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2026年8月12日
今、第108回全国高等学校野球選手権大会、通称「夏の甲子園大会」が開かれ、高校球児たちが熱戦を繰り広げている。5日に開幕し、8月11日に行われた4試合終了時点で、既に23校が敗退し甲子園を去った。その23のいずれの試合もそうだが、地元の代表校を中心にテレビ観戦したりラジオ中継を聴いていたりすると、いつものことながら、大歓声あり溜息ありそして涙ありの、筋書きのない素晴らしい青春ドラマを楽しむことができる。故郷を離れても出身県の学校を応援する、そうした思いもあって、男女や年齢を問わずファンは多い。私もその一人で、春の甲子園大会と共に、大好きな大会だ。試合中継は観られなくても、どうしても夜のニュースで結果を確認してしまう。
そんな大好きな夏の甲子園大会がきっかけで、思い出させてもらったことがある。ある特別な日が目前に迫っていたことだ。それも、以前この四方山話で『忘れてはならない日』(第821話)と題して、「日本人には忘れてはいけない四つの日がある」と書き、自らにも言い聞かせていたその忘れてはいけない日の一つを、すっかり忘れていたのだ。うっかりすれば、危うく過ぎ去ってしまうところだった。
夏の甲子園大会が始まる一週間ほど前、放送を待ちきれずに、開幕日はいつだったか、妻に訊いた。『高校野球は確か4日からだったよな?』と同意を求めたところ、『5日の筈よ』と妻。その理由を聞いて、「あッ、そうだったか!」と気付かされた。『大体、2日目の第一試合の時に、広島に原爆が投下された時刻に合わせて黙祷を捧げていたと思うから、開会式は“原爆の日”の式典があるその前日の5日だよ』と言う。その一言にハッとした。偉そうに『忘れてはならない日』などと書いたのに、うっかりしていた。記憶力が落ちたのか、認知機能が低下したのか、いずれにしても、恥ずかしながらすっかり8月6日が「広島原爆の日」であることを失念していた。言われて、「そうだった!」と気付いた次第だ。
毎年8月のお盆の頃になると流れる先の大戦の映像を観たり、井伏鱒二(1898-1993)の小説『黒い雨』や野坂昭如(1930〜2015)の短編小説『火垂るの墓』、更には中沢啓治(1939〜2012)の漫画『はだしのゲン』などを読んだりして、原子爆弾による広島の被害の悲惨さは脳裏に焼きつけていた筈なのに、この有様だ。何とも情けない。「人間は、嫌な事は忘れるようにできている」と聞いた事はあるが、あれだけ悲惨な出来事だったのに薄らいでいってしまうとは…、何ともやるせない。これだからこの地球上から争いや戦争が無くならないのだな、と妙に納得してしまう。
けれども、それではいけない。争いや戦争がいまだに止むことはなく、或いは自然災害による死者が年々増加しているとしても、それらに比べて原子爆弾による被害がいかに悲惨なものか、決して忘れてはいけない。勿論、争いや戦争の大小に優劣を付けるものではない。それは当たり前のことだ。とは言え、一瞬にして大量虐殺され、爆弾炸裂後も長きに渡って放射能被害に苦しめられた悲惨さは、やはり筆舌には表しがたい。後世にいつまでも伝えていかなければならない惨事であることは、言を俟たない。
広島市のホームページに、『原爆・平和』と題するコンテンツがある。その中の『死者数』(https://www.city.hiroshima.lg.jp/atomicbomb-peace/fukko/1026918/1020948.html)を読むと、「原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。(原文のまま)」と書かれている。そして、“放射線による急性障害”が一応収まった昭和20年(1945年)12月末までに約14万人 (±1万人)が亡くなった、と推計している。被害が激しすぎて実態が把握できていないのが、正直な話らしい。
また、広島市、中国新聞社など新聞4社、日本放送協会、そして共同通信社の計7者が共同で構築している『ユネスコ「世界の記憶」登録候補 広島原爆の視覚的資料 ―1945年の写真と映像』の『広島の原爆被害』(https://visual-archives-hiroshima.jp/damage/)を読むと、原爆の恐ろしさが生々しく伝わってくる。それによれば、先に述べた“急性障害”が収まった後、つまり昭和21年1月以降、放射線に起因する“後障害”が引き起こされた、とある。そして、「代表的な白血病は被爆2〜3年後に増加し始め、7〜8年後にピークに達した。その他のがんも、被爆5〜10年後ごろに増加が始まったと考えられている。(原文のまま)」と続けられている。結果、広島市原爆死没者名簿に登録される原爆死没者は増え続け、令和7年(2025年)8月6日現在で、349,246人にもなる(広島市発表)。ここでは触れなかったが、長崎の原爆被害も同様に悲惨だ。
これほど悲惨な被害が出ているのに忘れてしまいそうになるとは、“時が経つ“ということは本当に恐ろしい。徐々に徐々に記憶は薄らいでいく。やがて、何事も無かったかのように思い出せなくなってしまうのではないか、そんな心配さえしてしまう。そうした中、今頃の季節になるとニュースでよく流れる、広島の原爆被害を語り伝える“語り部の活動”、今は若い人にも引き継がれていると聞く。こうした地道な活動が、薄らいだ記憶を蘇らせる、あるいはもっと深く記憶させるのに大いに役立っているのだな、と再認識した次第である。唯一の被爆国国民として、有難いことだ。そして、必要なことだ。
【文責:知取気亭主人】
ヘリオプシス(別名:ヒメヒマワリ)
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