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知取気亭主人の四方山話
 

『判官贔屓』

 

2024年7月24日

石川県小松市の海岸近くに、歌舞伎で有名な「勧進帳」の舞台となった「安宅の関」跡がある。兄頼朝の追手から逃れ、奥州の藤原氏に落ちのびんとする義経一行が、あわやという危機に面した逸話がある関所跡である。弁慶の機転と、主従の関係を度外視したその機転に従う義経、そして関守富樫氏の温情など、三者三様のやり取りが見どころだ。その「安宅の関」から海沿いを能登半島の先端方向に向かって北上すると、今回の「令和6年能登半島地震」で最大震度7を記録した志賀町の、景勝地「能登金剛」に着く。その「能登金剛」と呼ばれる一角に、松本清張の推理小説「ゼロの焦点」の舞台となった「ヤセの断崖」がある。さらにその「ヤセの断崖」の近くに、「義経の舟隠し(よしつねのふなかくし)」と呼ばれる、断崖絶壁に囲まれた細長い入り江がある。義経一行が落ち延びる途中、48隻もの舟を隠したとされる伝説が残る入り江だ。「安宅の関」を後にした後、逃げ込んだのだろうか?

それは兎も角、こうした義経の逃避行に関する伝承は、北陸から東北地方を中心に各地に伝わっていると聞く。なぜそんなに残っているかと言えば、その伝承が史実である可能性の場所も勿論あるが、とりもなおさず人気があったからに他ならない。悲劇の英雄に対する同情もあったのだろう。義経は、失脚した時の官位を通称で「判官」と言い、そして9男だったこともあって、「九郎判官義経」とも呼ばれている。その「判官」と「贔屓」を結び付け、義経の様に弱い立場の者への無条件に寄せる声援を「判官贔屓」と言うようになった、と言われている。「ほうがんびいき」とも「はんがんびいき」とも読む。

この「判官贔屓」、今でもいろんな場面でよく見られる。特にスポーツ中継などで頻繁に見受けられ、敗者に対する声援の方が勝者よりも盛大、なんてシーンはざらだ。例え敗北が決定的となっていても、最後まで戦い抜く選手には、時には敵の応援団からも温かい声援が送られることもある。また、バスケットボールなど明らかに体格によって有利不利が見て取れる競技では、体格に劣る選手やチームの方を応援しがちになる。その端的な例が大相撲だが、小兵力士が大柄な力士に向かう時の声援を聞くと、日本人には特にその傾向が強い様に思う。どうやら、義経を我々弱者庶民の仲間、代表と捉えているのではないかと思う。

こうした「判官贔屓」は、今各地で熱い戦いが繰り広げられている「全国高校野球選手権大会」(以下、夏の高校野球)でも、良く見られる光景だ。優勝候補に挙げられるような野球強豪校に立ち向かうさして前評判の高くない高校へ無条件に寄せる声援は、最早高校野球の風物詩とも言える。それは、地方大会でも、甲子園大会でも良く見られる光景で、かく言う小生もその一人である。

その“夏の高校野球”が、ここ石川県でも11日から始まった。以前は50校を超えていた出場校は、少子化の煽りを受けて減り続け、今年は44校となってしまった。尚且つ、20人のベンチ入りの枠に満たない部員数の高校も目立つ。7月11日付の北陸中日新聞朝刊に、石川大会出場校のベンチ入り選手のメンバー表が掲載されていたが、改めてそれを確認すると、県立穴水高校(穴水町)と県立松任高校(白山市)の10人を最少に、県立鹿西高校(中能登町)の11人など、20人に満たない高校は15校を数える。何と出場校の約1/3にもなる。しかしこうした選手の減少傾向は、首都圏以外の道府県でも似たようなものだと思う。そうなると、単独でチームを編成できない学校も増えるだろうし、加えて統廃合もあったりして、参加チームはこれから益々減少していくものと思われる。

そうした危機的状況は、石川県の場合、能登地域の高校で顕著に表れている。中能登町から能登半島先端の珠洲市まで、県立と私立合わせて10校あるが、そのうちの6校が20人に満たない厳しい状況にある。正月来報道されている様に、能登半島、特に奥能登は人口減少が顕著で、日本の過疎の代表地域だとも言える。しかも、「令和6年能登半島地震」によって、過疎の半島は甚大な被害を被った。そして発災から半年が過ぎた今でも、復興の目途さえ立っていない。

ところが、誰しもが下を向きがちなそんな中、奥能登から出場した3校が見事な戦いを繰り広げ、見事ベスト16に進出した。被災者でもある彼らの活躍は、疲弊した被災地に明るい話題を提供し元気と勇気を与えてくれたのは言うまでもないのだが、被災地外の県民の「判官贔屓」をより一層掻き立てたに違いない。何しろ3校が建つのは、奥能登の中でも特に大きな被害を被った、珠洲市と輪島市だからだ。珠洲市野々江町にある県立飯田高校、輪島市門前町の県立門前高校、そして輪島市三井町にある私立日本航空高等学校石川の3校だ。中でも飯田高校と門前高校は、選手の殆どが地元出身者、つまり本人も家族も被災者なのだ。なのにこの活躍。それを知る県民の多くが判官贔屓したとしても何ら不思議がない。

残念ながら飯田高校はベスト16で敗れ、門前高校はベスト8で敗れたが、彼らの活躍はこれからの復興の推進力になってくれるのではないか、と思っている。地元の人たちもそう感じてくれたに違いない。そんな声が聞こえてくれば、色々な葛藤を抱えながら野球に取り組んで来た選手諸君も、「やってきて良かった!」と思うに違いない。まだ優勝校は決まっていないが、そう感じさせる夏の石川県大会である。


【文責:知取気亭主人】

ヒマワリ
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