2024年10月2日
先月下旬、日本の二大政党の党首を決める代表選が相次いで実施され、新しい党首が決まった。先立って行われた立憲民主党の選挙では元総理大臣の野田佳彦氏が返り咲き、自由民主党の新総裁には、石破茂氏が5回目の挑戦で初めて選出された。奇しくも、共に67歳の同年齢である。40代で総裁選に立候補した小泉氏や50代そこそこで立憲民主党代表戦に臨んだ吉田氏に比べると、新鮮味と若さには少々欠けるが、お互いこれまで培ってきた豊富な経験を活かして、活発な議論を交わし、活力が溢れ若い人が将来に希望を抱ける、そんな日本にしていってもらいたいものである。先ずは、足の引っ張り合いではない有意義な論戦を期待したい。なお10月1日、石破茂氏は第102代首相に選出された。
ところで石破氏は、代表選を戦った会場での勝利確定直後のスピーチに臨み、『国民を信じ勇気と真心をもって真実を語り、この日本国をもう一度皆が笑顔で暮らせる安全で安心な国にするために、全身全霊を尽くして参ります』と述べた。その通りであって欲しい、と切に願う。というのも、岸田前総理を退陣に追い込んだ「裏金問題」を始め、うやむやのうちに幕引きされてしまった感のある「森友学園問題」など、「国民を信じ勇気と真心をもって真実を語り」の部分が、ややもするとなおざりにされてきた感があるからだ。また、環境大臣と水俣病患者・被害者団体との懇談会において、団体の一人が発言中だったのに環境省職員が突如マイクを切り問題となった。被害者をないがしろにするそんな行動からは、我々国民の方を向いて仕事をしていないのが、ハッキリと見て取れる。被害を受けた国民の側ではなく、大臣など政府要人の方を向いているらしい。「真心」はどこに置いてきたのだろう。
更に小言を言わせてもらえば、この四方山話で何度も苦言を呈してきた「のり弁問題」も、「…真実を語り」と真逆の行為だ。いつの頃からか、それが平然と行われるようになってしまった。時の政権や仲間にとって都合の悪い情報は隠蔽してしまえ、との力が働いているのだろう。ネットで調べると、この「のり弁」と揶揄される行為、戦前からあったものらしい。そんなに古くからのものが、AIが人間に取って代わろうかとするこんな時代になっても、いまだに続けられている。いかにも前時代的な隠蔽工作だ。古い因習から抜け出せないでいる行政の一端を垣間見た様な気がする。国民にも「真実」を知る権利がある筈なのに…。
この様に行政府には、まだまだ古い因習にとらわれて脱皮できないでいるやり方や考え方が、多々残っているように思う。石破氏が選出されたのとほぼ時を同じくして無罪判決が出されたいわゆる「袴田事件」、この「袴田事件」に代表される冤罪事件に対する検察の対応など、いまだに古い因習にとらわれている悪しき代表例だと思う。本当の加害者を野放しにし、冤罪被害者の一生ばかりか時には生死さえも左右してしまう重責を担っているのに、一旦起訴してしまうと、「自分達に間違いはない」との強い思いから抜け出せないでいる様に見える。そして、不祥事が度々報じられても、検察は変わったとの報道に接した記憶は無い。
いくら学業が優秀で司法の道に進んだ人たちでも、所詮は生身の人間である。笑いもすれば泣きもする。ましてや、間違いを犯すことだってある。判事然り、弁護士然り、そして検事然りである。ところが、検事が関わる捜査や起訴に関して、「御免なさい、間違えていました」の声明が出された、との報道は本当に少ない。ましてや、「今後こんな事が生じない様に、考え方もやり方も、そして組織もこの様に変えます」との声明が出された記憶もない。度々不祥事が明るみに出るにも拘らず、である。
例えば、検察の不祥事、特に証拠改ざんなど悪質な事件としては、いわゆる「村木事件」が真っ先に浮かぶ。2010年に大阪地方裁判所から無罪判決が出されたこの「郵便不正・厚生労働省元局長事件」では、担当検察官が証拠を改ざんしていた事実が明らかになり、更にその上司たちも証拠隠滅罪や犯人隠避罪で有罪判決を受けた。法の番人の一翼を担う検察なのに、自ら犯した過ちを正当化するためであれば犯罪にまで手を染めるのか、とビックリしたことを覚えている。また2020年、化学機械メーカー「大川原化工機」の社長など幹部3人が、軍事転用が可能な機械を中国などへ不正輸出した疑いで逮捕・起訴された事件では、1年間近く勾留された後、無実が明らかになり起訴が取り消された。そして、社長などが国と東京都を訴えた裁判で、東京地方裁判所は検察と警視庁の捜査の違法性を認めた。しかし、3人のうち1人は、拘留中に癌が見つかり治療を懇願したにもかかわらず叶えられず、拘留中に亡くなったと報じられている。そんな取り返しのつかない事さえ起こってしまう。
そうした取り返しのつかない不祥事を未然に防ぐ手立てを、あるサイトで見つけた。『弁護士ドットコムタイムズ』に掲載されていた、小説「ナリ検 ある次席検事の挑戦」著者へのインタビュー記事(https://www.bengo4.com/times/articles/223/)である。その記事の中に台湾の例が述べられていて、「台湾では、冤罪かどうかを調査する部門が検察庁の内部にも設けられている」という。また台湾では、検察が誤りを積極的に認めることでむしろ国民から信頼を得られる、と考えるらしい。羨ましい限りである。日本もこのシステム、早急に取り入れるべきだと思う。国民からの信頼を得る為にも、そして法の番人としての矜持をもって仕事ができる素地を整えるのにも、極めて有効だと思うのだが…。
【文責:知取気亭主人】
ローズマリー
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