2019年10月16日
旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)が、見事2019年のノーベル化学賞を受賞した。アメリカの二氏と共に、リチウムイオン電池開発に関する功績が評価されたものだ。日本人のノーベル賞受賞は、昨年(2018年)、医学生理学賞に選ばれた本庶佑京都大特別教授(77)に続く快挙となった。これで、日本出身の受賞者は、化学賞としては8人目、全分野を通してだと27人目となった。昨今、日本の科学分野における地盤沈下が叫ばれているだけに、とにかく目出度い事である。
ところで、一夜にして時の人となった吉野さん、テレビの会見を見ていたら、意外なことを仰っていた。自らの発明が最も貢献しているのではないかと思われる携帯電話、その携帯電話を、5年前にスマートフォン(以下、スマフォ)を使い始めるまで持っていなかったというのだ。自らの発明がもたらした最も身近な便利さを実感していなかったというのだから、面白い。記者会見の場で、「どこにいても連絡取れるのは監視されているようで嫌だった」という意味のことを、笑顔を見せながら言っていたが、分かるような気がする。私も、持っていると便利なのは分かるが、どちらかというと、「持たずに過ごせたらそれに越したことはないのに」と秘かに思っているからだ。そうすれば静かに目の前のことに集中できる、と勝手な思いを抱いているのだが…。
吉野さんの受賞が報じられた翌日の11日、その「持たずに過ごせたら…」を、僅か二日後に実行することになろうとは思ってもみなかった。その日は、東京に日帰り出張に行ってきたのだが、日柄一日、スマフォを持たずに過ごしてしまったのだ。原因は、家に置き忘れてきた事にある。妻に金沢駅まで送ってもらい、車から降りて歩き出した途端、いつも入れているズボンのポケットがいやに軽いことに気が付いた。急いでまさぐってみたが、やはり無い。第841話「ついうっかり、それとも…」に書いた失敗と同じ失敗を、またやらかしてしまったのだ。第841話の時忘れたのは“財布”だったのだが、今回は“スマフォ”だった、という訳である。
気が付いてはみたものの、腕時計を見ると、電車の出発時間までもう30分もない。「今すぐ取って返せ!」と、車を運転中の妻に連絡する術もない。しかも、彼女が家に着いてからではもう遅い。あれやこれやと対策を考えたが、妙案は浮かんでこない。もう諦めるしかない。そう判断したらそこは切り替えの早い私、「今日は5年前まで吉野さんが実感していた“静かな一日”を体感し、それを四方山話に書こう。これで、一話分のネタが確保できた。ラッキー」と思うことにした。そして、緊急の連絡がないことを願いながら、東京に向け北陸新幹線に乗り込んだ。
乗り込んで直ぐに、いつもと違う事に気が付いた。いつもなら、東京へ着くまでの2時間半の間に数本の電話や多数のメール着信の音が鳴るものだが、それがない。他人のスマフォの音はチョクチョク聞えてくるのだが、私が身に付けている物からは一切音がしない。持っていないのだから当然と言えば当然なのだが、いつまでも静かだ。お蔭で、持ち込んだ仕事も思いの外はかどった。特に、途中で邪魔されることがないから、「あーでもない、こーでもない」と思考を巡らすのにはもってこいなのだ。勿論、本も集中して読める。
ただ、気になる事が無い訳ではない。「会う約束をしている人の都合が悪くなったらどうしよう」とか、「会社から緊急の連絡が入っていないだろうか」という一抹の不安である。本人はスマフォを持たない事を分かっているから良いのだが、相手はそれを知らない。当然、必要があればスマフォに連絡してくる。そして、電話なら連絡つかない事が分かるのだが、メールではそれが分からない。したがって、メールの場合は、連絡がついたものと思い込むに違いない。ところが、いつまで待っても私からの返信がない。「そうこうしているうちに事態は…」などと考え始めると、あまり良い方向には考えない。
とは言うものの、手元にないものはどうしようもない。「もし連絡してくれた人がいるとしても勘弁してもらおう」と腹をくくり、妻に着信履歴を確認してもらうこともせず、スケジュール通りの行動をとることにした。すると、案ずるより産むが易しとはこのことか、時間変更もなく、無事スケジュールをこなすことができた。こうして、スマフォを持たなくても意外と過ごせるものだな、と安堵して帰途に就いたのだが…。
ところが、家に着いてスマフォを確認してみると、電話の着信履歴は無いのだが、メールが一杯入っている。しかも、昼間会ったばかりの人からも、その後の連絡が入っている。緊急ではないものの、急ぎ返事をしなければならなかった内容だ。早速、スマフォを忘れた事を書き添え、返信できなかった詫びを入れた。その他、返信すべきメールに返信し終わったところで考えた。
どうやら、持ち始める時期は別にして、吉野さんの様に“それまで持っていない人がとうとうスマフォを持つようになった”というのが自然の流れで、一時的にしろ、私の様に“持っていたのにそれをやめる”というのは、世間の流れに逆行しているらしい。まだ世間と深く関わりを持っている間は、(ボケない限り)「静かな一日」を満喫する、という贅沢な日常は無理なのかも知れない。そう言えば、「うるさい日本の私」(中嶋義道著、洋泉社、1996)という本があったなぁ。
【文責:知取気亭主人】
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「うるさい日本の私 ―「音漬け社会」との果てしなき戦い」
【著者】 中嶋 義道
【出版社】 洋泉社
【発行年月】 1996/08
【ISBN】 978-4896912241
【頁】 217ページ
【定価】 1,650円 + 税
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