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知取気亭主人の四方山話
 

『これで少しは報われる』

 

2024年10月16日

10月9日、1966年に当時の静岡県清水市であった“いわゆる袴田事件”で、死刑判決を受けていた袴田巌さん(88)の無罪が確定した。無罪とした静岡地裁の再審判決に対し、静岡地検が控訴する権利(上訴権)を放棄したからだ。畝本直美検事総長による控訴断念の談話に対し色々な批判が漏れ聞こえるが、静岡地裁が「証拠の衣類は捏造」と断定した理由を聞くと、やはり冤罪だったと思う。だとすると、青壮年期の殆どを死刑囚として拘置され続けた彼の人生は、あまりに苛酷で理不尽だ。再審制度の不備を思わずにはいられない。

袴田さんは、事件直後に逮捕され、2年後の1968年静岡地裁で死刑判決を受け、最高裁が上告を棄却した段階で一旦は死刑判決が確定していた。無罪を主張して1981年静岡地裁に再審請求したが、棄却された。その後も【抗告→棄却】が繰り返されたが、やっと2014年、静岡地裁は “再審開始”と“死刑と拘置の執行停止”を決定した。この時袴田さん、実に48年ぶりに出獄した。そして今回の無罪確定である。こうした裁判の経過は、袴田事件弁護団による『裁判の経過』(https://hakamada-jiken.com/process/)に詳しく記載されているので、興味のある方はそちらをご覧になっていただきたい。それにしても長い。

いずれにしても、冤罪を晴らし、無罪を勝ち取るために、58年もの間、再審請求→棄却→抗告→棄却→再審請求を繰り返す長く必死の戦いが必要だった。そんな司法の判断に抗い、途中であきらめることなく戦い続けたことが、無罪を勝ち得た最大の勝因だったのだろう。彼の無罪を信じ戦い続けた姉のひで子さんの頑張りは、本当に凄い。袴田さんにとっての戦いはこれで終わった訳ではないが、これで少しは報われたと思う。

袴田さんの無罪が確定した2日後、同じ様に必死の思いで長い戦いを続けてきた団体がやっと世界から認められた、という朗報が飛び込んで来た。日本全国の被爆者らでつくる「日本原水爆被害者団体協議会」(以下、被団協)にノーベル平和賞が授与された、という嬉しいニュースだ。広島と長崎に原爆が落とされて(1945年)今年で79年、静岡県焼津港所属のマグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験により被爆して(1954年)から70年、そしてこれらの被爆を受けて結成されたのが当該の被団協だ(1956年)。広島・長崎への原爆投下から約10年後に結成され、今年で68年が経つ。

何故原爆投下と被団協結成とに約10年の開きがあるのか、私は知らなかったのだが、その理由を、ノーベル賞受賞の特集を組んだ10月12日付の北陸中日新聞朝刊にはこう書かれている。体調不良や差別で声を上げられなかった上に、日本政府の放置政策があった、と当事者は受け止めているというのだ。国が決断し突き進んだ戦争、しかも敵の攻撃により負傷した被害者なのに、国が積極的に救いの手を差し伸べなかったら、国民はじっと我慢し、沈黙するしかない。何ともやりきれない、そうした約10年間だったに違いない。

そんな逆境の中でも彼らは組織し、「核兵器の廃絶」、「再び被爆者をつくるな」と訴え続けて68年。敗戦国日本の、しかも日本政府が全く関与しない、そして何の権力も持たない市民団体の長く地道な活動が、やっと日の目を見た。これで組織の立ち上げに尽力された先人たちや活動を継続してこられた方々も、「少しは報われた」と喜んでいるだろう。テレビに映し出されていた、一報を聞いた瞬間何度も頬をつねっていた箕牧智之理事長の姿が、これまでの長年の悔しさと苦労を表している様で、忘れられない。でも、年寄りのひがみ根性なのかもしれないが、評価されるのにあまりに時間が掛かり過ぎたような気がしてならない。

東西両陣営が激しく対立して核兵器の開発にいそしんだ冷戦時代、それが長く続いたのが影響していたのだろうか。それでも1989年11月にはベルリンの壁が、1991年末にはソ連が崩壊し、冷戦時代は終わったかに見えた。今になって思うと、あの頃に受賞しても良かったのではないかと思っている。ただ、東西冷戦の雪解けは瞬く間に終わり、米ソ以外にも核兵器を保有する国は増えていて、今は冷戦が終わった当時より核兵器使用のリスクは増している。それもあってか、2017年のノーベル平和賞は、NGOの連合体である「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に授与された。この時、「何故、唯一の原爆被爆国日本の被団協ではないの?」と思ったものだった。遥かに長い間核兵器廃絶を訴え続けているのに。

まあそんな愚痴は止めにして、被団協に係わった全ての人に思いを馳せ、今は素直に受賞を祝福したい。そう言えば、60年近く前に受けた大学入試の英語試験問題に、ノーモア・ヒロシマ(No more Hiroshima)が出てくる長文問題があったのを思い出した。この言葉のきっかけとなったとされる、広島の惨劇を伝えた英紙記者W・G・バーチェット氏の現地ルポは、科学者たちによって否定されてしまったという。“何をか言わんや”であるが、今は違う。

https://withnews.jp/article/f0170903003qq000000000000000W06d10101qq000015846A

核兵器の恐ろしさは万人が知っている。被団協がその広報に大きな役割を果たしたからだ。そう考えると68年にも亘る、彼らの活動の影響力は凄い。ただ、訴えているスローガンからすると、まだ戦いが終わった訳ではないだろう。これからも、核兵器廃絶に向けての活動の先頭に立っていただきたい。そして、いずれ日本政府や核兵器保有国も廃絶に舵を切る、そんな世界が実現できることを切に願っている。受賞、誠におめでとうございます。


【文責:知取気亭主人】


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