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知取気亭主人の四方山話
 

『賭け事の魔力』

 

2020年7月1日

人間という生き物は、どうやら生来賭け事が好きらしい。結果が出るまでの緊張感とワクワク感が堪らないのだろう。恐らくだが、トランプなどのゲームで“勝った負けた”に対して金品を賭けて遊ぶのは、どこの国でも普通にやられている。また、友達ばかりでなく家族や兄弟などの間で、食事やお菓子などを賭けて遊んだ経験なら、誰しもあるだろう。さらに言えば、登下校中にジャンケン勝負でランドセルを持つのを賭けたことは、日本の小学校に通ったことのある人なら、殆どの人がやっていると思う。それとても、金品でこそないが労力を賭けていて、大きく括れば賭け事の範疇に入るのかもしれない。

そうした遊び半分のものはさて置くとしても、世界的に見れば、競馬は多くの国で堂々と行われているし、サッカーのワールドカップなどのスポーツが賭け事の対象になっていることも良く知られている。特にイギリスは、賭け事に対して寛容なのか、スポーツに限らず選挙を始めとするあらゆる勝負事を賭けの対象にするらしい。国民性なのだろう。開けっぴろげで堂々とやられているから、賭け事に対する嫌悪感を持つ国民が少ないのだと思う。また、七つの海を股に掛けて大活躍した国だけあって、チャレンジスピリッツを“良し”とし、今もその精神を受け継いでいる国民がきっと多いのだろう。

翻って日本はどうだろう。日本では、どうも時代劇に登場する賭場のイメージが強すぎるのか、賭け事に対する“寛容さ”はさほどないように思える。ただ、そうは感じるのだが、競馬に競輪、ボートレースにオートレースなど、日本各地で公営ギャンブルが堂々と開かれていて、そうした賭け事に興じている人口は決して少なくない。賭けマージャンや賭けゴルフを含めれば、成人男子の半分近くは、賭け事の経験があるだろう。私もある。更に言えば、パチンコをしたことのある人まで含めれば、男女を問わず、成人の半分以上は経験があると思う。やっぱり、日本人も根は好きなのだ。

しかし、賭け事である以上、自制できることが肝心だ。言い換えれば、こうした賭け事に溺れたらダメだ。自分で自由になる小遣いの範囲内で遊んでいるうちは良いが、生活費に手を出し、他人から金を借りてまでやるようになると、坂道を転げ落ちる様に身を亡ぼすことになる。カジノ解禁を柱とした「特定複合観光施設区域の整備」に関する「推進法」や「実施法案」に対し反対の抗議活動を起こした人たちの中には、溺れたことによって家族や知り合いの惨状を見てきた人が少なからずいたのだと思う。きつい言い方をすれば、溺れた人たちは賭け事の魔力に負けたのだと思う。

賭け事の魔力は、三つほどある。一つは、一獲千金の夢を見られることだ。競馬などの公営ギャンブルでは、高額当り券が出て、「100円が〇百万円になった」などと報じられることが良くある。時には、1千万円の大台を超える様なことさえある。もうまるで宝くじだ。こうした可能性が万が一にもあるから、「今度こそ!」と思い続け、止められないのだ。しかも、ビギナーズラックで儲けた人ほどそうらしい。私は止められて良かった!

魔力のもう一つは、賭けマージャンや賭けゴルフなどのゲームについて言えることだが、勝利を手にすると、お金を稼げることもさることながら、「勝った」という優越感に浸れることだ。お金を賭けていないと真剣になれない性分の人が多く、こうした魔力を好むのは負けず嫌いな人に特徴的だ、と思っている。ゲーム性が比較的乏しく、金を賭ける個々人同士が競わない公営ギャンブルでは、味わうことができない感覚だ。ただ、逆に一獲千金と言われるほどの大金を手にすることは、ほとんどできない。そういう意味では、反社会勢力の資金源になっていないことが必須条件ではあるが、庶民感覚では考えられないような高額なやり取りでなければ、賭け事とはいえ、トランプなどと同じ仲間同士のゲームと捉えても良いのではないかと思う。

ただ、法律上はグレイゾーンにあるらしく、最近でも、賭けマージャンで両極の判断が出され、ニュースになった。一方は、緊急事態宣言中に新聞記者らと賭けマージャンに興じていたと報じられ、辞任に追い込まれてしまった東京高検の黒川検事長だ。こちらは、常習性がないとの判断で、逮捕には至っていない。ところが、6月の中旬、岐阜市の賭けマージャン店が摘発され経営者や客など6人が書類送検された、とのネットニュースが流れた(今はサイトが閉じられていて見られない)。検事長たちと同じレートだったにも拘らず、こちらは常習性があると判断されたらしい。変な話である。常習性の判断基準がどこにあるのかは知らないが、やったことのある身としては、いささか恐縮している。良くやっていた時期ならば、“常習性がある”と判断されたと思うからだ。

少し横道にそれてしまったが、三つ目の魔力は、賭けをするときは殆ど、勝った時のことを想像してしまうことだ。これこそが見えざる最強の魔力だと言える。「今のコロナ禍での政治決断を賭け事と見なすとは何事か」、とお叱りを受けそうだが、トランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領などの対応は、この第三の見えざる魔力に突き動かされている様にも見える。苦渋の政治決断であることは分かっているが、確証が得られないまま賭けに出ている様に見えてしまう。この勝負、何としてでも勝ちたい。しかし、いつになったら「勝った!」と叫べるのだろう?

いつものジョンズ・ホプキンス大学の感染者に関する最新の集計データによれば、日本時間6月30日午後3時の時点で、世界の感染者はついに1030万人を、死者は50万人を超えたという(NHK NEWS WEB)。この増え方、魔力によるものばかりではないのだろうが…。

【文責:知取気亭主人】


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