2023年5月17日
先月、或るニュースを知って、何だか悲しくなってしまった。兵庫県加古川市のJR加古川駅に設置されていた、俗称駅ピアノ(ストリートピアノとも呼ばれているらしい)が4月30日を最後に撤去される、というニュースだ。「駅利用者に音楽で潤いを!」と始めたのだろうに、演奏のルールやマナーを守らない利用者が相次ぎ、2022年11月に設置されてから僅か半年で、やむなく撤去を決めたという。誰でも自由に弾けるというのが謳い文句ではあるが、駅利用者などを不快にさせてしまっては、それこそ本末転倒だ。
それにしても、心を豊かにしてくれる筈の音楽、その音楽で楽器を奏でる人達にマナー違反が横行していたとは、とても信じられない。ネットを開けば、外国人観光客が日本人のマナーの良さに驚いた、なんて記事をチョクチョク目にするが、そうした事があるのも事実ではあるのだろう。しかし実は、少し前から「日本人のマナーは地に向かって落ち始めているのではないか」と心配する出来事が続いていて、そんなところに今回のニュースである。「矢張りな!」と暗澹たる気分にさせられてしまった。
駅ピアノは、僕の田舎に近いJR浜松駅などにも設置されている。元々は、2008年に「ストリートピアノプロジェクト」として、イギリスのバーミンガム市に設置されたのが始まりらしい。その後世界各地に広がり、通り掛りの人などが駅や空港などに置かれたピアノを即興で演奏する模様は、NHKテレビで、「駅ピアノ」や「空港ピアノ」、或いは「街角ピアノ」と題して放映されている。ピアノに設置された固定カメラで撮影し、これを放映しているのだ。インタビューもしているらしく、演奏者についても簡単にだが触れられている。
この番組、妻が好きで録画してくれていて、時々二人で観ている。演奏者と見物人との思わぬセッションや触れ合いに感動したり、演奏者の人生に拍手を送ったり、或いは試験に向かう途中に立ち寄ったという演奏者を応援したりと、音楽に物語が添えられている様で、我々お気に入りの番組となっている。観る者を心豊かにしてくれるからだ。恐らく、世界に広まり日本にも導入されたのは、そうした効果を期待しての事なのだろうと思う。勿論、長時間占有しないとか、周りの人が不快に感じる様な演奏をしないなど、そこには最低限守るべきマナーがある。マナーが守られているからこそ、聴くものが心豊かになれるのだ。
しかし、JR加古川駅では、目安として定めれている時間を超えて演奏する人や、演奏しながら大声で歌う人、或いは酒を飲んだ状態で演奏する人など、マナーを守らない人がいて、苦情が相次いだらしい。ピアノを設置した加古川市の関係者は、そうした人達に注意するなどしてきたものの、一向に改善されなかったという。穿った見方かもしれないが、当人は自分のやっている事が迷惑行為だと分かっていて、迷惑がっている周りを見て悦に入っているのではないかと思う。そして、そうした迷惑行為の中心は自分だ、などの曲がったヒーロー気分を楽しんでいるのだろう。まるで、回転ずしなどでのイタズラ動画を面白がってSNSなどに投稿し、逮捕・起訴され大騒動になった一連の炎上騒ぎと、何となく重なってしまう。同じ図式の様に思えてしまうのだ。
店が迷惑を被り他の客が困惑する、そうした被害者の姿をあざ笑うかのように楽しむ姿に、眉をひそめる人は多い。ところが、自らの迷惑行為を投稿している本人は、「俺がやってやったぜ!」的なヒーロー気分に浸りたくて、相手にどれ程の損害を与えるかなど、事の重大さを考えずにやっているのだと思う。一言で言ってしまえば、幼稚なのだ。何故こうした若者が増えてしまったのだろうか。そこには、テレビのゴールデンタイムに放送される、頂けない番組が大きく影響しているのではないか、と思っている。
頂けない番組の代表が、出演者(殆どの場合お笑い芸人)に、下手をしたら怪我をしてしまうのではないかと思われる過激なゲームや罰ゲームをやらせ、その苦悶の表情を見て笑いを取る(他の出演者の笑いを煽る)、そうした類の番組だ。過激な言い方をさせてもらえば、低俗な番組だと思っている。
以前にも書いたが、こうしたゴールデンタイムに放映される多くの番組は小学5年生が喜ぶ様な番組作りをしている、と聞いたことがある。確かに、我が家の孫達も嬉々として観ている。どうやら、僕が聞いた話は事実らしい。ただ、やっている(やらされている?)芸人は、仕事である。銭と引き換えにやっていて、十中八九納得づくだ。しかし、子供達は違う。テレビの真似したら、イジメに繋がりかねないのだ。人が失敗したり、苦悶の表情を浮かべたりすることを、笑いの対象としているからだ。
これまで述べた、駅ピアノの一件を始め回転ずしなどでの一連の炎上騒ぎなどは、正にこの頂けない番組のコピーではないかと思う。そこには、明らかにマナーが抜け落ちている。今から80年余も前に『武士道』(矢内原忠雄訳 岩波文庫 1938)を著した新渡戸稲造は、「弱者、劣者、敗者への仁としての優しさ、哀れみ、愛が武士道の最高の美徳だった」と書いているが、上記以外にも一向に無くならない高齢者への詐欺事件などからは、そうした美徳は微塵も感じられない。「日本人のマナーは地に向かって落ち始めている」と感じるのは、あながち間違ってはいないのではないかと思えてしまう。こうした日本の現状を、天国の新渡戸稲造先生は、さぞかし嘆いているだろうな…。
【文責:知取気亭主人】
ドイツアヤメ
|
|