1.コラム100とK&iウェブアカデミーの講習会
『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』のシリーズコラムは、いさぼうネットで令和7年(2025)4月24日にコラム100を公開しました。
翌日の4月25日(金)に第46回K&iウェブアカデミー「匠の知恵 ベテラン技術者の経験を学ぶ〜歴史的大規模土砂災害と斜面対策工設計における時間軸など〜」が実施されました。筆者と長寿補強土株式会社取締役社長の三田和朗氏が以下の話をしました。
参加申込者は1200名を超え、当日の参加者も1000名近くになったと聞いています。
今回のウェブアカデミーでは井上は60分の時間で、120コマのPPTを用いて「演者は東京都立大学理学部地理学科を卒業して、コンサルタント会社に就職し、防災関係の業務を担当してきました。業務を実施しながら史料・絵図を読み解き、歴史的大規模土砂災害の事例を調査してきました。今回は調査・研究してきた事例を紹介するとともに、調査・研究事例から得たことを説明します。そして、若い研究者に今後の調査・研究について伝えたいことを話したいと思います。」と説明しました。
説明項目を整理しますと、
- 1.いさぼうネットのコラムの概要−コラム66,99,100
- 2.八ヶ岳大月川岩屑なだれ(887)による天然ダムの形成・決壊−コラム3,72,73,96
- 3.天正地震(1586)による土砂災害−コラム31
- 4.日光大谷川流域の地形特性と土砂災害(1662)−コラム10,11
- 5.富士山宝永噴火(1707)〜長期間に及んだ土砂災害〜−コラム6
- 6.四国山地の土砂災害(1707,1854,1892,1972,1976等)−コラム13,14,15,26,29,52,53,54,79
- 7.浅間山天明噴火(1783)と鎌原土石なだれ,天明泥流−コラム18,19,78,96
- 8.島原大変肥後迷惑(1792)−コラム7
- 9.紀伊半島豪雨(1889)による土砂災害と北海道移住−コラム28,57,58,77,79,85,86,90,91,98
- 10.濃尾地震(1891)による土砂災害―コラム32,33,89
- 11.関東地震(1923)による土砂災害−コラム37,38,39,40,74,82,83,84,87,88,92,93,94,95,96,97
- 12.ピナツボ火山の巨大噴火(1991)と28年間の地形変化−コラム50,51
- 13.広島市安佐南区・八木地区の災害伝説と大正15年(1926)災害−コラム46,47
- 14.歴史的大規模土砂災害の調査研究で得たもの、伝えたいこと−コラム99,100
関東地震による土砂災害は、一番多くの調査・研究をした事例であり、説明したかったのですが、持ち時間(60分)の関係から説明しませんでした。今回説明しなかった事例も多くありますので、時間のある時に関心のあるコラムをご覧下さい。
いさぼうネット事務局から講習会終了後のアンケートの回答(809名)を頂き、すべて読ませて頂きました。問1と問2について整理されたグラフを以下に示します。かなり良好な回答を頂き、少しほっとしています。しかし、60分間で120コマのPPTで説明したため、詰込み過ぎて分かりにくかったという意見を頂きました。また、配布資料を8コマ/枚×15頁としたため、図が小さく分かりにくかったと指摘を受けました。今回は教育訓練の資料ということで、挿入した絵図・図・写真については、著作権者に「転載許可願い」を出しませんでした。鮮明な画像については、元のいさぼうネットのコラムをご覧下さい。これらの画像はすべて「転載許可」を得ています。<拡大表示>と示された画像は、<拡大表示>をクリックすると鮮明な拡大画像が閲覧可能です。他へ転載する場合には、著作権者の「転載許可」を必ず取って下さい。
図1 アンケート:セミナーの講師にはどの程度満足度したか
図2 アンケート:次回も受講したいと思うか
2.令和6年能登半島地震などの現地見学
令和7年(2025)4月25日(金)はK&iウェブアカデミーの講演があって金沢まで行きましたので、26日(土)と27日(日)に能登半島地震による被災地を見学したくなりました。このため、五大開発株式会社といさぼうネット事務局にお願いして、令和6年(2024)1月1日に発生した能登半島地震と9月に発生した豪雨による被災地を見学してきました。
以下の5名で現地見学を行いました。
- 蒲原 潤一:砂防フロンティア整備推進機構 研究第二部長
- 井上 公夫:砂防フロンティア整備推進機構 専門研究員
- 小田 兼雄:五大開発株式会社 取締役相談役
- 藤原 大佑:五大開発株式会社 技術本部
- 新谷 悠介:五大開発株式会社 WEB技術部 ソリューション課(いさぼうネット事務局)
藤原様と新谷様には、2日間の現地見学のルートと行程計画,「令和6年能登半島地震巡検案内書」を作成して頂き、現在の道路状況を考慮して、ルート選定して頂きました。
蒲原様は能登半島地震発生から6ヶ月ほどは国土交通省砂防部で、地震災害対応の情報収集を担当されており、被災地の地名を良くご存知でした。このため、行程計画で予定した見学先だけでなく、必要に応じてルートを変更して、多くの土砂災害地点を見せて頂きました。
図3は1日目(4月26日)、図4は2日目(27日)の見学ルートを示しています。
図3 1日目(4月26日(土))の現地調査ルート,×は大規模崩壊通行止め
図4 2日目(4月27日(日))の現地調査ルート,×は大規模崩壊通行止め
以下に2日間の行程と被災地(図3,4の@〜S)の地名を記します。
1日目(4月26日(土))
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8:30
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金沢駅西広場出発
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↓
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50分
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9:20
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@西荒屋(内灘町):液状化被害が大きかった箇所
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↓
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120分
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11:20
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A鹿磯(輪島市門前町):地盤隆起量が最大4mの地点
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↓
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35分
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11:55
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B地原(輪島市門前町):石川県地すべり
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↓
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50分
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12:45
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昼食(能登町藤波)
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↓
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65分
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13:50
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C宇出津山分(能登町:旧能都町):昭和47年(1972)国道249号道路災害
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↓
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75分
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15:05
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D鈴屋川(輪島市町野町五里分付近):国交省直轄砂防,9月大雨土砂洪水氾濫箇所
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↓
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35分
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15:40
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D鈴屋川(輪島市町野町牛尾川合流付近):国交省直轄砂防,9月大雨土砂洪水氾濫箇所
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↓
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20分
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16:00
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E寺地川(輪島市町野町寺地):国交省直轄砂防,9月大雨土砂洪水氾濫箇所
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↓
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120分
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18:00
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宿(七尾市和倉温泉)着:和倉温泉で営業再開は6軒のみ,多くは災害復旧事業者のみ受入れ
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2日目(4月27日(日))
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7:45
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宿(七尾市和倉温泉)発
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↓
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135分 能越自動車道〜国道249号経由(75km)
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10:00
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S大谷(珠洲市大谷町):国交省権限代行河川.9月大雨土砂洪水氾濫箇所
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↓
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20分
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10:20
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F清水(珠洲市清水町):国交省直轄地すべり
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↓
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10分
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10:30
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G仁江(珠洲市仁江町):国交省直轄地すべり
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↓
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15分
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10:45
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H逢坂トンネル(珠洲市真浦町):国道249号大規模被災箇所
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↓
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15分
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11:00
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I曽々木(輪島市町野町曽々木):土砂崩壊箇所を車窓および車道より観察
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↓
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15分
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11:15
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J大川浜(輪島市町野町大川):国道249号大規模被災箇所
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↓
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10分
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11:25
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K渋田(輪島市渋田町):国交省権限代行地すべり
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↓
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20分 L名舟,M千枚田 駐車場混雑のため車窓から観察
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11:45
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N深見(輪島市深見町):石川県地すべり
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↓
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10分
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11:55
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O大野(輪島市大野町):国交省権限代行地すべり
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↓
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10分
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12:05
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P稲舟(輪島市稲舟町):農水省直轄代行地すべり
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↓
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15分
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12:20
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Q塚田川(輪島市久手川町):9月大雨土砂洪水氾濫箇所
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↓
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30分
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12:50
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昼食(輪島市内)
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↓
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50分
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13:40
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R市ノ瀬(輪島市市ノ瀬町):国交省直轄砂防,大規模地すべり
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↓
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140分
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16:00
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金沢駅港口(西口):解散
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藤原様や新谷様に作成して頂いた「令和6年能登半島地震巡検案内書」は、全部で168p.あります。蒲原と井上はこの巡検案内書をみながら、自分たちで撮影した写真などの整理を行っています。砂防学会・日本地すべり学会・日本応用地質学会などの公開シンポジウムを聴講する際に大変役立っています。また、色々な学会などが公表している能登半島地震の報告や論文を読む際の参考とさせて頂きました。
3.能登町山分地すべりの現地調査(昭和47年(1972)の道路災害)
3.1 山分(音羽)地区の道路災害の概要
今回の現地調査でどうしても行きたい地区がありました。昭和47年(1972)12月9日から始まった国道249号の道路災害です。それは、井上が日本工営に入社して2年目の冬のことです。地すべり変状が国道面に発生したため、国道は一時通行止めとなりました。この当時国道249号を通って、宇出津から珠洲市を経由して輪島に至る国鉄バス「のろし号」がありましたが、国道の通行止めで運行できなくなりました。井上は東京から出張を命じられ、数か月現地に滞在し、ボーリング調査などの地すべり調査を担当しました。当時アルバイトだった金沢大学工学部学生の小田兼雄様(現五大開発且謦役相談役)には、伸縮計・傾斜計・歪計(調査孔の水位計測)の観測と変動状況図作成などを担当して頂きました。
この時から井上と小田様との長い付き合いが始まりました。時には四国地方の地すべり調査などにも参加して頂きました。
平成27年(2015)4月から始めた「いさぼうネット」のシリーズコラム『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』を開始できたのも、小田様のお陰です。
後述するように、石川県では建設省の災害査定を受けて、多くの地すべり対策工事が実施され、地すべり変動は停止しました(現在国道は新しいバイパスができて、山分地区の道路は能登町道となりました)。
令和6年(2024)1月1日の能登半島地震が発生して以来、山分地区の地すべり変動が地震後に再活動したのか、大変気になっていました。今回能登半島の現地調査の機会を得たので、C宇出津山分(能登町:53年前は能都町)を特に加えて頂きました。
能都町・柳田村・内浦町は平成17年(2005)に合併して、能登町となりました。
石川県土木部砂防課の橋本浩一課長などに相談しましたが、53年前の災害記録・調査報告は残っていないとのことでした。
井上と小田様で53年前の不確かな記憶をたどりつつ、現地調査をしましたので、当時の新聞記事などを含めて報告したいと思います。
3.2 山分(音羽)地区の地すべり変状の歴史
Wikipediaによれば、この国道は昭和31年(1956)二級旧国道249号七尾珠洲金沢線として指定施行されました。昭和40年(1965)道路法改正により、一級・二級区分が廃止され、一般国道249号として指定施行されました。能都町宇出津地区では、3本のトンネルが建設され、宇出津第三トンネルを抜けると、山分地区に至ります。現在は宇出津バイパスが完成し、山分地区の国道249号線は廃止され、能登町道となっています。
北国新聞の昭和47年(1972)12月11日の記事によれば、「昭和47年12月9日頃から国道面にジワジワと地すべり変状が起き始めた。このため、県輪島土木事務所宇出津出張所では、応急対策を始めた。これらの亀裂・変状は国道の山手の畑地・山林と国道直下の埋立地にかけ、6.8haの広範囲にわたっており、地すべりの深さは5〜10m、傾斜度は20〜25度と推定された。特に国道では400mの区間にわたって、10〜30cmの亀裂が幅員7mいっぱいに生じた。土木出張所では、応急対策として水抜きボーリング27本を早急に実施する計画で準備を進めた。」と記されています。
昭和47年(1972)12月17日の記事によれば、「石川県能都町山分地内で発生した地すべりは、今なお1日6cmの移動で不気味に活動している。地すべりによる家の倒壊を未然に防ぐため、建て具製造業久本武治(39)さんが家の取り壊しをはじめた。県輪島土木事務所宇出津出張所では、16日から本格的な調査と応急水抜き工事を開始した。調査ボーリングは深さ20m、10孔を掘り、地下水や地盤の状況を調べる。水抜きボーリングは深さ50m、12本を掘り、水を抜くことによって地すべりを防止することにしている。」と記されています。
昭和48年(1973)1月7日の記事によれば、「国道249号線に大きな被害を出したが、建設省の災害査定も終わり、県輪島土木事務所宇出津出張所は年明けとともに2億1728万5000円の予算で本格的に災害復旧工事に乗り出した。工事の内容は、地すべり防止として国道の310mにわたって、鋼管杭(長さ20m,直径32cm)111本を2m〜2.5m間隔に道路の真ん中に打ち込む。地下水排除工として直径3m、深さ20mの集水井を5基設置し、1基につき10孔の集水ボーリングを施工する。また、国道の上側94m、下方に150mの土留め用の井桁擁壁を設ける。
しかし、国道が完全復旧するためには2年あまりの月日を要するため、延長300m、幅員5.5mの仮設道を国道下の笹谷川沿いに新設する。一方、笹谷川(普通河川)も地すべり被害を受けているので、能都町として1900万円の予算で国の工事と並行して災害復旧工事を実施する。現在、国道は午前7時〜午後6時まで通行でき、夜間は通行禁止となっているが、仮設道は3月いっぱいで完成するので、それ以降は昼夜の別なく、利用できることになる。」と記されています。
3.3 令和6年(2024)能登半島地震による山分地区の変状
国土地理院の「令和6年能登半島地震に伴う斜面崩壊・堆積分布図@」(令和6年1月19日作成,1月17日撮影の写真を判読)を見ましたが、山分地区の斜面変状は示されていませんでした。
2024年1月24日公表の土木学会の「令和6年能登半島地震石川県内の地震被害調査(速報)」によれば、能登半島地震により宇出津第三トンネル坑口は擁壁ごと崩壊しており、宇出津から珠洲市方面へは通行できなくなっています。
産総研20万分の1地質図図幅 富山(第2版)(2023)によれば、対象地の地質は、前期中新世の合鹿層が分布するとされています。合鹿層は、デイサイト火砕岩・溶岩で、礫岩、砂岩及びシルト岩を挟みます。デイサイト火砕岩は、多くが溶結-非溶結の火山礫凝灰岩~凝灰岩からなる火砕流堆積物です。山分地すべりブロック内に露頭は確認されないものの、写真1に示した宇出津第三トンネルの崩壊地には、非溶結の凝灰岩が分布していることを確認しました。
写真1 地震直後の宇出津第三トンネルの崩壊 写真2 地震前のトンネル坑口
土木学会令和6年能登半島地震石川県内の地震被害調査(速報),2024年1月24日
図5 林野庁崩壊箇所判読結果(能登町宇出津港付近)
図5は、林野庁が公開している崩壊箇所判読結果ですが、笹谷川に沿った道路(旧国道249号)付近に数か所の崩壊地形(図5の青●付近)が示されています。林野庁崩壊箇所判読結果は、林野庁により震災後の2024年4月に国土地理院実施の航空レーザ測量成果を活用し、震災前の航空レーザ測量成果(石川県)との差分解析等を行い、土砂崩壊や地すべり等を判読したデータです。写真1・2に示された宇出津第3トンネル坑口の崩壊地も判読されています。
国土地理院では、1975年以降4時期のカラー航空写真を撮影しており、地理院のHPで閲覧できます(2025年4月以降は閲覧できるがダウンロード(印刷)できなくなりました)。これらの写真を閲覧して、地形変化の状況を観察しました。
利用したカラー航空写真(国土地理院撮影)
- 1975年10月16日撮影:CCB75-18,C18-44,45
- 2010年5月18日撮影:CCB-20-101X,C13-24,25
- 2024年1月17日撮影:CCB202319,C4P-24,25
- 2024年4月26日撮影:CCB20-241,C12-22,23
このうち、昭和50年(1975)10月16日撮影の航空写真のデータを日本地図センターから購入しました。購入した写真は昭和47年(1972)10月16日撮影で、道路災害から3年後に撮影された写真で、災害復旧工事がほぼ完成した時期の状況が分かります。
写真3 国土地理院1975年10月16日撮影:CCB75-18,C18-44,能都町山分地区の拡大写真
〇は集水井の位置(3基),国道山側の井桁擁壁:94m,笹谷川沿いの井桁擁壁:150m
国道の310mにわたって、鋼管杭工(径32cm),111本(2〜2.5間隔)施工(位置不明)
笹谷川は能都町が災害復旧工事を実施,大きな建物は災害前に営業していたボーリング場
写真4 国土地理院1975年10月16日撮影:CCB75-18,C18-44,能都町山分地区の立体視写真
図6 石川県土砂災害情報システム(SABOアイ)
黄色地区は地滑り(基礎調査済)
(昭和47年(1972)の国道249号災害の範囲とほぼ同じである)
土砂災害(地滑り危険個所:音羽),S47災害で集水井施工,S48年10月竣工
図7 能登町宇出津山分地区の旧国道249号付近の能登半島地震による崩壊箇所
林野庁崩壊箇所判読結果(元縮尺1:2500)
宇出津3号トンネル付近の崩壊と旧国道付近の盛土部分の崩壊が図示されている
昭和47年(1972)12月発生の国道249号の地すべり災害の範囲
図6は、石川県土砂災害情報システム(SABOアイ)で、黄色地区は地滑り(基礎調査済)を示しています。昭和47年災害で集水井施工(S48年10月竣工)されたことを示しています。
図7は、能登町宇出津山分地区の旧国道249号付近の能登半島地震による崩壊箇所で、林野庁崩壊箇所の判読結果(元縮尺1:2500)を示しています。宇出津3号トンネル付近の崩壊と旧国道付近の盛土部分の崩壊が図示されています。
4月26日の現地調査写真(能登町宇出津山分地区)
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写真5 元のボーリング場の建物
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写真6 元のボーリング場付近の 能登町指定津波避難場所の看板
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写真7 金沢方面の道路面の亀裂
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写真8 国道山側の井桁擁壁 昭和48年(1973)施工 長さ94m(新聞記事による)
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写真9 国道谷側の建物
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写真10 国道山側の建物と 井桁擁壁
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写真11 古い国道山側の 擁壁下側が開いている
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写真12 国道山側の畑地 奥に集水井がある
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写真13 集水井の境界フェンス 昭和48年(1973)施工 近づくと水音が聞こえた
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写真14 国道谷川の盛土の亀裂 仮設道のための盛土?
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写真15 珠洲市側からみた盛土 かなりの部分が崩落
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写真16 国道山側の井桁擁壁
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写真17 珠洲市側の旧国道面の 沈下(地震で変動したか)
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写真18 珠洲市側の谷部分の国道 擁壁(地震動で大きく破損)
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写真19 珠洲市側からみた 旧国道面の変状
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4.むすび
53年ぶりに能登町山分地すべりについて、現地調査を行いました。残念ながら53年前の調査報告書や道路災害の復旧工事の記録はほとんど残っていませんでした。しかし、井上と小田様で現地を歩いてみると、53年前の地すべり変状と対策工事の状況を思い出すことができました。
令和6年の能登半島地震によって、宇出津第3トンネル坑口の崩壊や旧国道面の地すべり変状や小規模な地すべりも発生しました。もし、旧国道の災害復旧工事として、鋼管杭工や集水井工などが施工されていなければ、大規模な地すべりが発生していた可能性が高いと思います。
能登半島の北側地区では多くの崩壊・地すべり・土石流などが発生しましたが、南側地区ではこれらの土砂移動はそれほど多く発生していません。しかし、能登半島には多くの地すべり地形が存在し、今までにも多くの対策工事が実施されてきました。既往の対策工事が施工されていたため、大規模な土砂移動・災害が発生しなかった地区も多いと思います。
上記の観点から、能登半島地震と9月の豪雨災害について、見直していく必要があると思います。
引用・参考文献一覧
- 石田雅弘・星隈順一(2024):特集:令和6年能登半島地震の被害と復興に向けた取組み(前偏),
土木技術資料,66巻7号,p.5-43.
- 遠藤智之・出村政彬・協力:宍倉政展・岡村行信(2024.4):大隆起からひもとく列島形成の歴史,
日経サイエンス,2024年4月号,p.40-49.
- 大野宏之・堤大三・古谷元・瀧口茂隆・池田誠・宮城昭博・三池力・澤陽之(2024):令和6年
能登半島地震による土砂災害(速報),砂防学会誌,72巻2号,p.27-34.
- 國井修(2024.1.30):「陸の孤島」の災害を他人事にするな,A LESSON FOR JAPN,
NEWSWEEK,2024年1月31日号,p.20-25.
- 小暮聡子(2024.1.30):先が見えない輪島の現実,SURVIVING THE DAY,NEWSWEEK,
2024年1月31日号,p.26-31.
- 中日新聞社(2024.2.22):2024.1.1能登半島地震,緊急出版特別報道写真集,中日新聞社,65p.
- 出村政彬・協力:西村卓也・加藤愛太郎(2024.4):特集能登半島地震 能登の地下で何が起きて
いるのか,日経サイエンス,2024年4月号,p.32-39.
- 遠田晋二監修・今井明子執筆(2024.4):能登半島巨大地震 「震度7」と「4メートル隆起」の
メカニズムを徹底図解,ニュートン,2024年4月号,p.12-31.
- 長岡義博(2024.1.30):被災した故郷を見つめて A LETTER TO MY HOMETOWN,
NEWSWEEK,2024年1月31日号,p.18-19.
- 日経クロステック・日経アーキテクチュア・日経コンストラクション(2024.4.8):検証
能登半島地震 首都直下・南海トラフ地震が今起こったら,株式会社日経BP,192p.
- 二宮順一・工藤正智(2025.1):特集能登半島地震から1年―復旧・復興の現状と課題―,
土木學會誌,2025年1月号,p.4-33.
- 日本応用地質学会(2025.1.1):令和6年能登半島地震災害調査団報告書 能登半島地震が
なぜ起こり故郷がどう変化したのか―持続可能な故郷の再生に向けて―,日本応用地質学会,335p.
- 星隈順一・石田雅弘(2024):特集:令和6年能登半島地震の被害と復興に向けた取組み(後編),
土木技術資料,66巻8号,p.5-41.
- 北國新聞:昭和47年(1972)12月11日記事
- 北國新聞:昭和47年(1972)12月17日記事
- 北國新聞:昭和48年(1973)1月7日記事
- 北國新聞社(2024.2.15):令和6年能登半島地震 特別報道写真集 125p.
- 八木浩司・佐藤昌人・山田隆二(2024):令和6年能登半島地震に伴う斜面変状の空撮画像紹介,
日本地すべり学会誌,61巻4号,p.24-25.
- 令和7年砂防学会研究発表会概要集(2025年5月29日)
- 小杉賢一郎・田中めぐみ・法利祐香・瀧口茂隆・笹山隆:地震発生後も降雨による土砂災害の警戒手法,
T2-001,p.21-22.
- 権田豊・堤大三・堀田紀文・ゴメス クリスチファー・堀大一郎・對島美紗・星野慎司・小更亮・
宮田直樹・屋木わかな:能登半島地震で発生した崩壊の発生場の特徴について,T2-002,p.23-24.
- 今泉文寿・鈴木崇・河合政岐・河合水城・酒井佑一・高橋和樹・高山翔揮・西村直記:能登半島地震に
よる河道閉塞の形成と崩壊土砂の流動化,T2-003,p.25-26.
- 杉本宏之・小野和行・岸本海笛・古谷元・金俊之・小川内良人・田中靖政:令和6年能登半島地震による
地すべり防止施設の被災―令和6年能登半島地震砂防学会調査団第4班調査報告―,T2-004,p.27-28.
- 堀口俊行・西陽太郎・伊藤誠記:地震災害後に設置した緊急対策工における被災報告,T2-005,
p.29-30.
- 竹林洋史:2024年能登半島・豪雨によって発生した輪島市の土砂災害,T2-006,p.31-32.
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