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知取気亭主人の四方山話
 

『僕らのスーパースターが…』

 

2025年6月11日

今回のこの四方山話、僕らの子供の頃流行った歌番組で司会者が番組冒頭で言っていた名調子、『一週間のご無沙汰でした』の言い方を借りれば、『二週間のご無沙汰でした』となる。先週、突然の体調不良で予告もなく休刊してしまったからだ。休刊したのは、昨年の夏に弁膜症(大動脈弁狭窄症)の手術を受けた時以来で、約9ヶ月ぶりとなる。詳しい話は改めて書くつもりでいるが、先月末に突然の腹痛と血便で病院に運ばれ、1週間余りもダウンしてしまった。まだ完全復活とまではいかないが、少しずつ体調も回復してきていて、現在は、そろそろ普段の食事に戻ろうかという状況だ。

休刊という苦渋の選択をしながらも、いつもの様に「こんな貴重な(?)体験を逃す手はない」と、回復したら早速話題として提供しようと考えていた。ところが、そんな思いがすっ飛ぶ様なショッキングな出来事があり、我が身の話などどうでもよくなってしまった。何しろ、僕ら昭和10〜30年代生まれの男子の憧れであった、“僕らのスーパースター”の訃報が流れてきたからだ。昭和の成長とともに歩んで来た多くの日本人の心を鷲掴みした人が亡くなってしまった。彼が活躍した野球ばかりでなく色々な分野の人達から、悲しみの声が続々と報じられていて、その圧倒的人気は、亡くなって改めて物凄いものだったと気付かされている。ショッキングな出来事とは、そう、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄さんが突然旅立ってしまった事だ。

6月3日、長嶋さんが亡くなった。1936(昭和11)年生まれの89歳だった。1949年生まれの僕より13年先輩だ。彼の選手や監督としての輝かしい経歴、あるいは選手時代から伝えられた数々の微笑ましくもユニークなエピソードなど、これでもかという位に各種メディアが報じている。しかも、愛情を持って。同じ野球選手ばかりでなく、他分野の著名人やインタビューした記者たちなど、とにもかくにも多岐に渡る人たちが故人を偲んでいる。いずれも、誰からも愛されていた理由が分かる、そんな内容ばかりだ。

他の世代もそうだったとは思うが、我が身を振り返ってみると、僕ら団塊の世代の男子にとっては、ナンバーワンの憧れの人だった。スーパースターだった。小学生のころ友達と野球の真似事をして遊ぶ時など、誰がサードを守り4番を打つか、そんなことを我先にと競ったものだった。みんながみんな、「背番号3,サード長嶋」に憧れ、一塁への送球動作も、派手な空振りの仕草さえ真似た。それ程人気があった。それまであまり人気の出なかったプロ野球(人気のあった六大学野球に対し職業野球と言われていたらしい)を国民的人気に高めた最大の功労者、とも言われている。

その長嶋さんが活躍した前後の時代を、時代背景と共に、極めて簡単な年表にしてみた(表-1)。年表は、第一次ベビーブームのピーク(約269万人)で僕の生まれた年でもある1949年から、現代日本サッカーが産声を上げたJリーグ開幕の1993年までとした。なお、長嶋選手の打率やホームラン数など、打撃成績については割愛してある。

表-1 簡易年表

長嶋選手簡易年表 備    考
1949(昭和24)年 第一次ベビーブームピーク(約269万人)
1953(昭和28)年 NHKで野球のテレビ放送始まる
1958(昭和33)年 巨人に入団、新人王獲得 小生9歳(小学3年生)
1959(昭和34)年 天覧試合でサヨナラホームラン
1964(昭和39)年 東京オリンピック(第18回夏季大会)
1974(昭和49)年 引退 小生25歳
1993(平成5)年 Jリーグ開幕(10クラブにて)

こうして年表にしてみると、長嶋さんは、丁度僕ら団塊の世代が野球で遊び始めた頃にプロ野球に入り、僕らが社会に出て働き始めた頃に引退している。僕らの青少年時代と見事に重なる。その間に、前回の東京オリンピックが開催された。この東京オリンピックに合わせる様に、急速にテレビが普及し出し、その中で、プロ野球中継はとっておきの娯楽番組となった。結果、プロ野球人気を押し上げ、拡大するきっかけを掴んだ。また、当時は経済成長真っただ中で、終戦直後の荒廃から立ち上がっていく国民の熱量は大きく、娯楽に対しても熱狂的なものがあった。サッカーもバレーもバスケも放映されていない時代に、プロ野球はスポーツ番組の花形だった。その一翼を強力に担ったのが長嶋さんだった。

打者としての実力、明るいキャラクター、華麗な守備など、どれをとっても一流だった。選手を引退した後は巨人の監督を2度務め、常識破れの采配が話題になることも多かったが、長きに亘りプロ野球の話題の中心にいた。いまでこそ野球人気を凌ぐのではないかと思われるサッカーだが、年表にある様にJリーグが始まるのに、NHKで野球のテレビ放送が始まってから40年、1968年のメキシコオリンピックで日本代表チームが銅メダルを取ってから25年もの歳月を要している。「日本に於ける野球とサッカーの違いは何だったんだろうか?」と考えた時、サッカーをビジネスとして捉える人がいなかったということもさることながら、残念ながらサッカー界には長嶋さんの様な「僕らのスーパースター」と口を揃えて言える憧れのヒーローがいなかった、と思うのは入れ込み過ぎなのだろうか?

そんな僕の戯言はさて置いて、長嶋さん、たくさんの感動をありがとうございました。

【合掌】


【文責:知取気亭主人】


バラ
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