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知取気亭主人の四方山話
 

『いつからこんな国になってしまったのだろう』

 

2024年7月10日

56人もの候補者で争われた東京都知事選は、現職の小池百合子氏が約291万票を集め3回目の当選を果たした。立候補者数は前代未聞の多さだったが、投票前のテレビ討論会に出演していたのは、小池氏、元参院議員の蓮舫氏、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏、そして元航空幕僚長の田母神俊雄氏の僅か4人だった。実質この4人の戦いになるとメディアは踏んでいたようだ。これだけ立候補していて都政を論じるのがたったこの4人、と呆れてしまった。そうした感想は兎も角として、選挙結果そのものは私の予想通りとなった。

ただ、予想通り小池氏が勝利したものの、366万票を超えた前回選から2割以上減らす結果となった。逆に予想以上に票を伸ばしたのが石丸氏だ。165万票余りを集め、小池氏のライバルとみられていた蓮舫氏を約37万票差で抑え、次点に入った。41歳という若さと既成政党にくみしない姿勢、そしてSNSを上手に使いこなした選挙手法に若者や無党派層が関心を示し、一定の票の掘り起こしに成功したのだろう。彼の市長時代の政治姿勢や信条は横に置いておくとして、これから日本を背負って立つ若者たちが、自分たちが乗る船の船頭を同じ様な世代に、そして働き盛りの同世代に託す、至極当たり前の発想だと思う。

一方、地方にいると、4氏以外の訴えや政治信条は全く聞こえてこない。とは言え、選挙に打って出る以上、例え泡沫候補と揶揄されようが自分の力で東京都をより良くしたい、との強い思いがあるから立候補したのだろうと思っていた。当然、立候補者全員、多少なりともそういう気持ちを持っているものと思っていた。

ところが、である。次の国政選挙を睨んでなのか、元々選挙などに興味はなく自らのビジネスに有利だからと割り切ったのか、当初から名前さえ売れれば良いという売名目当ての候補者が多数いる、と冗談のような話が聞こえてきた。更に耳を疑ったのは、掲示板にほぼ全裸の女性を写したポスターを貼った候補者がいる、という俄かには信じがたい報道だ。そうかと思えば、選挙ポスターの掲示板を歓楽街の電柱や電話ボックスと同じと見立てたのか、女性専用風俗店を紹介するポスターを掲示した陣営もあるというから、何とも恐れ入る。開いた口が塞がらない。まともな選挙活動をする気がないのは明らかだ。何とも腹立たしい。そして、同じ日本国民として恥ずかしい。

こんな破廉恥な選挙活動が、過去にあっただろうか。そう言えば、今年の春に行われた衆議院・東京15区の補欠選挙で、他の候補者たちの演説に対し大音量で批判などを繰り返して、選挙活動を妨害している候補者もいた。そのニュース映像を観た時にもいささか仰天したが、今回の掲示板騒動は、ポスターの訴えそのものが選挙とかけ離れていると呆れ返っている。都知事選は国政選挙ではないが、日本の国の政治・経済の中心である首都の首長を決める選挙である。日本と国交のある国も、東京に出先を置いている外国企業も、関心をもって見ていた筈である。そうした人達に胸を張って、「これが日本の首都の首長を決める選挙だ」と言えるのだろうか。とても恥ずかしくて言えない、そう感じている人が多いと思う。自分たちが乗る船の船頭を決める選挙なのに、端から船頭になるつもりもない連中が、自分たちの目的の為なら選挙という制度さえも利用している。公序良俗なんてくそくらえ、そんな考え方の人間がこんなにもいたとは、日本も地に落ちたものである。

いつからこんな国になってしまったのだろう。戦後の教育が、そうした考え方の日本人を増やしてしまったのだろうか?それとも我々も含めた親世代が、しっかりと手本を示してこなかったからだろうか?どちらもあり得る話だ。しかしそうしたもの以外に、政治や行政に携わる人たちのニュースで報じられる、庶民感覚とズレた行動が悪い手本となっている、というのが一番大きいのではないかと疑っている。

例えば、直近だと派閥の政治資金パーティー裏金事件であぶり出された、国民感覚と乖離した改革案でまとめようとした政治家のご都合主義に、「俺たちも!」と悪乗りした可能性もある。いや、もっと前かもしれない。真っ黒に塗られた資料を出して、「情報開示しました」と嘯く国会の欺瞞を見せられたからだろうか?「のり弁」と揶揄される黒塗り資料は、国会中継で初めて見せられたような気がする。あれがまかり通ってしまうとは、小中高生にはとても見せられない。いや、公文書を偽造しても罰せられないこともあった。そのニュースを聞いていた者は、「ここまでやっても大丈夫」と自らの考えで犯罪として問われないグレーゾーンを広げてしまったのかもしれない。

或いは、先輩方に汚点を残さないために、「国は決して間違いを犯さない」という方針を意地でも貫く姿勢に倣ったのか?つい先日、最高裁大法廷は旧優生保護法が「違憲」であるとの判決を下したが、国側は、不法行為があっても20年経つと賠償を求められなくなる「除斥期間」と呼ばれる旧民法の規定を理由に訴えを退けるよう求めていた、と報じられている。人間誰しも、間違いを起こすものである。ただ、間違いだと気づいた時に、例え国民に対してでも、「御免なさい、間違っていました」と素直に間違いを認めること、それが国民の良き手本になる、と思っているのだが…。それができる国にならないと、今回のような破廉恥な選挙は一向に無くならないのではないか、逆にもっと増えていく可能性すらある、そう懸念している。取り越し苦労に終われば良いのだが…。


【文責:知取気亭主人】

榊

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