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知取気亭主人の四方山話

『拉致と拘束』

2026年1月14日

今年の正月は、例年に比べると思いの外酒の量が減る一方で、テレビを観て過ごす時間がかなり増えてしまった。箱根駅伝中継や華やかな正月番組の外に、録画していた映画やドラマをタップリと楽しませてもらったからだ。数多く観た録画の中に、若かりし頃の俳優佐藤浩市が主演を務めた映画がある。題名を「KT」という。今から半世紀ほど前の1973年(昭和48年)に日本で実際に起きた拉致事件を映画化したものだ。

その事件とは、田中角栄(1918−1993)が首相の時に発生した、日本のホテルに滞在していた韓国の政治指導者が韓国の公安当局によって拉致され韓国に連れ戻された、という衝撃的な事件だ。連れ去られたのは、後の韓国大統領となる韓国野党の指導者だった金大中(1924−2009)だ。実際の事件のあらましは、日本記者クラブの取材ノート『金大中拉致事件(青木徹郎)2003年5月』(https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/22382)にかなり詳しく述べられているので、ご存じない方はそちらを参照していただきたい。ただ、小生が観賞したのはあくまで映画。そこには、実際の事件には関与していなかっただろうと思われる日本の公安警察や自衛隊が複雑に絡んでいる様に描かれていて、グッと引き込まれる内容になっている。そして、日本側に拉致の協力者がいたようにも描かれている。ただいずれにしても、日本にとっては、主権が侵害されたという許しがたい深刻な事件であった。

主権が侵害されたという点では、日本は何度もそれを許してきている。金大中事件よりももっとも恥ずべきものは、北朝鮮による一般国民の拉致事件だ。自分が生まれ育った国内で生活していて、不法に侵入してきた北朝鮮人によって拉致され、北朝鮮まで連れ去られたのだ。国は、「国民の生命財産を守る」という最低限のことができなかったことになる。国に対して愛想が尽きかねない、深刻な問題だと言える。そして今、かの国でも、同じような批判が湧き上がっているに違いない。大統領が拘束された、ベネズエラのことだ。

まだお屠蘇気分真っ只中の1月3日(日本時間4日)、アメリカ軍がベネズエラの首都カラカスを急襲してニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拘束した、との衝撃ニュースが流れてきた。しかも、大規模な戦闘にもならず拘束したという。国際法に照らし合わせれば、主権侵害も甚だしい。ところが、主権侵害だとしてアメリカを激しく非難して即時に大統領解放を叫ぶ民衆もいれば、これでやっと故国に帰れると喜ぶ国外避難者もいる。どうも国内事情は複雑らしい。その上、中国やロシアの影がちらつき、世界屈指といわれる埋蔵量豊かな石油の利権も絡み、政治や経済の専門家でもこの先の見通しは立てにくいらしい。そんな複雑なものは報道にお任せするとして、この四方山話では、もっと身近な話題に焦点を当てたい。ということで、金大中事件などでは「拉致」という言葉を使ってきたのに、マドゥロ大統領夫妻の事件報道では「拘束」が使われている、その不思議をリサーチしてみた。

報道によれば、マドゥロ大統領夫妻はアメリカ軍によって無理やり連れ去られた、とされている。これを聞いた時、瞬時に浮かんだのは「拉致」という言葉だ。金大中事件と日本の拉致事件の事も直ぐに思いだされた。ところが、報道各社は「拘束」という、やや緩やかとも思える表現を使っている。「命を奪おうとまでは思っていないのかな」と思いつつも、なんとなく違和感を覚えた。貧乏性なのか覚えた違和感をそのまま放置できず、この話題を四方山話で取り上げることとし、「拉致」と「拘束」にどんな違いがあるのか調べてみた。お世話になったのは、「旺文社 国語辞典 第八版』(旺文社 1992)だ。そこに載っていた各解説文は、以下の通りだ(原文のまま)。

【拉致】:むりに引き連れて行くこと
【拘束】:一定の行為を制限、または強制すること

この解説文に素直に従えば、マドゥロ大統領夫妻の事件に関しては、「拘束」という言葉で片付けてしまうには少々無理があるような気がする。ベネズエラ国内で捕まりアメリカに移送されるまでと、アメリカ国内で監視された状態の今と、二つの状態を分けて表現すべきだったのではないかと思う。ベネズエラ国内で捕まりアメリカに移送されるまでは金大中事件と同じで「拉致」が、そしてアメリカで被告の身となった現在は「拘束」が適当なのではないだろうか。むりに引き連れて行かれたのは、どう考えてもやっぱり「拉致」だろう。しかしアメリカに移送された今は、身柄は明らかに不自由ではあるものの、無実であることを発信できているところを見れば、「拘束」と表現してもおかしくないのかもしれない。でも、「拉致」は使われず、「拘束」のみが使われた。ひょっとしたら、日本の報道陣は移送され終わってから情報を得たため、「拘束」のみが使われた可能性もある。

しかし、映画「KT」を真似て、ここからは年寄りが読み解いた筋書きをこっそりと述べておきたい。今我が国は、中国との関係がギクシャクしていて、何とかアメリカに援護を頼みたい。そんな時に北朝鮮による拉致事件と同じ厳しい表現を同盟国と頼むアメリカに対して使うのは如何なものか、という忖度が働いたのではないか…。ジャーナリストはそこまで落ちぶれていないかな?


【文責:知取気亭主人】


くっきりと浮かび出た年輪

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