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知取気亭主人の四方山話
 

『何が違う?』

 

2024年4月10日

10日で、「令和6年能登半島地震」の発災から丁度100日目となります。亡くなられた方々に哀悼の意を捧げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

それにしても時の過ぎ去るのは本当に早い。100日もあっという間だった。ひと月前に比べ大きな変動はないが、人と住宅の被害状況を、以前と同じ表にまとめてみた。

死者(人) 行方不明者(人) 負傷者(人) 住家被害(棟) 備考
石川県 241(15) 確認中 1,189 76,101 4月5日14時現在※1
新潟県 0 0 49 21,717 4月4日13時現在※2
富山県 0 0 47 16,019 3月27日10時現在※3

なお、石川県内での安否不明者は、一時より随分減って残すは2人と発表されている。その一方、いまだに約6,320戸もが断水となっていて、遅々として進まない復興の一端を物語っている。また、避難所生活を送る人たちも6千人を超えているという。半島でかつ過疎地という復興支援に手かせ足かせとなる悪条件が重なっている地域だからだ、とは思う。しかし、日本はこれまで数多くの震災を経験し学びもしている筈なのに、と悔しくもある。
(※1:https://www.pref.ishikawa.lg.jp/saigai/documents/higaihou118.pdf)
(※2:https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/401939.pdf)
(※3:https://www.pref.toyama.jp/documents/38062/higaishien38.pdf)

7日の日曜日、小生が住む町会の総会が開かれた。今の時期恒例の定期総会だ。今年は、執行部から示された住所、世帯主、電話番号が書かれた名簿を「定期総会議案書」には載せない、という方針が審議の中心となった。前年の総会時にも名簿の取り扱いを巡り熱い議論がなされたが、時の執行部から、災害発生時には安否確認などで必要になるからということで、そのまま今の執行部に引き継がれていた。1年が過ぎた今回、能登半島地震の経験を踏まえ、改めて全員に問題提起をした形だ。

前役員が案じていたその“よもやの事案”が、よりによって元旦に発生した。思ってもみなかった「令和6年能登半島地震」により、町会でも、一部住宅の損壊や道路の破損など、能登地域ほどではないものの被害が発生した。水道管も損壊し、我が家周辺では断水も経験した。また、震度5強の激しい揺れは、町会の全世帯に衝撃を与えたことだと思う。当時町内で出会う知り合いと交わした言葉は、『怖かったね!』だった。そうした経験もあって、緊急時としての連絡先はやはり必要だ、と感じて臨んだ総会だった。

その総会で進行役を務めた議長は、深刻な被災を経験した当事者だった。珠洲市で被災した時の様子を熱く語り、その上で『執行部としては載せない決断をしたが、私自身は必要だと思っている』と言っていたのは、偽らざる心境だと思う。現執行部も悩んでいる事が分かる。その方は、里帰りしていた珠洲市のいわゆる孤立集落となる地区で被災し、家は全壊、金沢に帰ってこられるまで多くの被災者と同じ様に車の中で寝起きしていたらしい。自衛隊により支援物資が手元に届けられたのは、3日後だったという。崩れ落ちた家屋からは食料も水も持ち出せず、3日間手元にあった僅かばかりの食料と隆起で干上がった海岸から拾ってきたサザエなどで飢えを凌いだ、という衝撃的な経験を語ってくれた。また、深刻な震災が起こった時に頼りになるのは周り近所との繋がりだ、とも語っていた。やはり、いざという時の為にも地域住民が力を合わせて事に臨むことが必要不可欠だ。それを象徴する出来事がニュースで報じられ、我々日本人の災害復興に対する概念に一石を投じている。

4月3日、台湾東部の花蓮市沖で、M7.7の大地震が発生した。7日現在、死者13名、連絡が取れない人6名、負傷者約1100名の人的被害が出ていると報じられている。また、建物被害も全土で830棟に及ぶなどと報じられているが、その迅速な災害対応ぶりに、日本のメディアがこぞって称賛の声を上げている。花蓮市では、発生から僅か2時間後にはプライバシーを確保できる個室型のテントが設置されたという。道路状況や気象条件など台湾に比べ劣悪であることは否めないが、ニュース映像で見る避難所は、能登とは雲泥の差だ。

この違いは何なんだろう?たまたま見ていた報道番組によれば、防災の主体と日常的な訓練に、大きな違いがあるらしい。日本は行政が主体となっているのに対し、台湾では奉仕の考え方が根付いていることもあって民間の慈善団体や活動家が主体となって初動から支援をしているのだという。そして驚いたのは、行政と町内会とが週に1回、防災会議をしているというのだ。勿論、支援団体も参加しているのだと思う。住民の防災への当事者意識が極めて高い。行政任せの日本とは大違いだ。そして、これだけ密に活動していれば、他人との繋がりは保たれていて、敢えて名簿など必要ないのかもしれない。

こうした台湾の防災のあり方は、日本に学んだものだという。「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」とは正にこの事だ。今は日本が台湾に学ぶべきだ。東日本大震災の際、「日本の避難所は難民キャンプよりも劣る」という野口健氏の意見を知ったが、難民キャンプの避難所設営には国際的な「スフィア基準」という基準があるという。また、地震災害が多発するイタリアでも避難所の設置基準が法律で明確に定められているという。プライバシーの確保、トイレ、食料、生活用品など、限りなく普段の生活に近い状態を構築する、という考え方が基本にあるという。今回の台湾も全く同じ発想だと思う。我々も始めよう。まず旗振り役の省庁を設け、全ての国民が防災は自分事と捉え、仏教界などにも慈善団体を立ち上げてもらおう。そして、被災は自己責任という考えを捨て、関東大震災以来変わっていないと揶揄される避難所の実態を、早く台湾レベルまで持っていきたいものである。


【文責:知取気亭主人】


コブシ
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