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2025年2月19日
先週の月曜日(2月10日)、いつもの様に、車の運転をしながら聞くとはなしにNHKラジオの第一放送を聞いていた。番組の途中からだったので番組のタイトルも出演者も知らないことだらけで申し訳ないが、東京の下町をアナウンサーがゲストと一緒に散策し、街の風景や様子をレポートする、恐らくそんな番組だったと思う。東京には出張で行くことはあっても住んだこともないので、さして気にも留めず聞き流していたのだが、ある神社仏閣を紹介する際に面白い話が流れてきた。その話を聞いた途端、ボーッとしていた脳味噌は俄然活性化し、聞き耳を立てた。
それまで流れていた話題は全くと言って良いほど頭に入ってこなかったのだが、その話題になった途端、四方山センサーが感度良く反応した。俄然興味をそそられる話題だったのだ。多くの人が追い求める「運」に関する話題で、しかも「知って良かった!」とも「知らない方が良かった」とも言える、不思議な思いが湧いてきた。肝心要の神社仏閣の名前を明言できないのは返す返すも残念だが、うっすらとした記憶を辿ると恐らく浅草寺だったのではないかと思う。しかし、間違いがあってはいけないので、ここでは仮に「A」としておこう。センサーが反応したのは、そのAの御神籤(おみくじ)に関する話題である。
ゲストの話では、『Aのおみくじは“凶”が出る確率が高いことで知られている』というのだ。どこのおみくじも吉凶の割合は同じだと思っていただけに、ビックリだ。しかも、他の神社仏閣に比べて確率が高い理由も説明してくれたのだが、それが振るっている。ゲストの説明によれば、おみくじの吉凶の割合は伝わって来た“古いことわり”(ラジオではハッキリと固有名詞を言っていたが残念ながら覚えていない)みたいのがあって、Aは今でもそれをしっかりと守っているからだという。それによると凶は30%もの割合になっているそうだ。だから、良く凶が出るという。
ところが、凶が出過ぎると縁起でもないからと、吉凶の率を独自に変えている神社仏閣もあるという。効果のほどは定かでないが、恐らく参拝客集めの手段として考えたのだろう。そんな自由裁量の実態を聞くと、おみくじのご利益もどこかに吹き飛んでしまいそうだ。そうとは知らず、有名処の神社仏閣に行くと“おみくじ”に書かれた吉凶の文字に一喜一憂している人をたまに見掛けるが、『何事もほどほどだからね!』と一言言ってやりたくなる。ましてや、「吉」や「大吉」が出るまで何度もくじを引く、そんな人がいるとも聞いたことがあるが、裏話を知ってしまうと何とも笑えない話になってくる。
ところで、気になるのは、ラジオで言っていた(小生の言うところの)“古いことわり”とは何ぞや、ということである。そこで調べてみた。調べてるうちに、その“古いことわり”のみならず、Aと称していたのが十中八九ここだろうということまで判明できる、有難いサイトを見つけた。『CHANTO WEB』という。そのサイトに浅草寺のおみくじについて書かれたコンテンツがあり(https://chanto.jp.net/articles/-/1001981)、浅草寺へのインタビューを交え、“おみくじの謂われ”についても書かれていた。
このコンテンツを読むと、ラジオの内容とほぼ一致している所が多く、Aは恐らく浅草寺で間違いないだろうと思う。これで、喉に刺さった小骨のひとつが取れた気分だ。それはさておくとして、“古いことわり”の方だが、これも分かり易く書かれている。どうやら今のおみくじは、平安時代に元となるものが作られ、中国で流行っていたものが室町時代までに日本に伝わり、江戸時代にそれらが合わさった「観音百籤(かんのんひゃくせん)」というものが広がり、いまでもこれを利用している神社仏閣があるのだという。浅草寺もその一つという訳だ。この「観音百籤」こそ、喉に刺さった二つ目の小骨、“古いことわり”だったのだ。
その「観音百籤」によった浅草寺の吉凶の割合は、話題の「凶」が30%、後は「大吉」が17%、「吉」が35%、「半吉」が5%、「小吉」が4%、「末小吉」が3%、「末吉」が6%、なのだそうだ。この「凶」が30%を多いとみるか、普通じゃないかと感じるか、それは人それぞれだろう。凶を引き当てた人は恐らく多いと感じるだろうし、その他を引いた人は「ヤッター」と喜ぶか、それとも特別何も感じないか、いずれかだろう。でもよく考えると、大きくても小さくても「吉」の字が付いているのが7割もあることを考えると、「参拝後は気分良く帰ってもらいたい」という神社仏閣側の思惑を感じてしまうのは、年寄りのひがみ根性ばかりではないだろう。
この「観音百籤」による「凶」が30%という割合、「高すぎる」と判断して、意識的にその割合を低く抑えている神社仏閣もあるそうな。単純に割合を変えるというひと様の斟酌(しんしゃく)によって他人の運を左右できる訳ではないのに、そこまでやる必要があるのかと、甚だ疑問に思えてくる。ただ、「運を呼び込むには徳を積みなさい」と良く聞くから、「吉」を引いて気分を良くした人が徳を積めば、おみくじに書かれた福が舞い込むかもしれない。そう考えると、疑問だからと言って切って捨てるのも如何なものかと思えてくる。いずれにしても、神仏に係わることであるから、あまり手を加えない方が良いと思うのだが…。
【文責:知取気亭主人】
寒そうなスズメ(?)たち
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