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2025年5月28日
6年前の丁度今頃、生まれ育った静岡県で長い間お世話になっていた菩提寺(以降、お寺)を、金沢のお寺に代えた。母の三回忌を終えた時点で、月に一度はお参りができる様にと、墓を移したのだ。宗派は変えず、以前と同じ曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺である。移した当初は、同じ宗教・宗派でありながら、墓の細かな作りやお盆の時の風習など、その土地ならではの習わしに違いがあって、戸惑うことが度々であった。5月24日に初めて参詣した法要もその一つだ。
春先に、お寺から封書が届いた。5月に「普度会(ふどえ)」を催すから参詣してほしい、という案内が入っていた。「普度会」という文字そのものは、年に何回か届けられるお寺からの書類やお知らせなどに記されていて、目に馴染みはあったのだが、何のことやら、どんなことをするのか、全く知らなかった。ところが今回お寺から届いた封筒には参詣を促すパンフレットが同封されていて、それを読み、初めて起源や目的を知った。今回はお寺が「普度会」を催す当番(これを「宿寺」と呼ぶらしい)に当たるためか、“いわれ”などが詳しく書かれていたからだ。また実際に参詣した法要でも、「普度会」について更に詳しく書かれた、『曹洞宗連合法要 普度会』と題するパンフレットを頂いた。
その内容を読むと、190年も前にこんな篤志家がいたのか、と感心する。餓死する人が出ている訳ではないが、今の日本も、米を始めとする諸物価の値上がりで、困窮家庭ならずとも多くの庶民が悲鳴を上げている。しかも、そんな庶民の気持ちを逆なでするような発言をする政治家がいるのだから腹が立つ。その腹の虫がまだ収まらないでいるだけに、余計に「普度会」の精神が際立ち、胸に刺さる。これ見よがしにはなるが、その精神を垣間見ることのできるパンフレットの一部を、以下に転載する。
起源…伝統
一八三五(天保六)年の「天保の大飢饉」で日本は全国的に餓死する人々が続出し、また病気も大流行しました。そのため人々は不安な日々を過ごすことを余儀なくされ、人心や世の中を荒廃させるという悪循環を引き起こしました。それはここ加賀の国金沢も例外ではありませんでした。
この出来事に心を痛められた能登屋又五郎(のとやまたごろう)氏は銀七十五枚を布施(ふせ)して曹洞宗の僧侶を集め『施食会(せじきえ)』という法要を行いました。これが『普度会』の始まりです。
普とは 普(あまね)くすべての人々に という意味であり、度とは 幸せを施(ほどこ)す という意味です。まさに『すべての人々に幸せを施す、金沢の伝統法要』です。
私財を投じて『施食会』を行い、みんなの幸せを願われた能登屋又五郎氏のまごころに応(こた)えるため金沢の曹洞宗の僧侶はそれ以後毎年春秋の二期、今日まで絶えることなく『施食会』を行っています。また名称も『普度会』と改められ今日に至っています。(原文のまま)
また、「祈り」と題する説明には、「施食会」について、こんな風に書かれている。「食(じき)を施(ほどこ)す」とは、自分さえ良ければいいという考えを改め、みんなで共に幸せになりたいと願う心の顕(あらわ)れです、と。何と尊い考え方だろう。江藤拓前農林水産大臣の大炎上した一連の発言と比べれば天と地ほどの違いがある、と思うのは私だけではあるまい。大臣ともあろう方が、こうした“施食”の心を、多少なりとも持ち合わせていないものだろうか。それとも、どこかにうっかり置き忘れてしまったのだろうか。
それにしても、報道番組で『コメが高くて買えない!』と嘆く国民がいるのに、『コメは買ったことがない。支援者の方々がたくさん下さるので、家の食品庫に売るほどある』とは、どの口が言うのだろう。仮に支援者を前にしたリップサービスだとしても、普通の神経では、しかも世を騒がす米騒動を主管する担当大臣が、言える言葉ではない。「うっかり口が滑ってしまった!」という類のものでもない。こんな人が「大臣です」と要らぬ虚勢を張られたのでは、国民は堪ったものではない。こんな人を選んだのか、と悲しくなってしまう。
ただ、支援者へのリップサービスではなく、その内容が事実だとすれば、それはそれで問題だ。やっぱり政治家は甘い汁を吸っている、とみられるからだ。今どきそんな政治家は限られていると思うが、尊い心で続けている「普度会」に負けず劣らず、二世、三世と議員が続いて行くところをみると、あながち特殊な例、とは言い切れないのかもしれない。いずれにしても、「施食」の説明に書かれていた様に、「自分さえ良ければいいという考えを改め、みんなで共に幸せになりたいと願う」、そんな篤志の心を持った政治家が増えることを願うばかりである。そのためには、我々一人一人がそうした心を忘れない事が肝要だ。それを改めて思い起こさせてくれた、今回の「普度会」であった。
【合掌】
【文責:知取気亭主人】
ニオイナデシコ
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