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知取気亭主人の四方山話
 

『夏休みの宿題』

 

2023年8月30日

先週の土曜日(26日)から今週の月曜日に掛けて、同居している長男家族など、金沢在住の大人4人と保育園児から中学生までの孫達5人で、長女家族が住む長野県に遊びに行った。残った爺婆は、久しぶりに二人だけでのお留守番だ。今回の旅行は長男が中心となってひと月ほど前から計画を立てていて、夏休みの最後を楽しく過ごそうと、大人たちも嬉々として出かけて行った。無論、孫達の喜び様は言うまでもない。何しろ、5歳から12歳までの似た様な年代のいとこが久しぶりに6人も集まり、一つ屋根の下に寝るのだ。しかも有難いことに、大人達も子供達もみんな仲が良いから尚更だ。

同居する孫達3人(中1、小5、小2)も、余程嬉しかったらしい。10日ほど前から、『後〇日したら長野だ!』とずっと興奮していた。家族旅行自体も久しぶりだし、初めての長野という孫もいて、尚更興奮していたのだろう。ただ、そうした孫達に“さすがパパ”という威厳を示したのが、長男だ。孫らに聴いたところによると、予定が近づき丁度興奮し始めた頃、『前日までに夏休みの宿題を終わらせないと、長野には行けないよ!』と、厳しい一言があったというのだ。よくよく考えてみれば、当然の“お言葉”だ。何しろ、帰って来た翌々日の30日には2学期が始まるというのだから、夏休みの残りは無いに等しい。毎年ラストスパートを得意としていた小生にとっても、25日以降の1週間はとても重要だった経験が強く記憶に残っていて、長男の“お言葉”はとても他人事と思えない。

そこで、少々心配になって孫達に訊いた。『間に合うかい?』と。すると、『大丈夫だよ!』との頼もしい返答だ。それでも、ひょっとして忘れている宿題があるのではないかの親心、ではない“爺心”で、『〇〇はどう?』、『△△は終わった?』と訊いてみた。するとどうだろう、小生が小学校の頃に課せられていた夏休みの宿題とは、随分様変わりしていて、『○○の宿題は無いよ!』、更に「△△」に至っては、『△△って何?』と不思議がっている。爺の小学生時代と言っても半世紀以上も前になるのだから、今と宿題の内容が変わっていても何ら不思議ではない。とは言え、何だか浦島太郎の心境だ。少々寂しくもある。でも、何事も時代に合わせて変わっていくことは、必要なことでもある。そう考えると、爺の小学生の頃の夏休みの宿題はどんなんだったか、今の時代と比較してみるのも面白そうだ。ということで、今回は、夏休みの宿題をテーマに、今と65年程前とを比べてみた。

爺の時代にもあり、尚且つ今年中1の孫娘(以下、姉)が小学校の時にはあったのに急に無くなってしまったのが、絵日記だ。他の都道府県や市町では今もあるのかもしれないが、小2の孫娘(以下、妹)が通う小学校では、宿題として出されなくなったらしい。爺の頃には定番だっただけにビックリだ。ただ、絵日記の代わりなのか、逆に昔は無かった「一日一行日記」という課題があるらしい。もっとも、(甚だ疑問なのだが)“書いても書かなくても良い”と言われているらしく、孫娘は『書いてないよ!』と胸を張る。自主性を重んじているのか、そうした強制力のない宿題があるということ自体、驚きだ。でも、今年の春小学校を卒業したばかりの姉は、3年生の時1度だけあり、その時は提出しなければいけなかった、と言う。そんな事から、担任次第ではないかな、と姉は見ている。実際はどうなんだろう?

一方、姉も妹も『それって何?』と訝しんだのは、『夏休みの友』だ。地域によって多少名前が違うかもしれないが、爺の頃には必ず夏休みの宿題として配られた冊子だ。しっかり綴じられた中に、算数や国語などの課題が印刷されていて、この一冊に、絵日記や昆虫採集や工作以外の宿題が、全て網羅されていた。ところが、孫達は知らないと言う。よくよく訊いてみると、似た様なのがあるにはあるが、「□□ワーク」などの様に名前が変わっているという。姉によれば、毎年のように名前が変わっていて、どうやらどの出版社の物を使用するかによって違うらしい。ただ、今でも似た様なものがあることを聞いて、何でか分からないが、何となくホッとした自分に老いを感じてしまった。

逆に、今の時代だなと感心したのが、タブレットを用いた宿題だ。具体的にどんなことをするのかは知らないが、妹からそんな宿題がある事だけは聞いている。今の時代はそうなのだろうな、と思う。世の中にDX(Digital Transformation)の二文字が溢れている様に、これからの時代は、デジタル技術を使いこなし、世の中を変革していこうといううねりにも似た大きな流れがある。そうした流れを止めない為には、なるべく低学年のうちからデジタル機器に触れITリテラシーを磨いていく必要がある、との判断なのだろう。

“流れ”ということで言えば、英語の宿題も、爺の時代には無かった新たな宿題だ。2020年度から始まった小学校での英語教育では、小学5年生、6年生では正式な教科となっているらしい。姉の話だと、夏休みの宿題にも英語はあったという。孫達の話を聴いていると、つくづく時代の流れを感じてしまう。「十年一昔」がその通りだとすれば、爺の小学生時代はもう七昔近くにもなる訳で、考え様によっては、この程度の変わり様は“可愛いもの”、なのかもしれない。


【文責:知取気亭主人】


今年の百日紅は疲れている様に見える
今年の百日紅は疲れている様に見える

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