いさぼうネット
賛助会員一覧
こんにちはゲストさん

登録情報変更(パスワード再発行)

  • rss配信いさぼうネット更新情報はこちら
知取気亭主人の四方山話
 

『流れ、つき、運』

 

2024年6月12日

まずもって、断りもなく先週お休みしたことをお詫び申し上げたい。アップ前日だった4日(火)の午後から、急に悪寒がして寝込んでしまったのだ。朝起きた時からなんだかゾクゾクするなとは思っていた。午前中草取りしたまでは良かったが、午後になって急に具合が悪くなった。寄る年波には勝てず、あえなくダウンである。4日朝の時点で四方山話はまだ半分程度しか仕上がっておらず、体調不良を理由にキャンセルを申し出た。2003年来20余年書いてきて、こんな事由でキャンセルしたのは初めてだ。

次の日、朝からその他一週間分の予定もキャンセルして、掛かりつけ医の発熱外来に行った。検査の結果、新型コロナにもインフルエンザにも罹患していないと分かり、正直ほっとしている。孫を含め周りにも体調不良の人が多い。皆さんも夏風邪など召されぬよう、くれぐれもご自愛していただきたい。

さて、本題に入っていこう。今、老夫婦二人でバレーボールのネーションズリーグ(VNL)にハマっている。VNL は1年に1度、世界のトップ16チームが参加する国際大会で、今年は夏に開催されるパリオリンピックへの残りの出場枠(7ヶ国が既に決まっていて残りは5枠)も懸かっていて、戦いも報道もいつも以上に熱い。そんな中、日本の男子代表は既にオリンピック出場権を獲得していて少し安心して観ていられるのだが、女子代表は当落線上にいて、ハラハラドキドキしながら観戦している。

先々週の女子はマカオでの開催ということもあって、試合は生中継され、ブラジル、フランス、中国、ドミニカ共和国との試合を観た。惜しくもブラジルには競り負けたものの、他の3ヶ国には勝って通算成績を6勝2敗とし、6月3日時点のランキングで6位につけている。オリンピック出場の可能性はかなり高くなって来た。暫く前の低迷時期を考えると、今は再び強さと巧さを取り戻している感じがして、自然と応援にも力が入る。負けた強豪ブラジル戦でも一方的な試合にはなっておらず、フルセットまでもつれて、あと一歩というところまで追いつめていた。強くなったものである。

そんな手に汗握る試合を見ていて、不思議に思うことがある。あるプレーを境に急に得点を重ねたり、逆に続けて失点したりというシーンが、どの試合でも必ず何度かあるのだ。そんな時、解説者は『流れが良い』とか、逆に『流れが悪い』とか言う。そして、チームの監督は、相手に傾いた流れを断ち切るためにタイムアウトを取って、その流れを遮断する作戦に出る。驚くことに、その作戦が見事に功を成すことがある。まるで流体の流れを止める様に。そうした時使われる「流れ」とは、一体何を指しているのだろう?「試合内容」のようにも思えるのだが、若干ニュアンスは違うように思う。しかも、目には見えない。なのに「流れが悪い」と言い切れる。不思議だ。

『新村譲編 広辞苑 第四版』(岩波書店 1991)(以下、広辞苑)にも納得のいく説明はない。しいて言えば、「比喩的に、流れていくもの」との説明が、一番分かったつもりにさせてくれる。今回のバレーボールで言えば、試合の流れということになるのだろう。「その試合の流れが良い」、或いは「試合の流れが悪い」となる訳で、正にその通りなのだが、小生にはその実良く分からない。そして何が“その流れ”をコントロールしているのか、これだけ科学が発達した現代でも何だか謎めいている。

素人考えだが、“流れ”をコントロールしているというか、大きく関与しているものの一つに、“つき”があるのではないかと思っている。流れが良い時などボールがネットに引っかかっても得点になるし、逆に流れが悪い場合には同じ様な状況でも相手の得点になってしまう、そんな時使う表現が、「ついている」とか「ついてない」、あるいは「つきがある」や「つきがない」だ。今回のようなスポーツに限らず、トランプや麻雀などのゲームでもよく登場するあの“つき”だ。確かに、ついていれば流れは良くなりそうだ。

VNLに出場している16チームは、何れも世界トップチームだけに実力は伯仲している。そして、この“つき”に左右されるからなのだろう、下位チームが上位チームに勝つ試合が結構ある。ただ、“つき”そのものを見つけることができれば勝敗の行方を予想できるのだが、我々人間にはその“つき”を見ることができない。したがって、「今日はこっちのチームにつきがあるぞ」という見立ても出来ない。だからこそ面白いのだが、目には見えないこの“つき”、流れ同様謎めいてはいるが確かにある。

謎めいていると言えば、“つき”に通じる“運”もそうだ。人間には見えないが確かにこの世にある、と信じている。「良い 悪い」と表現するのが適当なのか、「強い 弱い」の表現が良いのか迷うところではあるが、運が良い人は徹底的に良く、運が悪い人は気の毒なくらい悪い人がいる。「運をコントロールしているのは神様だ」と信じているのか、運の悪い人は、「神様は不公平だ」と嘆く。しかし嘆くだけでは、運は開けないし、つきもやってこない。ましてや流れも変えられない。かの松下幸之助は、「運を強くするには徳を積むことしかない」と説いたという。一流プレイヤーである前に人として一流であれ、ということなのだろう。だとすると、試合中もさることながら試合後の、もっと言えば日々のチームのあり様が、運を味方につけ良い流れを呼び込むとっておきの処方箋かもしれない。どのチームも愛されるチームであれ!


【文責:知取気亭主人】

睡蓮
睡蓮

Copyright(C) 2002- ISABOU.NET All rights reserved.