沿いを遡ったこともあり、今思うと、変速機構の無い重たいママチャリで良くぞ走り回ったものである。片道20〜30キロメートルは優に走っていた。しかも、当時の道は殆ど未舗装だ。勿論携帯もないから、目的地へ迷うことなく辿り着くには、手書きに近い地図と行った事のある先輩の道案内が、唯一の手掛かりであった。ナビゲーションシステムがこれだけ普及した今思えば、若さに任せた体力と色々なものを見つけたいという欲が、遺跡巡りに駆り立てていたような気がする。また、パソコンやテレビゲームなど無い時代であったから、遊び感覚でやっていたことも、夢中になった要因だったのだろう。
そうして行った先で巡り合うのは、壺など土器の破片や矢じりなどの石器だ。中には、まともな道具も無かった何千年もの遠い昔に、我々の先祖は良くぞこんな細かな加工をしたものだ、と感心するほど美しい形をした精緻な打製石器もあった。それも、黒曜石や粘板岩など硬い石を加工している。今残っていれば、唯一無二のネクタイピンなどに加工出来たのではないか、と思うと誠に残念である。
ところで、縄文人は後に現れる弥生人に比べると未開人だ、とのイメージが強い。しかし、今述べた様な精緻な打製石器や、文頭で紹介した本(以下、文頭本)などに写真入りで取り上げられる事の多いユニークな土偶や土器などを見ると、決して圧倒的に劣っていた訳ではないことが分かる。美的センスを持ち合わせ、それを日々の生活の中に生かす余裕もあった様に思える。それどころか、我々日本人の手先が器用なのは、彼ら縄文人から受け継いだDNAのお蔭なのではないかとさえ思う。
文頭本は、そんな縄文人の特徴を、弥生人と比べる形で紹介している。それに依れば、縄文人は二重瞼で彫が深く、鼻は高く、唇が厚く、手足は比較的長く体毛が濃いとある。一方の弥生人は、一重瞼でほっそりとした顔つき、鼻が低く、唇は薄く、手足が短くて体毛は薄いのが特徴だという。そうした特徴を自らに当てはめてみると、一重瞼と薄い唇と体毛は弥生人、大きな鼻と長い足は縄文人の特徴を備えていることになる。また、顔つきはほっそりとはしていないが、どちらかといえば面長だから弥生人に近いのかも知れない。ただ、こうして見ると、どちらか一方のDNAしか受け継いでいない、ということではないらしい。
そこで、今一緒に住んでいる我々夫婦と息子家族5人、それと次女を加えた計8人の特徴を思い返してみた。すると、瞼に関しては、奥二重を含めた二重が5人、一重が3人であった。相対的に分かり易い唇の厚さに関しては、明らかに薄いのが私1人で厚いのが妻の1人だが、私に比べれば厚いという意味では私以外の7人は縄文人の特徴を備えていることになる。ところが、体毛に関しては全員が薄く弥生人の特徴を示している。こうして見ると、どうやら現代の日本人は、「良いとこ取り」なのか「悪いとこ取り」なのかは好き嫌いにもよりそうだが、縄文人と弥生人両方の特徴を併せ持っている、ということになりそうである。
ただ、もうひとつ気になることがある。孫3人を除いた大人5人の、アルコールに対する強さに大きな開きがあることだ。私は強い方で、妻と長男の嫁は全くの下戸、長男と次女はその中間である。「モンゴリアンの先祖にアルコールを分解する酵素を持たない女性がいて、その子孫である日本人は基本的にアルコールに弱い」という説を聞いたことがあったが、果たして縄文人はどうだったのだろう。5月13日に発表された国立科学博物館の縄文人の全ゲノム解析に依れば、北海道礼文島の船泊遺跡で発掘された女性はアルコールに強い体質であったという(日本経済新聞、5月14日朝刊)。
どうやら、私の最大の関心事であるアルコールに関しては、強いのは縄文人の血を受け継いでいるから、という事が言えそうだ。しかし、強いと言っても、昔に比べると随分弱くなってきた。弥生人化しているのだろうか。ところがどっこい、酒好きだけは変わらない。だとすると、“酒好き”は、一体どちらのDNAを受け継いでいることになるのだろう?
【文責:知取気亭主人】
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「縄文時代の不思議と謎」
【著者】 山田 康弘
【出版社】 実業之日本社
【発行年月】 2019/1/8
【ISBN】 978-4408338446
【頁】 192ページ
【定価】 980円 + 税
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