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2024年12月18日
鬼が笑うかもしれないが、来年の話である。来年6月に開催される第74回金沢百万石まつり、その祭りのメインである「百万石行列」において毎年注目を集める前田利家役とお松の方役が、先日発表になった。利家役は俳優の石原良純氏が、お松の方役は俳優の北乃きい氏が務めることになったという。さてどんな殿様と奥方ぶりを見せてくれるのか、楽しみに待っていたい。ただ、天候に恵まれてくれれば良いのだが。
この百万石行列、前田利家が凡そ440年前の天正11年(1583年)の6月14日に金沢城に入城し、金沢の礎を築いた偉業を偲んで、開催されている。したがって、百万石行列の最終到着地は当然金沢城となる。今は金沢城公園として整備されていて、行列が入城して行われる儀式も、加賀鳶によるはしご乗りの妙技も、お城の雰囲気を醸し出す広場で行うことができ、440年前の高揚とした気分を少しは味わうことができるかもしれない。ところが、金沢城公園になる前は金沢大学が入っていて、そうしたイベントをする広場も雰囲気もまったく無かった。当時を知る者としては、隔世の感がある。もっと前にさかのぼれば、陸軍の拠点となった時期もあって、こうした変遷を経ても「荒城の月」に詠われる様に朽ち果てることもなく、400年以上も経って往時を偲ぶことができるとは、感慨深いものがある。
そこで、祭りのクライマックス会場となる金沢城公園の歴史を少し振り返ってみたい。金沢城公園の場所には、元々尾山御坊(金沢御堂とも)と呼ばれていた本願寺派の、城としての機能を持たせたお寺が建っていたという。そして、この尾山御坊は一向一揆の拠点として、織田信長を随分悩ませていたらしい。その後、信長の命を受けた柴田勝家の甥である佐久間盛政が、1580年一揆に勝利して、入場し城郭としての整備を進めたという。ところが僅か3年後の1583年に、賤ケ岳の戦いで佐久間盛政が敗北すると、代わって入城したのが前田利家という訳である。その後幕藩体制が終わる迄、前田家の居城として続くことになる。やがて明治に入ると、陸軍第九師団司令部や歩兵第七連隊など、陸軍の拠点が置かれ、第二次世界大戦終了まで続いた。
更に時は進んで平和な時代が訪れると、昭和24年(1949年)に金沢医科大学、第四高等学校、石川師範学校、金沢工業専門学校などが統合されて新制の金沢大学が誕生し、これに合わせて、城址は金沢大学の丸の内キャンパスとして利用されることになる。小生も通ったお城の中のキャンパスは、世界に二つしかなく、ドイツのハイデルベルクと金沢だけだ、と誇りに思ったものだった。キャンパス内には大学の本部、教育学部、法文学部、理学部があって、教養課程もここで学んでいたことから建物も結構多く、とても百万石行列を受け入れる様な空き地は無かった。
このお城のキャンパスは、繁華街に近かったこともあって、特に学生には人気があった。しかし、1995年、惜しまれつつ姿を消すことになる。OBとしては残念で仕方なかったが、お城から5kmほど東南東方向に行った山中に移転したのだ。跡地は石川県が取得し、以来「金沢城公園」として整備してきている。これまでに菱櫓、河北門、いもり掘、鼠多門、鼠多門橋などが、残されていた絵図面や明治初期の写真などの資料を基に、極力史実に忠実に復元されている。こうした金沢城の変遷は、石川県のホームページに掲載されている『金沢城の年表』(https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kanazawazyo/history2.html)に、簡潔に触れられているので、興味のある方はそちらをご覧になっていただきたい。いずれにしても、金沢城公園は、近年石川県の肝いり事業として、また観光資源の目玉として、火災などで消失した建物を原型に近い形で復元をしてきている。それは、伝統的建築様式に携わる職人の技術や技能の伝承にとっても、極めて重要な役割を果たしている。
そして先日、次なる整備計画が発表された。加賀藩主が暮らしていた二の丸御殿のうち、藩主が執務を行っていた「表向」と呼ばれる建物について、来年の3月から復元工事を始めるという。軍の拠点や大学などが入っていたにも拘らず、遺構が良好な形で保存されていたり、消失する前の明治時代の写真が残っていたりして(絵図面も残っていたらしい)、史実に近い形で復元が可能、と判断されたらしい。工事中も一般公開するというから、今から楽しみにしている。天守閣ではないにしても、壮大なお城の建築工事など滅多に見られるものではない。そういう意味では、伝統建築に携わる職人の皆さんにとっても、またとない貴重な体験の場となるに違いない。また、完成するまでの工事期間中は、唯一無二の観光資源として、人気を博すことだろう。
ただ、時期が悪い。地震や洪水で甚大な被害を受けた能登地域を放っておくわけにはいかない。大阪万博の開催に当たって、『能登が大変なのにそんな事に大金を使う時ではないだろう』との反対の声が上がったが、正にそれだ。復元工事を一旦先延ばししてその費用を地震と洪水被害の復興に当てた方が良い、との意見も当然聞こえて来るだろう。逆に、「観光資源として活用することで石川県にお金を落としてもらい税収を増やし、増えた分を復興財源に充てる」、そんな積極的な考え方もできる。“卵が先か鶏が先か”的な話だが、悩ましい話である。ただ、金沢に来た観光客に能登まで足を延ばしてもらう、そんな情報発信の場としても活用出来たら、賛成の声が大きくなるかもしれない。いずれにしても目玉となるこの復元工事、能登復興の為にどう活用し生かしていくか、行政の腕の見せどころである。
【文責:知取気亭主人】
春の金沢城公園(石川門)
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