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知取気亭主人の四方山話
 

『ヒーロー』

 

2024年5月29日

今から80年程前、一人のスポーツマンが日本中を熱狂させた。名前を古橋廣之進という。水泳選手である。静岡県雄踏町(現浜松市中央区の一部)の出身で、敗戦に打ちひしがれ、占領軍によって米国との圧倒的な物量・経済規模の違いを見せつけられて下を向きがちだった日本国民に勇気と感動を与え、前を向く意欲をたぎらせてくれたヒーローだった、と子供のころによく聞かされた。今の若い人は、聞いたことが無いと思う。しかし、80代、90代以上の人にとっては、「フジヤマのトビウオ」と称賛された、スポーツ界のスーパーヒーローだったと言える。何せ何度も世界新記録を打ち立て、自信喪失状態だった日本人に、やればできるんだという自信を回復させた功績は、とてつもなく大きい。

『TEAM JAPAN』というサイトの「Japanese Olympian Spirits シリーズ第一回:古橋廣之進※1」に、そうした世界新記録や幻のオリンピックなどについて詳しく書かれている。
(※1:https://www.joc.or.jp/column/athleteinterview/legend/01furuhashi/html/index.html

         

それによれば、敗戦後の動乱の中、1947年(昭和22年)に初めて世界新記録を打ち立てたとある。そして翌年開催のロンドンオリンピックと同日、同時刻に開かれた日本選手権で優勝した古橋のタイムは、2種目でオリンピック優勝タイムを遥かに上回っていたという。何故そんなタイミングで大会を開いたかと言えば、敗戦国の日本はドイツと共に同オリンピックへの参加が許されなかったため、日本水泳連盟は日本選手権と銘打って記録比べをやったのだという。世界は当初、この古橋の記録を全く信用しなかったらしい。しかし、国際水泳連盟に復帰した日本水泳連盟が初めて参加した1949年(昭和24年)の全米選手権大会で、400m、800m、1,500mの3種目とも世界新、800mリレーでも世界新で優勝し、そこで初めて古橋の強さは本物だと認めたらしい。その時の称賛の呼称が「フジヤマのトビウオ」である。敗戦に打ちひしがれた当時の日本人にとって、久しぶりに感じた胸のすく思いだったに違いない。

ただ上記サイトにも書かれている様にオリンピックには縁がなく、体調不良もあって、初めて参加した1952年(昭和27年)ヘルシンキオリンピックでは結果を残せず、メダルには届かなかった。しかし、古橋の後に続いて水泳界に再びヒーローが表れる。山中毅である。惜しくも金メダルは獲得していないものの、続いて行われた1956年(昭和31年)のメルボルン大会と1960年(昭和35年)のローマ大会では、それぞれ自由形の2種目で銀メダルに輝いている。その間、米国、豪州の選手と三人でしのぎを削り、数々の世界記録を樹立したのを、子供心にもよく覚えている。

当時の時代背景と言えば、戦後10年が経って徐々に経済活動が活発になり暮らし向きが良くなり始めたとは言え、時々出かけた浜松市の繁華街では街頭で物乞いをする傷痍軍人をまだ良く見掛けていたし、我々子供も鉄屑拾いなどをして小遣い稼ぎをしていた、まだまだ貧しい時代であった。そうした時代にあって、世界のトップ選手と伍して戦う山中の活躍は、復興を目指し懸命に働く国民にとって、何よりの励みになった筈である。子供の私にとってもヒーローであった。

山中は、石川県輪島市の出身である。その山中が練習していたと言われるのが、輪島港の西側に位置し、海岸の岩をくり抜いて造った「鴨ヶ浦塩水プール」だ。もう40年以上も前になるが、仕事で良く訪れていた時分に、地元の人がそう教えてくれた。その当時、『輪島高校3年の時にオリンピックで銀メダルを取ったんだよ!』と、目を輝かせてそのおばちゃんは教えてくれた。山中と共にそのプールは、地元にとっての誇りだったのだ。ところがそのプールは、今回の能登半島地震で地盤が隆起したため海水が入らなくなってしまい、当時の面影は無くなってしまった、と報じられている。今回の地震は、そうした地元ヒーローの記憶さえも消し去ろうとしている。

ところが、である。神様は見捨てなかった。新たなヒーローを予感させる、スポーツ選手を誕生させてくれたのだ。大相撲の大の里である。

大の里の目覚ましい活躍は、改めて書くまでもなく、皆さん良くご存じだと思う。地元石川県だけに留まらず、先場所優勝した尊富士と共にこの先大相撲界を背負って立つニューヒーロー、そんなことをも予感させてくれる逸材だ。古橋廣之進と山中毅に関して長々と述べた様に、スポーツ選手がその世界でトップ選手として活躍する姿は、人々に感動と勇気を与えてくれる。沈みがちな気分の時は尚更効果がある。そうした意味においても、能登半島地震で甚大な被害を被った石川県民にとって、5月場所における大の里という若者の優勝は、計り知れないほどの元気を与え、明日に向かって歩んでいこうという活力に、そして希望の光になったのではないかと思う。

ただ、復興がこの先何年も掛かる様に、大の里には被災地への応援団長として、息長く活躍してほしいものである。そして、人格も備わった偉大なお相撲さんとして真のヒーローになってほしい、そう願っている。ガンバレ、大の里!


【文責:知取気亭主人】

ピンクカクテル
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