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知取気亭主人の四方山話
 

『親心』

 

2024年5月15日

今私たちの身の回りには、気になるニュースが溢れている。日本にいても少なからず影響を受けるであろう世界的なニュースもそうだ。イスラエルによるガザ地区での戦禍、ロシアによるウクライナへの侵略戦争、「もしトラ」と揶揄されているアメリカ大統領選挙に関連するものなど、挙げれば枚挙にいとまがない。一方国内に目を向けると、なかなか復興がおぼつかない「令和6年能登半島地震」を筆頭に、今後の我々の生活に大きな影響を与える政治に関する裏金問題など、注視すべきニュースが数多くある。ただ裏金問題については、問題の当事者である自民党から「本当に国民の声が分かっているのだろうか?」と疑いたくなるような改革案しか示されておらず、あんぐり開いた口が閉じられない状態だ。

そんな幾多あるニュースの中で、とりわけ気になったニュースがある。野次馬根性もあるのだが、栃木県那須町の河川敷で50代夫婦の焼損された遺体が見つかった事件だ。何故それ程気になったかと言えば、その残忍な殺され方もさることながら、明らかにされている犯人たちの繋がりやその若さに驚いているからだ。そして、その若い犯人たちの心模様が凄く気になっている。

事件の詳しい内容は報道に譲るが、当初は何か得体の知れない組織が暗躍しているのではないかと囁かれていただけに、容疑者たちのスピード逮捕に正直驚いている。しかも、逮捕された6人がみんな若い。20歳の2人を筆頭に20代が4人、残りが32歳と36歳だ。何れも後期高齢者となった我が身にとっては、孫と言っても良いぐらいの若さだ。中でも20歳の2人は、テレビ画面に映し出された顔写真を見る限り、まだあどけなささえ残る。そしてもっと驚くのは、主犯(直接手を下した)とされる30代の2人と違い、20代の4人は被害者たちと直接的な繋がりが無く、どうやら金銭で人や車の手配をしたり、遺体を運んで焼損させたりしたとみられていることだ。この構図、何やら特殊詐欺グループ「ルフィ」が引き起こした事件(以下「ルフィ事件」)を彷彿とさせる。

フィリピンを拠点に、4人の指示役をトップとするグループ「ルフィ」が、詐欺や広域強盗を働いた事件だ。指示役はその名の通り指示に徹して表に出ず、「掛け子」だとか「受け子」を使って詐欺を働いたり、闇バイトで雇った「実行犯」に強盗をさせたりして、その非道な手口で日本中を震撼させたのは記憶に新しい。この事件の報道で「闇バイト」なる言葉を初めて知ったのだが、闇バイトに手を染め逮捕された犯人たちは、その殆どが若者だった。金に困った若者にアルバイト感覚で犯罪に加担させるとは、恐ろしいことを思い付いたものである。恐らく若者の方は、手軽に高額な金を手にできるからと、安易な気持ちで応募したのだろう。よく考えればこの世の中に手軽に金が得られる仕事などある筈がないのに、である。しかし若者たちは、取り返しのつかない罪を犯してしまった。

犯罪に手を染めた彼らは、被害者の事を考えなかったのだろうか?どんなに悲しむか、或いはどんなに痛手を被るか、そんな想像力は働かなかったのだろうか?百歩譲って、こんな犯罪に手を染めたと知ったら親兄弟は悲しむだろうな、などと想像できなかったのだろうか?親子の情が薄い若者が手を染めていると思いがちだが、『YAHOO!ニュースJAPAN』に掲載されていた「ルフィ事件」の「掛け子」受刑者の手記を読むと、あながちそうとは言い切れない(https://news.yahoo.co.jp/articles/3178b455899677d216e6bcb69fe51c3b3592bb57)。手記の彼は、『虐待された経験はなく、両親は離婚したものの愛をもって接してくれていたと思う』と語っている。その手記からは、親子の情が通じ合っていたことが分かる。ではそんな彼が何故犯罪に手を染めたのだろうか?少しだけ相手を慮る想像力が足りなかったのではないか、と思っている。

明治維新で幾多の英傑が巣立った「松下村塾」、ここを開いたことで知られる吉田松陰に、「親思う こころにまさる 親心 けふの音づれ 何ときくらん」という良く知られた歌がある。この歌は、30歳という若さで安政の大獄により処刑された松陰が、処刑される1週間前に詠み、郷里の両親に送っていたとされる。両親への思慕に溢れる素敵な歌だ。少し意訳も入るが、「子供の私が親を思っている以上に、子の私を思う親心は強いものでしょう。それを考えると、私が処刑されたとの知らせを受けたらどれほど悲しむことでしょうか」の意味だ。悲しい内容だが、親に対する一途な想いと、親の心情を慮るその豊かな想像力に溢れている。

松陰はこの歌を、犯罪に手を染めてしまったくだんの若者たちと似た様な歳の時詠んでいる。今と違うとすれば当時の若者が総じて早熟であったことや時代背景だが、どんなに時代が変わろうとも親子の情愛に変わりは無い、と思う。ただ、闇バイトを通じて犯罪に手を染めてしまった若者の中には、親子の情愛を通わせたことのなかった者もいるだろう。しかし手を染める前に立ち止まり、「こんなことをしたら親は悲しむだろうな」、或いは「お世話になったあの人が知ったら…」などと、自分のことを心底案じてくれる人の心情を想像し慮る事ができたなら、思い止まったのではないかと勝手に想像している。

我々も、「親思う こころにまさる 親心」を常に心で念じて生活したいものである。さすれば、(地震はさて置いて)冒頭のような暗いニュースは激減する筈である。


【文責:知取気亭主人】

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