2019年10月23日
19日の土曜日、孫息子が通う特別支援学校の「秋まつり」に参加してきた。第826話『from impossible to I'm POSSIBLE』でも紹介した学校だ。長男は下の孫娘が通う保育園の運動会に、また長男の嫁はこの「秋まつり」の準備に行かなければならないとのことで、家内ともども参加を打診されていたのをこれ幸いに、子供たちの屈託のない笑顔を見に行ってきた。ただ、プログラムを見せられるまでは、「運動会」でもなく「文化祭」でもない「秋まつり」とは一体どんなものか、皆目見当がつかなかった。私が子どもの頃も、私の子どもたちが小中学校に通っていた頃も、そうした名前の催しは無かったからだ。
ところが、プログラムを手に取り良く見てみると、ゲームの時間がまずあり、次いで先生方による合唱があり、大学生によるバイオリンとビオラの弦楽二重奏、それに加えて最後はジャグリングのパフォーマンスまである。ゲームを除けば、「文化祭」と呼んでもおかしくない内容だ。ただ、後で聞いたところによると、11月に入ると正式な「文化祭」があるそうだから、学校としては違う位置付けにしているらしい。
恐らく、その名の通り支援を必要としている子供たちが通う学校であるから、(この日本では)そうした子供たちが気兼ねなく参加できる催しが殆どない事を憂慮して、せめて一年に一回ぐらい親子ともども楽しんでもらおう、という学校側の配慮ではなかったかと思う。だからだろう、「文化祭」と違い生徒たちの手による作品は無いし、ゲーム以外は親も楽しめる内容になっている。
始まってみると、第826話でも書いたが、今回のプログラムでも、「先生たちや関係者の皆さんの愛が溢れている」と感心させられることしきりだ。どんな障害を持った子でも遊べるゲームは、本当によく考えられている。また、自由に体が動かせない子供たちへのサポートや、ルールの殆どないに等しい子供目線の柔軟性は、「主役は子供たち、そして保護者」が貫かれた手作りならではの良さだ。ゲームで遊んでいる子供たちを見ているだけで、笑顔になれる。また、先生たちの合唱も素晴らしかった。総勢50人ほどいただろうか、男女混声合唱団の歌声は、時に力強く腹に響くほどだった。家内は涙が出たとも言っていたが、それだけ腹にも心にも響く歌声だった。
僅か半日の「秋まつり」だったが、第826話で取り扱った運動会同様、どれだけ子供たちのことを想っているか、その想いはストレートに伝わってきた。そして、気苦労の絶えない保護者にとっては、短い時間ではあったが、安心して気が休める大変有り難いひと時だったに違いない。ただしその分準備は大変で、生徒自身がそんなにお手伝いできないだけに、大人たち、特に教職員への負担はかなり大きかったと思う。でも、そうした苦労もいとわず開催してくれているのは、根底に生徒ファーストが貫かれているからだ。ありがたいことである。では翻って、前代未聞の“後輩教師へのイジメ問題”で揺れる神戸市の東須磨小学校は、一体どんな教育現場だったのだろう。
イジメの内容については、良くも悪くも情報が溢れ過ぎているから、ここで書くのは差し控えるが、報道されている内容の通りだとすると、とんでもない教師がいたものである。また、そうしたイジメは周りの教師たちも当然気が付いていた筈なのに、それを止められなかったのはなぜだろう。触らぬ神に祟りなしとばかりに、見て見ぬふりをしていたのに違いない。そうなってしまったのは、事なかれ主義が蔓延していたためだろうか、それとも前任の校長を含めた管理者がそうしたイジメを容認する程度の人だったためだろうか、或いは四人と言われる加害教師たちが陰で実権を握っていたためだろうか。いずれにしても、この小学校が組織としての体をなしていないことだけは明らかだ。
それもあって、悲しむべきことに、この学校では生徒ファーストの大前提が霞んでしまっている。教師のイジメに焦点を当てた報道ばかりだから当然と言えば当然なのだが、これだけ報道されているのに、子供たちの姿が全く見えて来ない。一部、「生徒たちの間でもイジメが増えている」との報道もあるが、当然だと思う。生徒たちに「反抗しまくって(被害教員の)クラスをつぶしたれ」などと煽るよう指示したこともあるというのだから、まるで教師の仮面を被ったヤクザである。そんな教師の下で教育を受けた生徒たちが、他人を、弱い立場の人を思いやる心を育めるのか、甚だ心配だ。イジメを助長するひねくれた考え方は、深く静かに子供たちの心に沁み込んでいくことになってしまうのに…。
最近になり、「人間として恥ずべきことをした」と加害教員4人の謝罪の言葉がネットニュースで流れたが、読んでみてもあまり心に響いてこない。特に、女性教師のそれは空虚の何物でもない。我が身を擁護する字面を追うだけで、空しくなってしまう。相手や周りを思いやる気持ちが伝わってこないのだ。こんな先生が“できる先生”として教壇に立っていたと思うと、東須磨小学校の生徒たちが可哀そうだ。また、今回の敢えて言うなれば“加害教師ファーストの組織”と支援学校の“生徒ファーストの組織”、この違いに、教育委員会や学校ばかりではなく、神戸市そのものが組織として気付かなければ、同じ過ちを繰り返すことになってしまうだろう。
でも、何でこんな前代未聞の問題が、事もあろうに小学校という教育現場で起こってしまったのだろう。一体、何がそうさせたのだろう。本質は相当根深い気がするのだが…。
【文責:知取気亭主人】
美味しいリンゴを育てるには丹精込めて世話をする。人も一緒。
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