2022年8月24日
歳を取ると、昨日の記憶はあやふやでも若かりし頃の記憶は何故か見事に思い出す、と良く聞く。確かにそうだ。僕も経験済みだ。人の名前など特にそうで、つい最近まで顔を合わせていた知人の名前はなかなか出てこないのに、もう随分会っていない小中や高校の友達の名前は、意外とすらすらと出てくる。そんなことが度重なって、「俺も認知症になってしまったのではないか!」などと不安を抱いているご同輩も多いことと思う。
しかし、これは僕の都合の良い解釈ではあるのだが、恐らくそうした記憶機能の衰えというものは、長生きの人にとって精神衛生上都合が良いから敢えてそうなる様に出来ているのではないか、と思っている。歳を取れば色々と衰えてくるのは当たり前のことで、中でも記憶に関する不都合な事態は長生きするために人類が獲得した特技である、と思うようにしているのだ。つまり、齢を重ねると色々な失敗が増える。そうした失敗をいちいち覚えてると、何時も落ち込んでいなければいけない。そうならないためには忘れるのが一番、ということである。また、そう思うようにすると、実際気も楽になり前向きにもなれる。
実際の記憶のメカニズムは専門家にお任せするとして、僕なりの表現で言うなれば、記憶はタンスに例えることが分かり易い。若かりし頃の記憶は下の方の引き出しにしまわれていて、最近の記憶は一番上の引き出しにしまわれている、と思っている。ただ、齢を重ねる毎に引き出しの段数が増えてくれればいいのだが、(僕の脳に限ったことなのかもしれないが)還暦を迎えるあたりからは、タンスにもガタが来て、どうもそう都合よく行かなくなってくる。すると、齢を重ねるほどに記憶は増える一方だから、どうしても整理をしないと入りきらなくなってくるのだ。
ではどう整理するのかと言えば、タンスにしまっている衣類と同じで、着られなくなった物は、捨てるなり、譲渡するなりして処分するのだ。記憶の断捨離である。そして、残った記憶は、衣類と同じで直ぐに引き出せる様に整頓しておく。そんな複雑な事を、脳は我々が意識せずともきっとやってくれているのだ。文頭で「見事に思い出す」と書いたが、直ぐに思い出せるのは、整理整頓されてしまわれているからに他ならない。
ところが、歳を取るとこの断捨離が上手く出来なくなり、新たに溜まっていく記憶は、整理されないまま一番上の引き出しに雑多に放り込まれてしまう。すると、思い出そうとしても整理整頓されていないから、中々目的の記憶が引っ張り出せないのだ。我ながら上手い例えだと自画自賛したくなるが、恐らくそういうことではないかと思っている。そうした新たに溜まっていく記憶の様子は、何となく整理整頓が下手くそになってきた机の上の乱雑さとよく似ていて、乱雑に置かれていれば目的の物が直ぐに引っ張り出せないのは道理である。
一方、整理整頓されているから引っ張り出し易いとは言え、半世紀以上も前の幼い頃の出来事まで、断片的であったとしても思い出すことができるのは、驚異であると共に、記憶の不思議な点でもある。僕が思い出せるので一番古いのは、小学校に入るか入らないか位の頃の、70年近くも前の出来事だ。しかも、楽しい思い出も嫌な思い出も混ぜこぜにあるのだが、敢えて当時を思い出そうとすると、何故だか悔しい記憶の方が鮮明に思い出される。考えて見れば、その悔しさがこれまでの原動力になっていたのかもしれない。その頃で一番鮮明なのは、小学校1年生の時に、転校して間もなく担任の先生に浴びせられた屈辱の一言だ。65年以上も前の事なのに、担任の名前と共に今も鮮明に覚えている。悔しかったのだ。負けず嫌いに加え、意外と執念深いのかもしれない。
いずれにしても、そんなに昔の事も昨日の事の様に覚えている。時が経てば、しまったままの衣類が気を付けないと虫食い状態になってしまうのと同じで、記憶も虫に食われたように断片的にしか思い出せなくなる筈なのに、である。しかし、前述したような強烈な思い出のものは、虫への抵抗力が強いらしく、食われずにしっかりと残っている。
ところが、強烈な思い出であるのにも拘らず、経験したその時の感覚を思い出せないものもある。何れも子供の頃に遊んでいてしでかした、痛い記憶に関しては、その時起こった事柄は思い出せるのだが、痛かった感覚がどうしても思い出せない。ナタで人差し指を切った事も、石で左手親指の爪をつぶした事も、アシナガバチに顔を何カ所も刺された事も、大泣きした事は思い出せても、痛みは思い出せないのだ。その後も今日まで数多くの痛い目に遭ってきたが、やはり事態の過程や内容、そして痛かったことは記憶として残っているのだが、痛みの感覚は思い出せない。
でも、それで良いのだろうと思う。痛みも記憶として残っていたら、毎日が苦痛でたまらない。恐らく、気が狂ってしまうだろう。痛みほどではないにしろ、悔しかった感覚も、悲しかった感覚も時間とともに薄らいでいくからこそ、人間は生きていけるのだろう。それこそ、忘れることは人類が獲得した特技なのだ。だから、ご同輩、忘れっぽくなっても気にしない、気にしない!他人の名前ぐらい出て来なくても、ドンマイドンマイだ!
最後に、いつものジョンズ・ホプキンス大学による感染状況の集計結果を記載しておく。日本時間8月23日17時の時点で、世界全体の感染者数は5億9676万人を超え、亡くなった人は646万人に迫っている(NHK 特設サイト 新型コロナウイルス:※1)。
(※1:https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/world-data/)
【文責:知取気亭主人】
梨をむいた皮を2個分並べた模様
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