2023年3月29日
先週の金曜日(3月24日)は、孫息子と末の孫娘の終業式だった。これで我が家の孫たちは、1週間前に小学校の卒業式を終えた一番上の子が中学生に、下の二人も4月から5年生と2年生になる。子供の成長は本当に早い。特に一番下の孫娘は、先に体が大きくなっていく姉や兄とどうしても見比べてしまうため、爺や婆にとっては小さいままの期間が長く感じられ、ついこの間までオムツをしていたのに、と感慨深いものがある。
感慨深いと言えば、その末の孫娘の小学校入学と同時に始まった、放課後児童クラブ(以下、学童)への僕のお迎えも今週から2年目に入り、孫より先に“お迎え二年生”になったこともそうだ。新鮮な1年だった。僕が育った昭和30年代と今の令和の時代とでは、時代背景も子供の数も、親の働き方も家族の在り方も、そして子育ての考え方も大きく違うため、お迎えに行って目にする“あれやこれや”に戸惑ったこともあった。ただ、元気な、そして屈託の無い子供たちの姿を見ていると、「良い学童に預けたな」と思う。子供が育っていく上で必要だと思っている事を実践してくれている、と感じるからだ。そんなこんなも含め、この機会に、この1年で感じた事、考えた事を少しまとめてみた。
まず戸惑ったのは、車でのお迎えが圧倒的に多い事だ。でも良く考えると、お迎えの基本時間帯が17〜18時となっていて、仕事を持っている親にとっては来られるギリギリの時間であることが分かる。また、家に帰り着いても直ぐに食事の支度をしなければならないだろうから、大忙しの時間帯である事も容易に察しがつく。そうした背景も分かるから、「車でのお迎えはそうせざるを得ないからだ」と僕なりに理解したつもりでいる。
しかし、忙しいお母さんやお父さんには申し訳ないが、爺には少々時間に余裕がある。加えて、「折角の機会だから…」と思うところもあって、敢えて徒歩でのお迎えを実践している。歩いて帰ることを体験することによって、「今のうちに身に付けて欲しいな」と思っている幾つかが自然と身に付くのではないか、と期待しているからだ。例えば、
①身の回りの自然に関心を持ち、季節の移り変わりを感じ取る感性
②寒さや暑さ、そして雨や雪など自然の楽しさと厳しさを、身をもって知る
③色々なコースを歩き、冒険の楽しさを覚え、暗い夜道や危ない所など、町内を知る
④体力をつけ、我慢強さを養う
⑤一緒に歩くことで、孫娘の「なぜ?」や「な〜に?」を刺激する
などだ。そんな爺の思いを何となく感じ取ってくれていたのか、1年経った今、孫娘の成長ぶりを見ると、期待以上の効果があったと喜んでいる。孫たち大好き爺の贔屓目かもしれないが、優しく、感性豊かな子に成長してくれている。我慢強さも付いて来た。上出来だ!
そして、学童に預けて何より良かったのは、同学年ばかりでなく、上の学年の子たちと大勢で一緒に遊んだり、学んだり出来ていることだ。少子化が進み、大人数で遊ぶことが殆ど出来なくなった昨今、とても貴重な体験だ。必要な体験だとも思っている。孫娘が通う学童は、金沢市立の児童館に併設されていて、同じ建物で、児童館主催のトランポリン教室や英語教室なども開いている。だから、学童には通っていなくてもそうした教室に参加する子もいて、交友の幅は一層広い。それもあってか孫娘は、帰途に挨拶を交わす子にちょくちょく出会い、「学童には来てないけどトランポリンに来ている、〇年生のお友達」などと説明してくれることがある。それを聞くと、「いい事だ!」と内心拍手を送っている。
また、時々見かける喧嘩(と言っても口喧嘩だが)も、原因もいきさつも分からないままではあるが、微笑ましく傍観させてもらっている。先生方の関わり方が熱過ぎず冷た過ぎずで、過干渉にならないで見守っている姿は、頼もしくさえ映る。大人が子供の喧嘩を納める時の位置取りは難しいのに、である。だからだろうか、孫娘から、「大喧嘩をしていて怖かった」などの話は聞いたことがない。勿論、小競り合い程度はあるらしい。
ただ、そうした小競り合いなどが起こっても、大事に至らない様に、先生方が早めに上手く対処してくれているのだろう。そして、些細な事でも、迎えに来た保護者に丁寧な状況説明している様子が窺える。その場にいない保護者にとって、そうした状況説明は、大変有難いものだ。安心にも繋がる。こうしてもらえると、小競り合いの様子がある程度想像でき、もしその後子供の様子に変わったところがあっても、寄り添い易い。仮に原因が違っていたとしても、それはそれで他に何かあったことが分かる訳で、それだけでも違う。
怪我をしたり体調を崩したりした時などもそうだ。その時の状況から、どんな手当てをして今はどんな状態かまで、詳しく説明してくれる。孫娘にも、ちょくちょくそんな時があったが、細やかな対応には本当に頭が下がる。先生方のストレスは相当なものだろうに…。
学童の入り口に入ると、正面の壁に、山出保元金沢市長の筆による「夢をみることの出来ない人は あすを生きる力がない」(ドイツの詩人・劇作家のエルンスト・トラーの名言)の額が掲げられている。けだし名言だ。子供は、遊びや経験・体験を通じて夢を抱く。それもあってなのだろう、孫娘から学童での様子を聴くと、良く遊び色々な事を体験している様子を楽しそうに話してくれる。“夢をみる人”になれる様に、手助けしてくれているのだ。そう考えると、アルバイトのお兄さんお姉さん先生も含め、たくさんの先生方に相手をしてもらえる孫たちは、本当に幸せだと思う。有難いことだ。先生方に、感謝!
【文責:知取気亭主人】
名前の由来となった拳が開いたよ(コブシの花)
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