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知取気亭主人の四方山話
 

『所変われば作法も変わる』

 

2019年7月17日

また今年も、お盆の季節がやって来た。たった一年に一度の事なのに、お盆が近づいてくると、そんなに信心深くもない私でも、何となく敬虔な気持ちになるから不思議だ。小さなころ傍で見ていたお盆の時の母親のあり様が、ごく自然なこととして、気が付かないうちにしっかりと刷り込まれていたのかもしれない。いずれにしても、私に限らず、仏教徒にとっては大切な行事の一つである。

ところでそのお盆、全国一斉に同じ時期にやられることはなく、ところによって、新歴に合わせて7月13日〜15日に行われる地域と、旧歴に合わせて8月13日〜15日に行われる地域がある。7月を新盆、8月を旧盆と言い分けていて、今住んでいる金沢は新盆だ。静岡県でも石川県でも新旧が入り混じっていて、どちらかと言えば都市部は新盆が、田舎は旧盆が多いような気がする。例えば、子供頃の暮らしていた静岡県西部の田舎は旧盆だったのに、今から40年ほど前にお墓を移した直ぐお隣の掛川市は新盆だった。

その掛川市から金沢市へ、先月、再びお墓を移した。同じ曹洞宗のお寺への移設だったのだが、「所変われば品変わる」とよく言われるように、同じ宗派なのに作法が違っていて、戸惑うことばかりだ。刷り込まれていた作法が通用しない場面に出くわすことが多いのだ。そこで今回は、お墓の移設に伴って知った作法の違いを話題としたい。

母が3年前に亡くなり、以前母が住んでいた家も手放したことから、お墓を移すことにした。移す際に新しい墓石にする方法もあったのだが、母の思い入れも酌んで、そのまま金沢まで運び、新しいお寺の墓地に設置することにした。新しい墓地が決まったところで諸々の作法を確認したところ、色々な点で違いが明らかになり、驚いている。最初に驚いたのが、遺骨の収蔵方法だ。掛川のお寺では、「骨は土に返す」という意味も込めて、骨壺から遺骨を出して墓石の中に収蔵している。ところが、金沢のお寺では素焼きなどの骨壺に納め、その骨壺のまま墓石の中に納める方法を取っている、というのだ。しかも、骨壺の大きさが大・中・小とバラエティーに富んでいて、どの大きさのものを選んでよいか、まごついてしまった。結局、収蔵する入口のサイズに合わせることになったのだが、これが「所変われば作法も変わる」の始まりだった。

次に驚いたのは、墓石に備わっているこまごまとした装飾の違いだ。我が家の墓石には、花を生ける石柱が一対とお線香を供える香炉が一つ、他は水を溜める小さな窪みが一つあるだけだ。ところが、新しいお寺で納骨をする際、住職に問われて初めて気が付いたのだが、お隣の墓石にはローソク立てとお線香立てが複数備わっている。聞くと、金沢の曹洞宗のお寺では、このスタイルが一般的だという。掛川では見たことが無かった。確かに、目に入る我が家以外の墓石は皆そうだ。ただ、掛川の話をして、このままで全然かまいませんよ、ということになった。

お盆の作法も違う。金沢には、キリコを飾るという独特の風習がある。文末の写真に示したようなキリコと呼ばれる飾り(?)を、墓参りに来た家族毎に、墓石の上空に張られた針金に吊るすのだという。昔は灯篭のような形をしたキリコ(写真-1)が中心で、中に据えられたローソクに火を灯して迎え火の代わりをしていたのだが、最近は手軽さが受けて板キリコ(写真-2)が主流になってきたという。

ただ、宗派によって「南無阿弥陀仏」と書かれているものや、「南無妙法蓮華経」と書かれているものなど、自分の宗派に合ったキリコを使い分けなければいけないらしい。ところが、売っているのは、この二種類が殆どだ。住職に聞いたところ、曹洞宗は「南無釈迦牟尼仏」だと言うのだが、金沢市内に曹洞宗のお寺が少ないためか、売っているところがなかなか見つからない。やっとのことで見つけたのだが、字が下手な人には最後につらい試練が残っていて、その板キリコの裏に墓参りに来た人の名前を書くのだという。誰かに知らせるためなのだろうが、面白い風習があるものである。

まだある。子供の頃には、8月13日の夕方に玄関前で迎え火を焚いて、16日の夕方には送り火を焚いていた。そして、「お盆の間は亡くなった人も家に帰って来ている」と考えて、お盆の間に仏壇に供える三度の食事を欠かさないのは勿論、住職に来てもらいお経を上げてもらっていた。これを棚経と言うらしい。ところが、新しいお寺の住職の話では、金沢はこの棚経を行わない珍しい地域だという。その代わりということなのだろうか、お盆中の墓参りには、お墓の前と、位牌堂に安置された我が家の位牌の前(位牌堂があるのは曹洞宗だけかもしれない)で読経てくれる。本当に、所変われば作法も変わる、である。

これまで数多くの葬儀に参列して、同じ仏教でも宗派が違えば作法も違う、ということはある程度分かっていた。お経も違うし、お焼香の作法も微妙に違っていたりする。しかし、同じ宗派であればそんなには違わないだろう、と刷り込まれていた知識が多少は通用するとばかり思っていた。ところが、いざお墓を移してみると、違うことだらけで驚かされる。既に書いたように、正直これほど違うとは思ってみなかった。「所変われば品変わる」とは、良く言ったものである。ただ、だからと言って信心深さが変わるものではない、と思っているのだが…。                             【合掌】


【文責:知取気亭主人】


写真-1_写真-2

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