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知取気亭主人の四方山話
 

『速く便利にはなったけれど…』

 

2023年9月6日

鬼が笑う話を一つ。来年の3月16日、北陸新幹線の金沢〜敦賀間開業が決定した。2015年に金沢〜長野間が開業し、金沢〜東京間が一気通貫で行き来できる様になってから、何だかんだで9年もの歳月が流れたことになる。小松や福井など金沢以西の人達にとっては、さぞかし待ち遠しかったことだろう。何しろ金沢が首都圏と新幹線1本で結ばれたことによる集客効果が、あちこちで喧伝されてきただけに、加賀温泉郷や芦原温泉など、金沢〜敦賀間沿線で観光客相手の商売をしている人達にとっては、「やっと新幹線が来る!」の思いが強いのではないかと思う。そして、その効果に大きな期待を膨らませていることだろう。

ただ、その先の敦賀〜大阪間の開通はまだ目途も立っていないから、敦賀まで開業したとしても片肺飛行の様なものである。全線開通までにはもう少し時間が掛かる。とは言え、8月31日付の北陸中日新聞朝刊(以下、朝刊)によれば、金沢〜大阪間は現行よりも22分短縮され、金沢〜名古屋間は16分短縮されるという。これを、便利と言うか、敦賀での乗り換えが増えた分不便になったと言うかは議論のあるところだが、いずれにしても、所要時間が短縮されることに間違いはない。所要時間が短縮されるというのは、確かに時間の有効利用に繋がる。しかし、旅を楽しむという側面からすると、「速く便利になれば良い」という単純なことでもないだろう。

高校1年の時、通学時に利用していた乗換駅である東海道本線掛川駅のプラットホームで見た、開業したばかりの東海道新幹線のその圧倒的なスピードとパンタグラフから出る強烈な火花、そして耳をつんざく轟音にビックリした記憶がある。東海道新幹線が開業した翌年、1965年(昭和40年)の事だ。まだ、山陽新幹線も東北新幹線も開業しておらず、東海道新幹線以外は、ノンビリとした旅が満喫できた時代だ。

「準急」などという、今では聞いたこともない列車も走っていた。また、特定の観光列車以外では殆ど見ることが無くなった蒸気機関車も、当時は至る所で走っていた。高校の通学に使っていた当時の二俣線(今の天竜浜名湖鉄道)でもよく見かけていたし、金沢の大学に進学して高山線(富山→名古屋)を使って帰省した時には、興味本位で蒸気機関車に乗り、トンネルが余りに多く窓の開け閉めに往生した苦い経験もある。その後高山線から蒸気機関車は姿を消してしまったが、住みついた金沢は、相変わらず首都圏や関西圏からは時間の掛かる地方都市であった。

昭和の時代、金沢から首都圏への出張は、金沢〜米原間は在来線の特急を使い、米原駅で東海道新幹線に乗り換えて東京に出る、このルートをよく使っていた。日本海回りもあったが、当時はそのルートが最速だったと思う。ただ、米原駅での乗り継ぎがスムーズに行った場合でも、5時間は掛かっていた。昭和の時代が終わり、1997年(平成9年)に「北越急行ほくほく線」が開通して、上越新幹線の越後湯沢駅で乗り換え東京に出るルートができてからは、もっぱらそちらを使う様になったが、それでも最速で4時間掛かっていた。他に飛行機という手もあったが、飛行場との移動や余裕を持っての待ち時間などを考えると、結局鉄道とさして変わらぬ移動時間が必要となってしまい、たまにしか使ったことがなかった。

どうしても朝一番の打ち合わせに間に合わせたい時には、夜行列車という手もあった。寝台特急「北陸」と寝台急行「能登」があって、何度か乗ったことがある。「能登」の場合には、夜10時ごろ金沢を出て、翌朝の5時過ぎに上野駅に着いていた。通路に付いた小さな椅子に腰かけ、買い込んだ酒をチビリチビリやりながら車窓から見る町や村の明かりは、結構風情があったものだ。今では新幹線を使えば2時間半で走ってしまうところをノンビリと約7時間も掛けていたのだから、車窓からの景色をタップリと楽しむことができたのを分かってもらえると思う。また、上野駅近くで朝早くに開いていた食堂で朝食を食べ、時間を潰したのも懐かしい。あの食堂は今でも開いているのだろうか?

そうした、出張といえどもノンビリ旅を楽しめた時代から、「速く便利に…」を合言葉に、世の中はどんどん高速化に向かっている。次々と新幹線も整備されている。確かに便利になった。それは間違いない。2015年の金沢〜長野間開業で首都圏への日帰り出張も楽にできる様になり、想像以上の便利さを実感している。首都圏を中心とする県外からの観光客の増大で、地元経済も潤っている。ただ、光が当たる部分があれば、必ず陰の部分もある。

陰の部分とは、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化以降、新たな新幹線の整備の陰で、JR各社は不採算線を廃止したり、第三セクターに運営を移管したりしてきていることだ。また、新幹線が出来たお陰で、逆に地盤沈下が進んでしまったという悲哀もあるだろう。能登半島の鉄道についてみると、金沢と輪島を結んでいた「七尾線」は、2001年の輪島〜穴水間の廃線により、金沢(正確には津幡駅)から七尾まではJR西日本が、その先の七尾〜穴水間は第三セクターの「のと鉄道」が運営する変則スタイルになっている。また、穴水から北上して能登半島南岸を珠洲市蛸島駅まで走っていた「能登線」は、「のと鉄道」への移管を経て、2005年には遂に廃線になってしまった。車窓からの眺めは最高だったのに、残念だ。利用客が少なければ廃線もやむなし、も分からないでもないが、ノンビリ旅が性に合っている身としては、「なんだかなぁ〜」と寂しい気持ちになってしまう。歳なのかなぁ〜?


【文責:知取気亭主人】


白い百日紅も暑そう!
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