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知取気亭主人の四方山話
 

『戦友』

 

2025年4月9日

親しい友人を指す日本語は色々とある。良く用いられるのは、“親しい友人”を単純に縮めた「親友」だろう。“無二の親友”などと、使うことも多い。敢えて解釈を付けるとすれば、「心から打ち解けることのできる親しい友人」とでも言おうか。「竹馬の友」なんていうのもある。ただこれは、「小さな頃に共に竹馬で遊んだ幼馴染」という意味だから、親しい友人かどうかは別な話だ。他には、「盟友」なんて言い方もある。同盟、つまりかたい約束をした友、違う表現をすれば“同志”と言うことになるだろう。

ここまでは良く耳にする言い方だが、高校時代に習った「刎頸(ふんけい)の友」という古めかしい表現もある。この「刎頸の友」は「刎頸の交わり」とも言って、『三省堂 故事ことわざ・慣用句辞典』(三省堂編集所 2000)によれば、「生死を共にし、その友人のためなら頸(くび)を刎(は)ねられても悔いないほどの親しい交わり」と説明されている。頸を刎ねるとは穏やかではないが、原典は中国の古典『史記』だというから、戦乱時代に親しい友人のために首を差し出した故事がきっとあったのだろう。今の時代に合わせて言うならば、「戦友」ということになろうか。

「戦友」、意味としては、終戦後戦地から帰還してきた軍人たちが仲間たちを表すのによく使っていた様に、「共に戦場で敵と戦った仲間」ということになる。いつ殺されてもおかしくない苛酷な状況の下で生死を共にしたという意味では、「刎頸の友」に相通じるものがあるように思う。一緒に苦難を乗り越え絆を強く深めた仲間、生死を共にした仲間、それが戦友だろう。戦時中でなくても、昭和の時代にはモーレツ社員のことを「企業戦士」と揶揄していたように、苦楽を共にした会社仲間にも、戦友と呼ぶに相応しい親しい友がいた人も多いに違いない。小生にもいた。それもかけがえのない戦友が…。

4月3日、その戦友が旅立った。小生と同じ丑年生まれ、今年喜寿の歳だった。I君としておこう。I君とは、昭和43年(1968年)の丁度今頃、金沢大学に入学して出会った。小生は家からの仕送りが無い貧乏学生で、入学して直ぐに、奨学金とアルバイト(以下、バイト)に頼る生活に入っていった。I君も似た様なものだったと思う。そんな時、I君に誘われて、ある会社の屋根雪下ろしのバイトをした。それがきっかけで、その会社のバイトを時々するようになっていった。主に地滑り対策工事や調査の手伝いだ。平たく言えば、人夫である。バイト代が結構良かったことに加え、“食事付き”の上に“酒付き”ということもあって、いつしか学業そっちのけでバイトにいそしむようになっていった。

そうこうするうちに、人夫仕事だけではなく、自分達だけで出来る仕事が増え、学生ながら収入も増えてきた。その流れの中である時、I君から「会社を創らないか」と持ち掛けられた。格好良い表現をすれば、今で言うベンチャー企業だ。昭和の40年代、後半にはオイルショックに見舞われるのだが、右肩上がりの成長が続いていた時代である。特に、「日本列島改造論」の神風が吹いて、建設業界はフル回転の状態だった。そうした周りの盛況を見て決心したのだが、I君の指導教授からは、『二人でやっても絶対上手く行かないからやめとけ』と言われた。ところが、若さというものは、向こう見ずなところが幅を利かせるもので、当時の我々には聞く耳を持ち合わせていなかった。

会社と言えば聞こえも良いが、スタートは、バイトに毛が生えたような状態で甚だ心許ないものだった。しかも、金なし、地縁無しの状態だった。しかし、それでも夢は大きく、迷いはなかった。その後仲間も少しずつ増え、他の会社とも一緒になった。五大開発の誕生だ。時は平成に移り、仲間も徐々に増えてきた。業務の内容も、時代に合わせ少しずつ変えてきた。I君と始めたベンチャー企業は、知人に言われた「会社存続の目安は30年」を超え、創業から言えば50年余の時が経った。

その間、山あり谷ありの連続で、課題の何と多かった事か。順調に成長拡大した期間が無かった訳ではない。しかし、思い出すのは、いばらの道を必死で通り抜けた頃の事が圧倒的に多い。常に意見が一致した訳でもない。真逆の考え方をする時もあった。どちらかが拙速して決めた事に、後からもう片方が追認した、なんてことも多少はあった。相手を尊重して遠慮することもあった。そんな時でも、同じ課題に真摯に向き合い、常に一緒にいて戦ったのはI君だ。降りかかって来た予期せぬ火の粉を、二人で必死に振り払い続けた事もあった。そういう意味では、紛れもなく、正真正銘の戦友だった。

その戦友が逝った。今はまだ、心にポカンと穴が開いている。何せ、出会ってからやがて60年だ。小・中学校時代からの親しい友人もいるから、知り合ってからの長さで言えば、彼らには負ける。しかし、I君とお互いの顔を見て過ごした時間は遥かに長い。一緒に酒を酌み交わしたことも数えたら切りがない。小生と同じ様に、日本酒を好んでいた。饒舌になる楽しい酒だったのに…。いかんな、またしんみりしてきてしまった。

思い出話はこの辺でおこう。最後に、I君に拙い俳句を捧げ、今回の仕舞いとする。

友逝きて 花冷えの宵 一人酒 【合掌】

【文責:知取気亭主人】


石川門と桜(この城跡に金沢大学の教養部はあった)
石川門と桜(この城跡に金沢大学の教養部はあった)

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