2019年7月10日
6日の土曜日、我が家で恒例となっている誕生日会を開いた。当日が誰かの誕生日だったわけではないのだが、妻を始め我が家には7月生まれが三人いて、毎年7月の前半に三人分まとめて誕生日会をやるのが習わしになっている。テレビドラマで見るような、飾りつけをして大きなプレゼントを渡して…、などのような派手な事は一切しないのだが、嫁や孫娘の頑張りで手作りのケーキもあり、孫を含めて総勢8人という大人数だったこともあって、賑やかな誕生日会になった。
昔から妻が「夫婦に子供ができて三人になると家族として、また子供が三人になると子供同士で一つのまとまりができる」とよく話していたのだが、誕生日会も三人一緒にすると、いろいろな話題が飛び交って一人の時より確かに盛り上がり、気持ちがまとまるような気がする。考えてみると、妻が家族に関して言っていたのと同じように、物事の多くを“三”を一つのまとまりの基本、と考えると色々な事象を受け入れ易いのかもしれない。
例えば、直線三本集まると初めて三角形という広がりを持った図形が描けるし、三点の三次元座標(X,Y,Z)が決まれば、三点を通る平面が確定される。また、二本の木材で櫓を建てようとしても安定しないが、一本加えて三本一組にするとたちまち安定する。三又と呼ばれる櫓がそうだ。このように考えると、「三がひとつのまとまりの基本」という考え方は、あながち荒唐無稽ではなさそうな気がする。そうした考え方が古くからあったのか、或いは自然と用いるようになったのかは定かでないが、日本には「三大〇〇」のように、“三”に結び付けたいろいろな言い回しがある。
例えば、身近なところで言えば、私の住む金沢市にある兼六園を称して言う、「日本三名園」など代表的なものだ。また、石川県と岐阜県にまたがる白山は、富士山、立山と共に「日本三霊山」の一つに数えられていて、「♪越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ…♪」と民謡にも歌われている(富山市八尾の「おはら風の盆」で歌われる「越中おわら」)。このように、“三”に結び付けた言い回しには、優れたものとか奇麗なものなど、特に秀でたものへの尊敬の念が込められている場合が多い。そうした思いは、名園や霊山の様な景色ばかりでなく、ヒトにも使われている。
直ぐに思いつくのは、「世界の三大美女」だ。クレオパトラ、楊貴妃、小野小町の三人がそうだと言われている。ただ、この顔ぶれを見ると、日本人が思いついたことであるのは容易に察しがつき、他の国でも同じ表現になっているかは甚だ怪しい。ところで、美人だけだと私の単純思考が見透かされそうなどで、昔学校で習った記憶を引っ張り出し、多少は学術的な事も考えているのだ、ということを示しておきたい。ヒトに関する“三”にまつわる表現と言えば、「三大哲学者」だ。時代は古代ギリシャにさせてもらうが、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの三人を称して「古代ギリシャの三大哲学者」であると習った。故野坂昭如が歌ったウイスキーのCMソングとは、一寸違っていたようだが…。
また、「三つ子の魂百まで」のように、諺にも“三”はたくさん使われている。思いつくまま挙げれば、「二度あることは三度ある」、「三日天下」、「三日坊主」、「三日にあげず」、「三日見ぬ間の桜」、「三顧の礼」、「三度目の正直」、「三人寄れば文殊の知恵」、「三拝九拝する」、「三拍子揃う」、「〇〇三昧」などなど、たくさんある。ただ、他の数字にまつわる諺もあって、それぞれの数を調べた訳ではないから、“三”が特段多いということでもないのかもしれない。しかし、他の数字と違って、何となく“三”がいろいろな物事の境目、言い方を変えると、「物事がまとまって動き出す基本の数」と言えなくもなく、転じて「その分野の代表」という意味でも使われるようになったのではないだろうか。
そういう意味では、秀でたものへの尊敬の念ばかりでなく、人知を超えた自然現象への畏怖の念を表す場合にも使われている。例えば、これからの季節に甚大な被害を与えることの多い台風については、「昭和の三大台風」というものがある。1934年(昭和9年)の「室戸台風」、終戦の年1945年(昭和20年)の「枕崎台風」、そして1959年(昭和34年)の「伊勢湾台風」の三つを指し、いずれも甚大な被害を出している。その他、災害そのものを指す訳ではないが、「日本三大急流河川」などもある。富士川、最上川、球磨川の三河川がそれに当たる。
また、「三大暴れ川」というのもある。こちらは三兄弟になぞらえていて、長男の「坂東太郎(利根川)」、次男の「筑紫次郎(筑後川)」、そして三男の「四国三郎(吉野川)」と言われている。ただ、「暴れ川」とは言うものの、この三つの河川が本当に日本を代表する暴れ川であるのか、というとそうではなく、それぞれ本州と九州と四国を代表する大河川である、という意味合いの方が強いのではないかと思っている。
いずれにしても、「“三”にはその分野の代表という意味が込められている」という考え方は、的外れではなさそうである。それはある程度世界にも通じる考え方の様な気がする。スポーツの世界で表彰台に登れるのは一位、二位、三位と相場が決まっているし、メダルで言えば、金、銀、銅の三つだ。こうして見ると、どうやら三に込められた思いは万国共通、なのかもしれない。
【文責:知取気亭主人】
レモンイエロー・グリーンサントリナ
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