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2025年1月15日
2025年が明けて2週間が経った。13日月曜日は祝日、ニュースでは、この三連休の間に各地で成人式も行われたと報じられている。同日、毎年初詣に行く地元の小さな神社では、正月飾りなどを焼く「左義長」(どんど焼き)が行われた。14日に行われたとの新聞報道もあったが、この三連休で行われた所が多かったと思う。左義長関連で言えば、地元神社での実施を12日だと勘違いして、11日の夕方に鏡餅を片付けたところ、切り餅の入った今風鏡餅セットの裏ブタの説明書きを読んで、11日が鏡開きの日だと気が付いた。まだ食していないから形式ばかりだが一応これで鏡開きも終わり、左義長も済ませたとなると、正月気分ともおさらばして、いよいよ2025年が本格的に始動する気分になる。不思議なものである。
と同時に、年末年始にかけて懐かしい顔を思い出しながらしたためたであろう年賀状のやり取りも、そろそろ終わりを告げる頃だろうか。昨年(2024年)の元旦に「令和6年能登半島地震」が発生して、被災後に年賀状が届いたというニュースが、昨年の今頃よく流れていた。そんなニュースが耳に残っていたこともあって、「明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしく…」などの文面にはそぐわないな、と強く心に残っていた。文面通りの気持ちを伝えるのであれば年が明けて新年を迎えてから書く方が良い、と思うようになった。そこで今年は、正月が無事迎えられたことを実感してから年賀状をしたためた。したがって、中には返信の年賀状が先週末に私の手元に届いた知人もいて、まだ届くかもしれない。これもノンビリしていて、今の老後生活には合っているような気がしている。失礼がない範囲であれば、次もこのスタイルでいこうかと思っている。
ところで、約半世紀も年賀状を書いていると、「しまった!」と思うことや「あれ?」と首を捻ることがある。また、30年程前には、一時期版画を彫り、刷って出していたこともあって、出来の良い時など「やったね!」と一人悦に入ることもあった。パソコンで簡単に作成できるようになってからは印刷時間がグンと効率化されて、乾かす手間もなくなり、あの当時の苦労が嘘みたいである。ただ、いまだに手彫りの版画でくださる先輩もいて、頭が下がる。しかも小生より遥かに上手い。今では、早々に諦めて良かった、と安堵している。今回は、そうした年賀状にまつわるあれやこれやを、小生が仕出かした失敗を中心に紹介する。
版画に凝っていたのは遠い昔の話で、今ではすっかりパソコンソフトの厄介になっている。パソコンソフトを利用して作成・印刷すると、均質の出来栄えのものがさして時間を掛けずに出来る。しかも、宛名も住所も、そして差出人もデータとして残されているから、昔のように住所録をひっくり返さなくても、直ぐに出てくる。ところが、この便利さがあだとなって失敗を引き起こしてしまう。原因の多くは、データベースの更新をし忘れることだ。典型的なのは、住所変更のし忘れだ。これまでも、何回かあった。その都度「宛所不明」のハンコを押されて返送されてきた。苦い思い出である。
申し訳なかったのは、宛名の漢字を間違えたまま出していた方だ。これまで数名いたと記憶している。データベースに登録する時に間違いに気付かず、後になって顔が火照ったのを覚えている。例えば、「斎藤」の「さいの字」が何種類もある様に、「そっちではなくて正式には」或いは「詳しく書くと」と言われてよく見ると間違えて覚えていた、という話である。年の初めに送る手紙に違う字で宛名を書くなんて、恥ずかしい話である。
もっと恥ずかしい思いをしたことがある。出してはいけない相手に出してしまった事があるのだ。前の年の秋に喪中のハガキを貰い、データベースにもその旨を書き加えた。ところが、「宛名を印刷する」のチェックを外すのを忘れてしまったのだ。早めに喪中のハガキを貰った時など特にそうだ。年賀状を刷り始める頃になると、喪中のハガキを貰った事などすっかり忘れている。必ず印刷文面の他に手書きで一筆添えるのだが、その時もすっかり忘れてしまっていた。年が明けて、改めて親族が亡くなった旨の寒中見舞いのハガキを貰い、ハッと思い出した次第だ。急いで電話を入れたが、耳たぶまで熱くなったのを覚えている。似た様な話だが、今年は逆パターンもあった。親族の方から喪中のハガキを頂いたのだが、本人から年賀ハガキが送られてきた、というパターンだ。こうした事も、気楽に作成できるというパソコンソフトの弊害なのかもしれない。
これまで書いてきたような失敗談ではないが、最近「年賀状じまい」をしたためた年賀状を貰うことが増えた。「年老いたから」という理由の方や、特に理由など書かれていないものまで様々あるが、携帯電話やインターネットなど連絡手段に事欠かない現代の通信事情を考えると、これも時代の流れなのだろうなと思う。加えて、昨年10月に実施されたハガキの値上げも、“年賀状じまい”のきっかけになっているのだろう。現代の様なハガキスタイルの年賀状が始まって、凡そ150年だという。例えば会社間の年賀状のやり取りの様に、これまで盛んに行われてきた儀礼的な年賀状のやり取りは、激減するのだと思う。ただ一方で、なかなか会えない知人・友人に近況を知らせる、そんな手紙本来の姿は残っていくのではないだろうか。となると、今に比べると“細々と”なのかもしれないが、年賀状の風習自体は無くならないのではないか、と思っている。もう少し、時の流れに抗ってみるかな?
【文責:知取気亭主人】
ナンテン(難を転じて福となしてくれますように!)
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