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知取気亭主人の四方山話
 

『文化財修繕工事報告会に参加して』

 

2023年5月10日

今から4年前の2019年6月、我が家の墓を故郷の静岡県から金沢に持って来た。前から候補地を探していた訳ではないが、たまたま2016年に亡くなった母の葬式の際に読経してもらったのが縁で、今のお寺に空いている区画があるか聞いてみることにした。残された我々家族が大いに満足し感動した葬儀となったことも大きかったが、住職の飾らない人柄も決め手の一つとなった。そして、空いている区画もあるということで、迷わず決めた。寺の名を圓通山松山寺(以下、松山寺)という。

その後、墓参りや七回忌法要等で住職と話をするうちに、由緒あるお寺であることが分かって来た。加賀藩には加賀八家(かがはっか)と呼ばれる八人の家老がいて、松山寺は、そのうちの一つである横山家の菩提寺だという。「金沢物語」という金沢の観光・旅行情報サイトには、創建は今から凡そ425年前の1599年とある。本堂と山門が金沢市の有形文化財(建造物)に指定されている事も教えてもらった。金沢市のホームページで調べてみると、金沢市内にある指定文化財(建造物)としては、国指定の13、石川県指定の22、それと市指定の33を合わせた68件の中の一つで、戦禍に遭っていないこともあって古い建物が数多く残る金沢市の中でも、文化的な価値が高い建造物であることが分かる。

https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/1/4280.html

その松山寺の住職から、「松山寺・本堂向拝(ごはい)修繕工事(金沢市補助対象工事)報告会のご案内」をいただいたのは、先月中旬の事だ。ゴールデンウイークの最終日である5月7日の日曜日に開催する、とある。修繕事業に携わった設計と施工の夫々の担当責任者から工事の経過等を教えてもらいながら、併せて文化財の保全方法等を学ばせてもらおう、というのが趣旨だとも書かれている。元々大工仕事に興味があり、すぐに飛びついた。そして、長野県に住む大工の娘婿にも、『面白い催し物があるぞ』と電話を入れた。興味があるとの返事。その後、懸案だった仕事も一区切りつけ、先に電車で来ていた娘と孫の迎えのついでに参加を決めた、との返事が来た。これで我が家は2人の参加だ。

当日は、生憎の小雨模様だったにも拘らず、主催者側も含め30人ほどが集まった。僕のような年寄りばかりでなく、若い方も女性もいる。説明を受ける側としては、程よい人数・雰囲気の説明会となった。まず、本堂内にてパワーポイントを使って、寺の由緒、そして明治に描かれた図絵などから寺の概説があった。その概説の中で驚いたのは、『松山寺御造営一巻留』という古文書には、今の本堂は市内臨済宗のお寺の客殿を買い取りその古材を用いたことが書かれている、との説明だ。元の本堂は1759年の金沢大火(火災の多かった金沢でも最大の火災と言われ、泉野寺町舜昌寺から出火し金沢城殿閣を含め博労町まで、 10818軒が焼失したとされる:https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/kaji.pdf)により焼失し、29年後の1788年に再建されたのが「棟札」で確認できるらしい。しかし、その再建にリユース材が使われていたとは、今流行りのSDGsそのものではないか、と感心してしまった。ただ今回の修繕工事で、本堂だけではなく、向拝も移築した可能性がある事が判明したというから、二重の驚きだ。

写真-1(正面の小屋根が向拝、奥が本堂)
写真-1(正面の小屋根が向拝、奥が本堂)
写真-2(向拝左側面の軒、新旧の垂木が混在)
写真-2(向拝左側面の軒、新旧の垂木が混在)
写真-3(向拝正面の軒裏)
写真-3(向拝正面の軒裏)
写真-4(向拝左側面の古いほぞ穴)
写真-4(向拝左側面の古いほぞ穴)
写真-5(向拝左側面壁の修復痕)
写真-5(向拝左側面壁の修復痕)
写真-6(向拝正面右、柱の修復痕)
写真-6(向拝正面右、柱の修復痕)

また、今回の修繕工事で、明治30年に行われた修繕の際には、竹釘と砂鉄から作られた和釘、そして当時出回り始めたばかりであろう鉄鉱石から作られた丸頭釘の3種類の釘が、混在して使用されていた事が分かったと言う。その他にも、向拝は元々今のような“瓦葺き”ではなく、木の板を重ねた“こけら葺き”だった事が分かったり、向拝そのものが左側に傾いている事が判明したり、色々な発見があったと言う。

更に、取り外した傷んだ材も代表的なものは修繕歴として本堂床下に保存してあったというから、先人の知恵には頭が下がる(今回も古い材は床下に保存してある)。そうした写真をお見せできないのは残念だが、今回行われた現地説明で確認できた、外から確認できる修繕の痕跡を写真に収め、上掲した。遠くからは修繕前と変わらぬ姿としか思えなかったが、よく見ると、匠の技が随所に生かされている。さしずめ、『良い仕事してますね!』である。

ところで、「傷んでいるから修理は必要だ」とは言うものの、文化財に指定されている建物であるから、文化財としての価値を損なう様な修繕は出来ない。そこで、どこで折り合いをつけるのか質問してみた。市との協議を重ねながら、“保存するもの”と、手を加え将来に残すために“保全するもの”を選別して、工事を進めていくのだと言う。言うなれば、建築物版のトリアージュだ。納得である。価値を損なわない為にも、使用できる部材は極力再使用し(例えば、写真-3の軒板など)、欠損したり部分的に腐ったりしてしている部材は、写真-5,6の様に、新たな木を当てて修復したのだという。

また、写真-2に説明書きしたように、そのまま使える材料が足りなくて、今回作った新たな材と、新旧が混在している様な箇所もある。そんな時でも、極力見た目を損なわない様に、同じ種類の木材を使い、自然素材の塗料で古材に近くなるよう塗装を施してあるのだと言う。言われなければ気が付かない程の、見事な出来栄えだ。更には、交換した部材には「令和四年度修理」の焼印を押して、後々の修理に生かす情報もしっかりと残している。

こうして説明を聴くと、文化財を後世に残すという作業は、何とも根気のいる、そして丁寧な作業を必要とするものである。丁寧に薄皮を一枚一枚剥ぐように、先人の技術や知恵に迫っていく。そして新たな発見をし、また後世に伝えていく。そうした作業は、何だか「温故知新」を地で行っているようなもので、改めて四文字熟語の意味を噛みしめた次第である。初めて知る事ばかりで、満足の一日となった。婿殿も満足して帰って行った。

ご住職、ありがとうございました。


【文責:知取気亭主人】


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