いさぼうネット
賛助会員一覧
こんにちはゲストさん

登録情報変更(パスワード再発行)

  • rss配信いさぼうネット更新情報はこちら
知取気亭主人の四方山話
 

『今年は自覚の年?』

 

2020年1月22日

今年に入り何度も同じフレーズを使わしてもらうが、いよいよ新しい年がスタートした。この年の初めに当たり、一年の目標を立てたり、誓いを新たにしたりした人も多かったのではないだろうか。さしずめ、“一年の計は元旦にあり”である。私も以前は半紙に目標を書いたりした年もあったのだが、最近はすっかりズボラが染みついてしまい、誓いを新たにすることもしなくなってしまった。今年も例年に漏れずで、さしたる誓いもせずに令和二年がスタートしてしまった。

では新たな誓いをせずとも順風満帆な一年が約束されているのかと言えば決してそんなことはなく、逆に、昨年の暮れ辺りから身につまされる情報や出来事に遭遇することが増え、ぼんやりとした不安が広がりつつある。しかも、時が解決してくれるようなものではないだけに、覆い始めた不安の雲は少しずつ低く垂れ込み始めた気がしている。これまでも身につまされる事が無かったわけではないが、その度に笑い飛ばしたり誤魔化したりしてやり過ごしていた。しかし、そうした身につまされることが増えてくると、いくら鈍感な小生でも、やっぱり気になってしまう。笑い飛ばせなくなってしまうのだ。何がそんなに気になり出したかと言えば、加齢による体の機能の衰えである。

そうした衰えについて、昨年の暮れ、知人から面白い情報を教えてもらった。人間の知能に関する能力(ウェクスラー式知能検査、成人向け知能検査)は大きく「動作にかかる能力」と「言語理解にかかる能力」に大別され、前者は、10代後半をピークに加齢とともに下がり続けるというのだ。「動作にかかる能力」には、計算や筆記など情報の処理能力を示す「処理速度」と、視覚的に入ってきた情報を処理する能力や環境適応力を指す「知覚推理」があって、二つとも加齢に伴って下がり続けるらしい。高齢者の悲惨な交通事故報道を聞くにつけ、目に入ってくる情報から状況判断をする能力が加齢とともに衰えていくことは、確かに疑いの余地がないのだと思う。自分自身はというと、“「知覚推理」の方はさほど衰えていない”と高を括っているのだが、もう一方の暗算や筆記は、恥ずかしながら無残な状態だ。抗っているつもりなのだが…。

ところが、大別したもう一方の「言語理解にかかる能力」は、“高齢者”と呼ばれる年齢にならないと、大きな衰えはないのだという。これも二つに分別されていて、一時的な記憶能力や複数課題の遂行能力を指す「ワーキングメモリー」と、言葉を使って説明・思考する「言語理解」である。私の様に歳をとっても減らず口が叩けるのも、衰えが緩やかなお蔭なのだろう。そうした未だ衰えを知らない能力はさておいて、動作にかかる能力で身につまされたのは先にも書いたように昨年の暮れなのだが、今年に入ってまだ間もないのに、立て続けに三度も衰えを実感させられてしまった。最初は新年会での席で、である。

先週、新年会を兼ねたある会合が開かれた。時間は19時から21時30分ごろまで、約2時間半の会合であった。問題は、この会場の座席のスタイルだ。畳の会場だったこともあって、ずっと胡坐をかいたまま2時間半座りっぱなしでいたのだ。そのせいで、両足の付け根の筋肉が筋肉痛を起こしてしまった。何年か前からその兆候はあったのだが、これまではその日のうちに筋肉痛は取れていた。ところが、今回は痛みがかなりひどく、歩き出す時にひと苦労するほどだ。筋力の衰えと回復の遅さを、いやというほど痛感させられた。

二度目は、その付け根の筋肉痛がやっと収まった先週の土曜日だ。孫息子が通う学童保育が、家族参加のボーリング大会を開催してくれた。それに参加してきた時の体験だ。20、30年ぶりのボーリングで、やる前から「恐らく筋肉痛になるだろうな」とは思っていた。案の定、翌日の日曜日には筋肉痛となり、階段の下りがチョッピリぎこちない。しかし、それも想定内だ。身につまされたのはそんなことではない。僅か1ゲームしかやっていないのに、9フレーム辺りで、息が上がってしまったのだ。投げていない間も孫息子を追いかけながら小走りしていたせいもあるだろうが、体力のなさに愕然である。

そして最後の出来事は、孫娘と次女がトランプゲームの「スピード」で遊んでいるのを横で見ていた時だ。ルールに地域性があるようだが、遊び方の概略はこうだ。伏せて半分に分けたお互いの手札の上から4枚を、表を見せ自分の手前に置く(場札)。次に、残った手札の一番上の1枚を、「スピード」と言いながら両者の間に表を見せて置く(台札)。この時から勝負が始まる。台札を出した瞬間から、どちらの台札にでも良いから、素早く前後の札を出してゆく。場札は4枚置いておくことがルールで、足りなくなったら手札から補充し、出せるなら何枚続けても良い。早い者勝ちだ。これを繰り返し、早く持ち札が無くなった方が勝ちとなる。また、両者とも台札に重ねるものが無くなった時は、互いの持ち札から新たな台札を出しゲームを続ける。その名の通りスピード勝負のゲームで、何のことはない、知能に関するところで書いた、「知覚推理」を競っているのである。

そのゲームを横で見ていて、愕然とした。二人のスピードに全くついていけないのだ。私が判断を下した時には、二人とももう既に次の札を手に取り動かしている。孫娘とは60歳以上の開きがあるから仕方がないと言えば仕方がないのだが、「知覚推理」は加齢とともに衰えていく一方であることをこれ程までハッキリと見せつけられると、何だかなぁ…。

こう立て続けに衰えを身につまされると、決めるべき一年の目標も誓いも、何となく見えてくる。今年は「自覚の年」、と衰えていくことを素直に受け入れ、酒を飲みながら泰然自若としていることが “差し当たっての目標”、となりそうである。奥様、宜しく!


【文責:知取気亭主人】


苔も泰然自若としている?

Copyright(C) 2002- ISABOU.NET All rights reserved.