2019年7月24日
7月20日の土曜日、久しぶりに夜中のテレビを見た。番組名を「激レアさんを連れてきた」と言う。初めて見る番組だ。他人と違うことを実践し、成し遂げてきた市井の人をスタジオに呼んで、その驚きのプロセスと成果を面白おかしく聞き出す、という番組らしい。毎回二組が登場するらしく、今回はそのうちのひとりが話題提供の主である。どんな人物かといえば、知識がまったくない素人集団なのに人工衛星の開発を成功させ、宇宙空間へ放出もさせてしまった、仕掛け人のひとりである。一言で言えば、宇宙好きが高じて夢を実現させたサクセスストーリー、と言ったところだろうか。
とにかく宇宙が好き、ということで仲間たちと居酒屋「金の蔵」で宇宙トークをしていたという。そんな居酒屋トークから、世界一小さいとはいえ実際に人工衛星を作ってしまい、宇宙へ放つことにも成功した、嘘のような本当の話である。彼らが作った人工衛星は、2018年9月に種子島宇宙センターから、宇宙ステーション補給機「こうのとり」に積まれ飛び立った。「こうのとり」が宇宙ステーションとドッキングした後、彼らの人工衛星は無事放出されたのだが、番組ではその時の映像も紹介された。
宇宙の知識がない素人集団が人工衛星を作ってしまうとは、本当に驚きだ。しかも、現在2号機を製造しており、今は500名もの集団になったというから、こちらも驚きである。如何に宇宙好きが多いか分かる。そう言えば、実業家の堀江貴文氏が出資、設立した北海道大樹町の宇宙ベンチャー「インターステラテクノロジズ」も、日本の民間企業として初めて、宇宙空間に自社開発のロケット「MOMO(モモ)」を打ち上げるのに成功している。こちらは将来のビジネスを見込んでの挑戦だが、日本で初めての人工衛星「おおすみ」がラムダロケットによって打ち上げられたのが1970年だと聞くと、上記の話のように民間人が普通に宇宙に関わることができるとは、50年前とは隔世の感がある。しかも、「おおすみ」の軌道投入に成功した1970年はあのアポロ11号による月面着陸を成し遂げた翌年だと聞くと、日本の宇宙開発技術の進歩にも、隔世の感を抱かずにはいられない。
そのアポロ11号は、世界で初めて人類を月に着陸させたアポロ計画の、その名の通り11番目のミッションであった。ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士が、アポロ宇宙船「コロンビア号」から離れ、月着陸船「イーグル」号で月に降り立ったのは、「おおすみ」の軌道投入に成功する前年の1969年7月20日(日本時間21日)、丁度今から50年前のことである。
この時点では、宇宙開発におけるアメリカと日本の技術格差は大人と子供以上の開きがある、と日本人の誰しもが思っていた。アメリカは既に有人の人工衛星打ち上げを成功させていたのに、まだ日本では無人の人工衛星の軌道投入さえ失敗続きだったのだから仕方がない。それもこれも、太平洋戦争によって経済が疲弊し、科学技術産業は壊滅したと言ってもいいほど打ちのめされたからだ、との言い訳を考えていた。
ところが、月面着陸の様子を大学の食堂にあったテレビモニターで大勢の仲間と一緒に見ていて、そんな姑息な考えではとてもアメリカには追い付けないな、と思うようになった。それは、こんな途方もないプロジェクトをやり切ってしまうには、豊富な資金と卓越した技術力が必要なのは当然として、それ以上に必要なのはやり遂げようとする情熱だ、と感じたからだ。あの日食堂で見たあの光景と興奮を、今でも鮮明に覚えている。
その感動の光景から早50年。冷戦時代に行われた宇宙開発競争の落とし子とも言えるアポロ計画は既に終了し、今では、米ソが協力して国際宇宙ステーションを構築し、(中国は単独で独自路線を突き進もうとしているが)宇宙開発においては国際的な協力体制が出来上がっている。当時を思えば、信じられないことだ。しかも、我が日本がその一翼を担っているのだから素晴らしい。実験棟の「きぼう」を構築するとともに、地球からの物資を運び、ステーションから出たゴミを搬出・焼却するミッションを担う、補給機「こうのとり」の打ち上げも行っているのだ。
こうした有人の宇宙探査を日本単独で成し遂げるにはまだ力不足であることは否めないが、宇宙先進国に認められる実力を確実に付けて来ている、と自信を持っても良さそうだ。その証拠に、映画にもなった小惑星探査機「はやぶさ」のミッションは、世界に称賛された。また、つい先日2回目のタッチダウンに成功し、小惑星「リュウグウ」の岩石採取が確実視されている「はやぶさ2」のミッションは、世界でも注目の的になっている。アメリカの背中も見えてきた。例えて言うなら、50年前には“親子以上の違い”だったものが、今では“長男と末っ子ほどの違い”に近づいているのではないだろうか。
ところで、50年前にショックを受けたアメリカの宇宙開発技術、50年後の今、そのアメリカと遜色のない技術力を持ち、さらに民間の力で宇宙に挑戦しようとする人たちがこの日本に現れようとは、「隔世の感」とはこういうことを言うのだろう。来年(2020年)の末には、「はやぶさ2」が地球に帰還する。「リュウグウ」から持ち帰る“玉手箱(試料が入っているサンプルケース)”にはどんなドラマが秘められているのだろう。折しも来年は、大阪万博で「月の石」が展示公開されてから丁度50年となる。玉手箱を開けた途端、50年前の感動が蘇ってくる、そんな瞬間を待ち望んでいる。
【文責:知取気亭主人】
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