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知取気亭主人の四方山話
 

『孫娘と入った風呂で考えた事』

 

2020年2月19日

16日の日曜日、久しぶりに4歳の孫娘と一緒に風呂に入った。孫娘を先に洗い風呂から出した後、一人湯船に浸かっていてふと浮かんだ事がある。「いつまでこうして一緒に入ってくれるのかな」という淡い期待と、「あの子が大きくなって、子どもを育てることになるであろう20年先、30年先も、今と同じ様に水のことを心配することなくいつでも自由に風呂に入ることができるのだろうか」というボンヤリとした不安である。というのも、暖冬による雪不足で、春以降顕在化してくるかもしれない水不足のことを考えていたら、半世紀以上も前の子供の頃の経験が蘇ってきたからだ。

小学生の頃の我が家には内風呂がなく、秋から春にかけては週に2、3回銭湯に通い、夏場は銭湯には行かずタライに入って行水で済ませていた。銭湯に行く回数が少なかったり行水で済ませたりしていたのは、特段水不足だった訳ではなく、お金を節約していたからだと思う。ただ、小学校入学直後(昭和31年)まで住んでいた家には、粗末ながらも内風呂があった。しかし、水道が今ほど完備されていない時代であったから、(記憶にはないが)病床に伏せていた父が幼かった私を背負い、時々湧水を汲みに行っていたと聞かされている。想像するに、沢の水を引く簡易水道程度はあったのだろうが、恐らく少し日照りが続くと沢の水は枯れてしまっていたのだろう。

今でも、山奥にある父の実家は、集落共同の簡易水道と家の裏庭の湧水を、飲料用も含め生活用水として使っている。昭和30年代までの当時の日本には、そんな家が田舎に行けばいっぱいあった。また、貧しさも似たり寄ったりで、私が生まれ育った田舎では大半の家庭がまだ貧しかった。今のようなシステム化された風呂はまだ登場していなくて、あったとしても直接薪を焚く風呂釜方式だった。小学生だった頃に母の実家の五右衛門風呂を薪で沸かすのを手伝った記憶が、今でもかすかに残っている。当然、灯油やガスのボイラーは見たこともなかった。今流行りのオール電化など尚更である。しかし、薪で焚いた風呂の湯は、遠赤外線効果で冷めにくく、良い匂いがしたのが懐かしい。

そんな半世紀も前の風呂事情と比べると、今の時代は本当に恵まれている。大正から敗戦直後までの日本しか知らない父に見せてやったら何というだろうか。「“湯水の如く”とは言うけれども、無駄に流すな、もっと節水しろ!」と怒るだろうか? それとも、「水のことを心配することなくいつでも風呂に入れるとは、極楽だ!」と目を細めるだろうか?恐らく、前者だと思う。水汲みで苦労したことのある人しか分からない、水の大切さ・有難さを知っているからだ。何せ、数年前に亡くなった叔母から、父が亡くなったのは病身でありながら私を背負い水汲みをしていたからだ、と真顔で言われたことが心に棘の様に刺さっていて、そこまでして水汲みをしなければいけなかったかと思うと心が痛い。結核に蝕まれた体にはどんなにしんどかったことだろう。何かの本で読んだことがあるが、「女性にとって一番過酷な労働は乾燥地帯における水汲みである」との言葉がそれを雄弁に語っている。

ところが、今の日本で、水汲みの苦労を実感することは、ほぼ不可能に近い。僅かに、父の実家のような地域で可能性があるに過ぎない。そうした地域でさえ、余程ひどい日照りが続かない限り枯れることはないという。水汲みはほとんどしたことがないらしい。したがって、簡易水道にしても、コックを捻れば、蛇口から衛生的な水が流れ出てくる。災害の時も、一時は不自由するが、いずれ給水車が回ってくれる。唯一、過酷な労働であることを実感するとしたら、高層マンションでエレベーターが止まった時ぐらいかもしれない。それでも、一時的なものだ。現代では、それくらい水汲みとは縁遠い。しかし、今年の異常なまでの暖冬・小雪ぶりを見ていると、水汲みとまでは言わないまでも、水の大切さを嫌というほど味わうことになる節水騒ぎが、あちこちで起こるような気がしてならない。

暖冬の今シーズンは、いつもなら雪深い石川県の山間地でも雪が少なく、雪頼りのスキー場はどこも頭を抱えている。しかし、スキー場以上に心配なのが、生活用水と農業用水の不足だ。山の雪が少ないと、テレビの気象情報コーナーでたびたび取り上げられている通り、雪解け水として春から夏にかけて流れ出る河川水量が確実に減る。集水面積の大きな奥深い河川が少ない石川県のようなところや、あったとしても利根川の様に巨大な都市圏を抱えている河川は、より影響を受けやすい。

「瑞穂の国」と言われて来たことから、日本は水に恵まれていると思われがちだが、人が使える淡水の量はさほど多くない。国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書2006」に依ると、日本の国民一人当たり年降水総量・水資源量(m3/人・年)は、年降水量(mm/年)が日本よりも遥かに少ないオーストラリアやアメリカの半分にも満たないことが分かる(http://www.mlit.go.jp/mizukokudo/mizsei/mizukokudo_mizsei_tk2_000020.html)。国土が狭い事や、人口密度が高い事、そして河川勾配が急であることなどが、資源量が少ない原因だ。災害を引き起こすほど激しい雨が降るのにも拘らず、である。そうした中で我々は暮らしている。水は大切にせねばならない。

水資源に限って言えば、今日の日本は、日本全体で何とかバランスを保っている状態なのではないだろうか。だとすると、雪不足の今年は、地域によっては大規模な水不足が心配だ。杞憂に終わってくれれば良いのだが…。


【文責:知取気亭主人】


水あってこその桜
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