2021年8月11日
7月23日に開幕した2020東京オリンピック競技大会(以下、東京五輪)が、8日の日曜日をもって幕を閉じた。1年延期、パンデミック下、しかも各国とも渡航制限がなされているという状況下で開催された、異例ずくめの大会であった。また、コロナ禍で日々の生活さえままならない人たちもいて、「オリンピックどころではないだろう!」と憤慨する声も聞こえていたが、大過なく閉幕を迎えられたことは、政府のコロナ対策については横に置くとして、ひとまず、“何よりだった”と言って良いのではないだろうか。
加えて、日本選手の活躍も花を添えてくれた。金メダル27個、銀14個、銅17個と計58個ものメダルを獲得できたことは、開催に懐疑的な人も含め、多くの国民は素直に喜んでいるのではないかと思う。私もその一人だ。また、各競技とも、暑さを忘れるほどの熱戦を繰り広げてくれた。そういう意味では、惜しくもメダルに届かなかった選手も含め参加した全ての選手に、そして大会を支えた運営スッタフ全員に大きな拍手を送りたい。勝ち負けはどうしても付いてしまうが、真剣勝負に徹するその姿や戦い終わってお互いを称えるその姿に、久しぶりに清々しい気持ちにさせてもらった。やっぱりスポーツは良い。
とは言うものの、スポーツが全てではない。大多数の人々にとっては、日々の生活が成り立った上での話で、それが基本であることは言うまでもない。それは今も昔も変わらない。知っての通り、東京でのオリンピック開催は今回で2度目となったが、今から凡そ80年前の1940年(昭和15年、太平洋戦争突入の1年前)にも、幻の東京オリンピックがあった。最初の東京開催となる筈だったこの大会は、日中戦争の激化によって返上・中止となってしまった。国際世論の激しい批判もあったらしいが、1938年(昭和13年)に、国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる旨を規定した「国家総動員法」が交付されたことを考えると、戦時物資は言うに及ばず、庶民の生活物資の窮乏も深刻化しつつあったことは想像に難くない。オリンピックどころではない、というのが正直なところだったのだろう。
こうした苦い経験は、繰り返してはならない。繰り返さないためには、過去の経験を教訓として、若い人に伝え、語り継いでいくことが極めて重要だ。苦い経験であっても真正面で向き合い、繰り返さないことを肝に銘じることだ。三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた徳川家康が、惨めな自分の姿を絵師に描かせ、それを日々眺めて慢心を戒めていたと伝えられているが、それと同じことが必要だと思う。東日本大震災がそうだったように、苦い経験も意識して語り継いでいかないと、惨事は繰り返されることになる。大きな代償を払うことになってしまうのだ。なぜこんなことを書くかと言えば、東京五輪開催中に、「こんなことで良いのか?」と、胸が詰まる思いをしたことがあったからだ。
第831話の『忘れてはならない日』にも書いたが、NHKラジオのリスナーからの投稿で、日本人には忘れてはならない四つの日があることを知った。6月23日の「沖縄慰霊の日」、8月6日広島に原爆が投下された日、8月9日の長崎に原爆が投下された日、そして8月15日の「終戦記念日」、である。
広島に原爆が投下され76年目に当たる6日の金曜日、家にいた私は、広島平和記念式典を観ようとして驚いた。丁度黙とうの時間が過ぎた辺りに、NHK総合テレビと民放4局を次々と選局してみたところ、記念式典を中継しているのは、何とNHKだけだったのだ。「日本人の誰もが忘れてはならない日」と信じている、その日の記念式典を、民法キー局は取り上げていない。映っていなかったのは、“たまたま”だったのかもしれない。しかし、どうもそうとは思えない。今のテレビ局は、国民に真実や教訓を伝える報道としての役割と矜持を、どこかに捨て去ってしまったのではないだろうか。恐らく、“視聴率”という魔物に操られてしまっているのだろう。原爆に翻弄された人々のことを考えると、胸が詰まる。
もう一つ、胸が詰まる思いをしたことがある。いわゆる「黒い雨訴訟」で、日本政府が上告しないことを決めた、先月末のことだ。原告らは、気象台による調査で“黒い雨”が1時間以上降り続いたとされる「特例区域」の外にいたため、これまで被爆者と認められてこなかったが、この上告断念により、原告84人全員を被爆者として認めた広島高裁判決が確定し、被爆者手帳が交付されることになった。
このニュースをネットで見ていて、「こうした訴訟は金目当ての弁護士が煽ってやらせていることで、第一76年間も生きているのだから放射能の影響なんてない」と、誹謗中傷する内容の投稿を見つけてしまったのだ。驚くやら腹立たしいやら、今探しても見つけられないのが残念だが、これを読んだ時には本当に悲しくなってしまった。小説『黒い雨』(新潮社、1980)を上梓した井伏鱒二が存命であったなら、何といって戒めただろう。どんな状況下に置かれても、他人の痛みが分かる人間でありたいものである。
最後に、いつものジョンズ・ホプキンス大学による感染状況の集計結果を記載しておく。日本時間8月10日17時の時点で、世界全体の感染者数は2億338万人を、亡くなった人は430万を超えた(NHK 特設サイト 新型コロナウイルス:※1)。半年前の916話を読み返すと、感染者数1億629万人、死者数232万人と記しているから、この半年で凡そ1億人感染者が増え、約200万人亡くなったことになる。年明け早々には、感染者数3億人、死者600万人なんて途方もない数字が現実のものになってしまうのだろうか? 恐ろしい! (※1:https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/world-data/)
【文責:知取気亭主人】
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「黒い雨」
【著者】 井伏鱒二
【出版社】 新潮社
【発行年月】 1970/06/29
【ISBN】 978-4101034065
【頁】 416ページ
【定価】 781円(税込)
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