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知取気亭主人の四方山話
 

『山の神』

 

2025年1月22日

二年ぶりに箱根駅伝(正式には「第101回東京箱根間往復大学駅伝競走」)をテレビ観戦した。走る事、中でも長距離走を大の苦手としている我が身からすると、どうやったらあんなに速く走れるのだろう、と毎回感心しながら観ている。若い溌溂とした選手たちが母校の為に必死になって一本のタスキをつないでいく姿は、何度見ても良いものだ。今年で101回を数えるそうだが、真剣勝負から生まれる筋書きのないそんなドラマが好きで、テレビ観戦する様になってかれこれ40年になる。タスキリレー目前で繰り上げスタートしていく何とも残酷なシーンなど、これまで数々のドラマも見させてもらった。

その箱根駅伝に、時々「山の神」が降臨する。往路の最終区間、箱根の山を登って行く5区で目覚ましい活躍をした選手を、畏敬の念を込めて、いつの頃からかそう呼ぶようになった。誰が言い始めたのか知る由もないが、他の選手を圧倒するその姿は、確かに言い得て妙だ。ただ、同じコースを逆にたどって行く復路の最初の区間(第6区)、箱根の山を下るコースでは、どんなに凄いで走りで他を圧倒しても、「山の神」と呼ばれていた記憶はない。

『新村出編 広辞苑 第四版』(岩波書店 1991)によれば、「山の神は秋の収穫後は近くの山にいて、春になると下って田の神になる」と言い伝えられているそうだし、正月に訪れるという「歳神様」も、高い山に住んでいて山から下りてきて山に帰る、との説明書きを読んだことがある。農業や木の実などの採集、或いは狩猟など、食料の出来不出来や多寡を左右する自然を司る神様は、総じて恵みが豊富な山に住んでいて、芽吹く頃に下り、冬になると上り帰って休んでいる、と考えられていたのだろう。それを思うと、下り区間でも同じ様に降臨させても良い様な気がするのだが…。

そんな大学生ランナーにも付けられる「山の神」、最近ひょんな事でひょんな人から耳にして、一人面白がっている。妻が、長野県に住む長女夫婦に、先週の中頃荷物を送った。発送を頼まれた小生は、都合を確かめもせず配達時間を17日の夕方に指定した。ところが、発送したその日、妻が荷物の配達予定を連絡したところ、『17日は“山の神様の日”なので仕事を休み、夕方は全員で家を留守にして受け取れないから、改めて連絡します』と、婿殿が言っていたと教えてくれた。それによると、1月17日は山の神様の日で、山仕事をする人や婿殿の様な大工さんは木を切ったり削ったりしてはいけない日となっていて、昔から大工は仕事を休むのだそうだ。面白い話である。

面白い話はこの四方山話のネタになるということで、改めて『四方山話で紹介したいからもう少し詳しく聴かせて』とおねだりしてみた。すると、『口伝だけだけど…』と断った上で、以下の風習があることをLINEで送ってくれた。

  • @ 地域によって違うが、この辺りでは本当は毎月17日が山の神様の日
  • A 山の神様の日は、元々は林業で山から木を切り出してはいけない日
  • B 林業から材木屋に伝わり、そして大工も木を切ってはいけない日になった
  • C この辺りでは、小正月(1月17日)とお盆(8月17日)を休みにしている
  • D 林業の人は山で御神酒をあげたり、社を祀っている所は祭事もしているらしい
  • E ハウスメーカーはあまりやらないらしい
  • F 大工は、山の神様の日に仕事をしてその年にけがをしてしまうと、心配される
      より『山の日に仕事をしたからだ。このバチ当たり』と言われてしまう

と、まあこういった具合らしい。こうして詳しく教えて貰うと、どうやら山の恵み、中でも山から切り出されて建物や橋などに利用してきた貴重な建設資材である木に対し、感謝をし、その大切な木を守ってくれているのが山の神様であるとの考えが、色濃く反映された風習だと理解できる。西洋の石の文化に対し、「日本は木と紙の文化だ」と良く言われるが、婿殿のこの説明を聞くと、木や森や山を大切に思う気持ちが伝わり、代々引き継がれてきたこうした思いが文化の一翼を担っているのだなと思う。ただ、こうした「山の神」の風習、ここ金沢近辺では聞いたことがない。テレビや新聞の地方版ニュースで報じられた記憶もない。

そこで、こんな時頼りになるのが、困った時のインターネットだ。早速スマホで調べてみた。すると、長野県で山の神を祀る風習が色濃く残っているという。どうやら、金沢近辺では廃れてしまったらしい。また、12月12日は神様が木の本数を数える日だから、木を伐って材木を作る仕事にたずさわる者は山に入ることが禁止されている、なんて地方もあるらしい。 今でも林業が盛んな地方では、山への感謝の念がどこよりも強いのは至極当然の様に思える。山の恵みがなければ生業として成り立たない、山というのはそれくらいありがたい存在だ、という感謝の念を何時も抱いているからなのだろう。

山への感謝、そして山が健全であってこその諸々の恵み、そうした事を直接山と係わりの無い街中に住む我々も忘れてはいけない。そうすれば、山林の荒廃、それに伴う災害の増大など、目を向けるべき課題も見えてくるはずだ。「山の神」、きっと近くの山にもいるのだろう。そう信じ、一年に一日か二日、思いを馳せてみるのも、今どきのSDGsの精神に合っているのではないかと思っている。


【文責:知取気亭主人】


コブシのかすかな芽吹き
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