1. はじめに
コラム64で、3年前の2019年7月27〜29日と11月1〜2日に実施した尾瀬沼南東部の巨大地すべり地の現地調査について説明しました。
3年前の2回の現地調査で多くのことが判明しましたが、新たな不明点も多く見つかりました。このため、2022年7月19日に群馬県環境森林部森林局森林保全課にお伺いし、3年前の調査結果を説明するとともに、以下の報告書を再度借用しました。
群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)報告書
群馬県治山造林課・沼田林業事務所(1973):昭和47年度復旧治山事業戸倉(ニゴリ沢)地区地すべり調査報告書
群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区報告書。
上記の内、上の2冊の報告書は、新入社員の2年間(7月〜11月)に尾瀬戸倉の松浦旅館に泊まり、調査を担当した結果の報告書です。50年前の金文字表紙報告書がそのままの状態で保管されていることに驚くとともに、改めて報告書を読み直しました。
2022年8月5日(金)〜7日(日)に、3度目の現地調査を計画しましたが、新型コロナウィルスの新規感染者が急増していることと天候状態があまりよくなかったため、延期することにしました。現地調査参加予定者と協議の上、2か月後の10月7日(金)〜9日(日)に実施することにしました。
少し天候状態は不安定でしたが、現地調査を行った10月8日(土)は比較的天候状態は良く、UAV(ドローン)の撮影も行うことができました。
本コラムでは以上の経緯を踏まえて、尾瀬沼南東部の巨大地すべりの調査結果の一部を報告します(コラム64もご覧ください)。
2. 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の特性
図1は,国土地理院が昭和53年(1978)に編集した昭和54年1月発行の5万分1集成図「尾瀬」の一部です。3年前の現地調査時のルートを追記してあります。北西部から至仏山・尾瀬ヶ原・燧ケ岳・尾瀬沼が並んでいます。尾瀬戸倉は群馬県側の最後の集落で、尾瀬ヶ原にはそこから鳩待峠まで車で行き、下って行く人が多く、尾瀬沼へは尾瀬戸倉から大清水まで車で行き、三平峠経由で入る人が多いようです。北東部に沼山峠があり、福島県側の自動車道(国道382号)は沼山峠まで開通していました。昭和46年(1971)当時問題となっていた自動車道建設問題は、大清水−三平峠−沼山峠間の道路建設と環境(完成後の観光客増加問題を含む)に関する問題でした。
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図1 1/5万集成図「尾瀬」(昭和53年(1978)国土地理院編集 赤〇が調査地の巨大地すべり地形(ルートは2019年時,2班に分かれて実施) < 拡大表示> |
昭和46年(1971)当時、大清水から沼山峠に抜ける自動車道建設工事が進捗中でした。大清水(標高1190m)から一ノ瀬(標高1420m)まで工事が進んでいましたが、石清水の湧水が枯れるなど、様々な問題が発生しており、大石武一環境庁長官が現地視察し、自動車道建設は中止されました。詳しくは、平野長靖(1972)『尾瀬に死す』と後藤充(1984)『尾瀬−山小屋三代の記』、コラム64などをご覧ください。
図2は、防災科学技術研究所の立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原」図幅で、図の北部に尾瀬ヶ原、尾瀬沼が存在します。赤〇の範囲が調査対象の巨大地すべり地形です。大きさは尾瀬沼とほぼ同じで、南北1.2km、東西1.0kmあり、頭部滑落崖は落差80〜100mで半円形に続いています(大八木,1974)。図2をみると、この地域周辺には調査地域と同様の巨大地すべり地形が多く存在することがわかります。
図3は、尾瀬沼東南部の巨大地すべり地周辺の赤色立体地図(国土交通省利根川水系砂防事務所提供のDEMデータをもとに足立勝治作成)です。図2と比較するとわかりますが、巨大地すべり地形の西側には、小淵沢田代から小淵沢(ニゴリ沢)、中ノ岐(奥鬼怒林道が通る)を経由して大清水に至る登山道(白点線)があります。
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図2 防災科学技術研究所:立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原図幅」
多くの巨大地すべり地形が存在する(
赤〇が調査地の巨大地すべり地形,コラム64)
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図3 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の赤色立体地図(足立勝治作成)
(国土交通省利根川水系砂防事務所提供の1mDEM利用,コラム64)
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写真1 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の地すべりブロック図(コラム64)
(林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C-29-10)
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写真1は,巨大地すべり地周辺の空中写真(林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C-29-10)で、井上が判読した地すべり滑落崖を赤線で示してあります。写真の上端部に白く見えるのは、小淵沢田代で尾瀬沼東部にあります。あまり登山客の通らない湿原で、観光客が増加する前の静かな湿原の雰囲気が残っています。巨大地すべり地の南側の尖端部は地すべり変動が活発で,群馬県林務部によって昭和44(1969)年度から復旧治山事業の調査が行われました。私の2年間の調査は復旧治山事業のための地すべり調査でした。地すべり地形内の東側には只見幹線の送電線が通り、路線下付近が幅100mにわたって刈り込まれ、送電線巡視路が通っています。
3. 1971,1972,2005年度の報告書の整理
復旧治山事業戸倉(ニゴリ沢地区)地すべり調査は、昭和44(1969)年度から始められています。私が担当した昭和46(1971)年度と昭和47(1972)年度の調査項目を表1に示します。昭和46年度は、ボーリング調査(7孔,掘進長240m)、変動量観測、弾性波探査(7測線,距離3600m)、地下水検層(5孔),地下水追跡(1式)です。昭和47年度は、ボーリング調査(8孔,掘進長353.3m)、変動量観測、電気探査(測線4.1km)、放射能探査(測線4.1km)、地下水検層(9孔),地下水追跡(1式)です。
松浦旅館の松浦和男様には測量の伐開作業を行って頂くとともに、地下水追跡で、ボーリング孔や湧水点の採水などを行って頂きました。地下水追跡は試薬を変えて2回行いました。昭和46年(1971)は11月2日にBV46-5号孔に硫酸マンガン、BV-46-7号孔にフローレッセンという薬品を投入、19箇所で11月30日まで採水を行いました。昭和47年(1972)は11月15日にBV47-3号孔に硫酸マンガン、A300地点付近の湧水点にフローレッセンという試薬を投入、23箇所で11月30日まで採水を行いました。松浦様には猟銃をかついで地すべり地内を巡回し、採水瓶に採水して頂きました。採水瓶は日本工営中央研究所に送り、地下水分析をして貰い、地下水の流動状況の推定を行いました。その結果、数ヶ所で投入した試薬の確認ができ、地下水の流下経路が判明しました。集水井などの設置位置は、上記の調査結果を踏まえて決定されました。
表1 昭和46年度と47年度復旧治山事業の調査項目一覧表
平成17年度の報告書は、表2に示したように巨大地すべり地の現地踏査とGPS観測の取りまとめが主な内容になっています。
図4は、復旧治山事業にごり沢地区下部地区平面図(群馬県利根沼田県民局,利根環境森林事務所,2005)で、巨大地すべり地のブロック分けがされており、GPS観測点(No.1〜No.16)や集水井の位置などが示されています。図の東側には、只見幹線のNo.131,No.130,No.129鉄塔が示されています。
表2 平成17年度復旧治山事業(調査委託)の調査項目一覧表
図4 復旧治山事業にごり沢地区下部地区平面図
(群馬県利根沼田県民局,利根環境森林事務所,2005)
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図5は、GPS観測点経年変動図(2000年7月〜2005年11月,2005年報告書より)で、図4にも示されていますが、観測結果による変動量が分かりやすく表示されています。表3は、尾瀬沼南東部の巨大地すべりGPS測量結果(2005年報告書より)で、観測期間2000年7月〜2005年11月(5年4ヶ月)のGPS測量結果を示したものです。変動量に差異はありますが、何れも南西方向に移動しており、巨大地すべり地の変動方向と一致していると判断されます。
図5 GPS観測点経年変動図(2000年7月〜2005年11月,2005年報告書より)
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表3 尾瀬沼南東部の巨大地すべりGPS測量結果(2005年報告書より)
観測期間:2000年7月〜2005年11月(5年4ヶ月)
図4によれば、地すべり変動が比較的顕著と考えられる斜面下部にCブロックがあり、その背後にBブロックがあります。その上部にはAブロックがあり、さらに上部に頭部滑落崖(落差80〜100m)があり、巨大地すべり地を取り囲んでいます(コラム64の図10に巨大地すべり地の全体地形が示されています)。
No.131鉄塔は、巨大地すべり地のサイド滑落崖の外側に設置されており、不動地点と考えられます。No.9,No.10測点はNo.130鉄塔付近に設置されていますが、GPS変動量は比較的少ないようです。No.1,No.2測点は、No.129鉄塔付近に設置されていますが、GPS変動量はかなり少ないようです。
巨大地すべり地下部のCブロック内に設置されているGPS観測点の変動量はかなり大きいようです。特に、No.15測点の変動量は大きく、5年4か月間の変動量が182.50cm(34.24cm/年)となっています。昭和46年(1971)施工の集水井(直径3.5m,深度20.0m)付近に設置されているNo.14測点は、5年4か月間の変動量が27.72cm(5.20cm/年)となり、集水井が完成してから51年間で2.5m程度変動しています。
今回の現地調査では、昭和46年施工の集水井を見つけて、集水井に変形があるかを確認することを一つの目的としました。
4. 令和4年(2022)10月7日〜9日の現地調査
2022年10月7日〜9日の現地調査は、以下のメンバーで行いました。
井上公夫:砂防フロンティア整備推進機構
足立達治:㈱プライムライン
佐藤昌人:防災科学技術研究所
青木慎弥:東京建設コンサルタント㈱
秋山晋二:国際航業叶シ日本国土環境保全部
今村隆正:㈱防災地理調査
亀江幸二:砂防フロンティア理事長・オブザーバー参加
10月7日(金) 上毛高原駅14時50分集合で、4輪駆動車のレンタカーを借用しました。
東京1340→上毛高原1446(とき323号)→椎坂峠1530〜1550(沼田盆地の地形を見る)→尾瀬戸倉1630,松浦旅館(ロッジまつうら)泊0278-58-7341
資料館「おぜの山偶楽」見学(松浦和男様の個人の資料館)
昭和46年(1971)・47年(1972)の調査時には、ボーリングの作業員や弾性波探査と電気探査の技術者も7月〜11月の長期間、尾瀬戸倉の松浦旅館に宿泊し、大清水を経て奥鬼怒林道・小淵沢林道を経て、毎日40分かけて戸倉から調査現場を往復しました。
7日の夕方には、資料館「おぜの山偶楽」を見学し、当時の戸倉から尾瀬付近の生活状況をお聞きするとともに、松浦和男様が60年間に捕獲した熊・鹿・鳥・小動物などのはく製を見せて頂きしました。個人の資料館としては非常に貴重な資料が多く展示されています。尾瀬沼・尾瀬ヶ原に行かれる際には、戸倉で一泊(途中下車)して、「おぜの山偶楽」を見学することをお勧めします。見学するには、松浦旅館(ロッジまつうら,電話0278-58-7341)に事前連絡する必要があります。
昭和46年(1971),47年(1972)の現地調査では松浦様に大変お世話になりました。夕食時には50年前の色々な思い出話を聞かせて頂くとともに、写真を見せて頂きました。夕食後、足立様に日本応用地質学会への投稿原稿について話して頂きました。
足立勝治・中曽根茂樹・小野田敏・佐藤昌人:空中写真判読による山地の応用地形学図作成の試み―大規模地すべり地の活動状況調査の事例―
佐藤様には、UAVの撮影による動画像などを見せて頂きました。
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写真2 おぜの山寓楽(松浦旅館資料館)
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写真3 山寓楽内部の展示と説明される松浦氏 |
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写真4 松浦氏が捕獲した熊のはく製と毛皮
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写真5 「夏の思い出」の歌詞 |
10月8日(土) の行程 (片品村から林道奥鬼怒線の「通行許可証」と鍵を借用)
尾瀬戸倉745→大清水810→小淵沢林道分岐830〜840(GPS測量の基準点確認)
⇒小淵沢林道終点900〜910(巨大地すべり地末端,集水井を探すも見つからず)
⇒No.130鉄塔950〜1030(UAV撮影準備)⇒No.129鉄塔1050〜1055
⇒No.128鉄塔1115〜1120⇒No.127鉄塔1135〜1200(昼食)⇒No.129鉄塔1235
⇒No.130鉄塔1300〜1320⇒集水井(S46年とS53年建設)を見つける1340〜1420
⇒地すべり地末端1440〜1500→小淵沢林道分岐1520→大清水1535→戸倉泊1600
10月9日(土)
戸倉820→吹割の滝900〜940→椎坂トンネル先の露頭(榛名山FPが30cm堆積)1000〜1010→中村養蜂店1020〜1030→上毛高原1110,1144→東京1300(たにがわ410号)
図6 北関東の主なテフラ(降下火砕物)の等層厚線図(町田・新井,1992,2003より井上編集),
aは写真6地点,
bは写真8地点のFpの露頭
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図6は、北関東の火山から噴出・降下堆積したテフラ(降下火砕物)の等層厚線を示しています。赤城山からは、4万年前の鹿沼軽石(KP)が東南東方向に降下堆積しました。男体山からは1.2万年前の今市・七本桜軽石(IP・SP)が東南東方向に降下堆積しました。榛名山からは、6世紀(1400年前)に二ツ岳降下軽石(Fp)が北東方向に降下堆積しました。浅間山からは、1108年(900年前)に浅間B軽石が東南東方向に降下堆積しました。これらのテフラが地表面に存在すれば、テフラの堆積以降地表面は大きく変形していないこと示します。したがって、これらのテフラの存在は地形発達史や斜面の安定度を考察する上で重要です。詳しくはコラム10をご覧ください。
図3と写真1に示したように、巨大地すべり地形の頭部滑落崖は非常に明瞭で、北から東方向に半円形に続いています。この滑落崖は巨大地すべりが地震などによって急激に変動して形成されたことを示しています。巨大地すべり地形内はかなり平坦で、当初の地すべり変動によって分離した平坦部が多く残っています。地すべり地の滑落崖上部の平坦地は袴腰山(高石山,標高2042m)の古い溶岩台地で、二ツ岳降下軽石(Fp)が10cm程度の厚さで黒土層の直下に存在するのを確認しました(No.130鉄塔付近,写真6)。また、10月9日の帰りに椎坂トンネル東側の国道付近の工事中の露頭があり、厚さ30cm程度のFpを見つけ、写真を撮影しました(写真8)。Fpは6世紀の榛名山から北東方向に降下・堆積した火山灰で、片品川や奥日光の地形発達を考える上で、貴重なテフラ(降下火砕物)となっています。Fpを水洗いしてみると、2〜5mmの軽石粒からなっていました(写真7)。2〜5mmの褐色の軽石粒ですが、堆積当時は白色の軽石でした。
このことから、巨大地すべりの発生(頭部滑落崖の形成)は、6世紀(1400年前)以前に発生したことが分かります、巨大地すべり地内の平坦部(送電線巡視路を歩くと)にもFpが残っている箇所が多くあり、地すべり変動があって地すべり亀裂が発生しても、地表面は変形していないことがわかります。
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写真6 No.130鉄塔付近(a)で見つけたFp (堆積層厚10cm)
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写真7 Fpを水洗いして軽石分を抽出 |
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写真8 椎坂トンネル西側の国道120号付近(b)のFp (堆積層厚30cmで表層土の下10cm付近に存在)
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同左側斜面のFp拡大写真 |
写真9 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形のカラー航空写真
(国土地理院 1976年10月7日撮影,CKT-76-2,C6-28,S=1/15,000)
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写真9は、復旧治山事業にごり沢地区の調査時に入手したカラー航空写真(国土地理院 1976年10月7日撮影,CKT-76-2, C6-28,S=1/15,000)で、巨大地すべり地の地形・植生状況が良く分かります。昭和43年(1968)頃建設された小淵沢林道が明瞭に認められます。No.130鉄塔に向かって直線状に設置された測線も認められます。この測線は、昭和46(1971)年度に調査した弾性波探査の測線です。立体視すると、カラー写真であるため、送電線巡視路や登山道、湿地や沼地、地すべりブロックの詳しい形態を読み取ることができます。
5. 令和4年(2022)10月8日(土)の現地調査
10月8日(土)は、松浦旅館(ロッジまつうら)を7時45分に4輪駆動のレンタカーで出発しました。今回は奥鬼怒林道と濁沢林道をなんとか終点まで走って登ることができました。7月末の豪雨で林道にはかなりの土砂が出て通行不能となりましたが、道路の補修工事が完了していました。土砂流出の箇所は数ヶ所あり、乗員は車から降りて、路上の大きな転石を排除しながら通行して行きました(写真10)。
3年前の2019年11月2日(土)には、大清水を経て奥鬼怒林道を2.4km行った地点のオモジロノ沢(滝が見える)付近で、台風19号による路床の洗堀により通行不能となりました。やむなくこの地点から小淵沢林道終点まで歩くことになり、登りに2時間、下りに1.5時間要することになりました(図1,コラム64参照)。
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写真10 小淵沢林道で沢から土砂流出、乗員は車を降りて、除石しながら慎重に進む
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写真11 小淵沢林道終点にやっと到着、送電線巡視路を機材を担いで登り始める
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写真12 巡視路途中のボーリング孔 (BV44-2号孔,掘進40m)
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写真13 No.130鉄塔に到着、全員の集合写真 佐藤氏(右端)がUAVにて撮影 |
小淵沢林道終点にやっと到着し、送電線巡視路を機材を担いで登り始めました。巡視路途中でボーリング孔の塩ビパイプ(BV44-2号孔,掘進40m)を見つけました(写真12)。流水のある沢を乗り越え、20分でNo.130鉄塔に到着し、UAVで全員の集合写真を撮影しました(写真13)。
写真14 写真9の拡大写真(国土地理院 1976年10月7日撮影,CKT-76-2,C6-28)
林道終点南側の治山堰堤(土砂は未満砂),No.130・129鉄塔、S46集水井を追記
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写真15 UAV画像,左
赤〇は昭和46年,右
赤〇は昭和53年施工の集水井の位置
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写真16 UAV画像,小淵沢林道終点から東側の沢部(左下に駐車した白い車)
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写真14は国土地理院が1976年10月7日に撮影した写真で、46年前の状況です。樹林は少しまばらで、昭和46年度に伐開した測線が良くわかります。送電線の幅で伐開してあり、巡視路は歩きやすく、微地形が良く分かります(写真9の拡大写真)。
写真15はUAV(ドローン)の撮影画像で、植生が繁茂し地表面の形状は良く分かりませんが、拡大してみると左赤〇は昭和46年,右赤〇は昭和53年施工の集水井の位置であることがわかりました。写真16は写真15の南側の画像で、小淵沢林道終点に停めた白い車や渓流の地形や流水状況が良くわかります。
写真17 UAVで撮影したNo.130鉄塔(No.131〜No.126鉄塔付近の巡視路は歩きやすい)
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写真18 No.130鉄塔からNo.131鉄塔方向を望む (鉄塔の下は側方崖)
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写真19 No.130鉄塔からNo.129鉄塔に向かう |
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写真20 No.127鉄塔からNo.126鉄塔方向を望む (No.126直下に頭部滑落崖)
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写真21 巨大地すべり地の頭部滑落崖を登る (落差80mあり、迂回している) |
No.130鉄塔からの帰りに、集水井を見つけることができました。BV44-2号孔のすぐ近くにありましたので、ピンクのリボンを付近の樹木に巻き付け、集水井と書きました(写真22,23)。図7 昭和57年度治山施設施工平面図(群馬県森林保全課,1982)によれば、昭和42年(1967)以降昭和57年(1982)までに実施されたすべての治山施設が示されています。実際に施工された集水井は3基で、翌年以降に集水ボ−リング、排水ボーリングなどが施工されています。昭和46年(1971)施工の集水井(深度20m)は昭和47年に集水ボーリングが施工されました。昭和52年とも記されていますが、その内容は不明です。昭和53年度に施工された集水井(深度15.5m)は、昭和54,55年度に集水ボーリングが施工されました。変状が現れたためか、集水井はかなり大きな砕石で詰石されました(写真24〜27)。
図7 昭和57年度治山施設施工平面図(群馬県森林保全課,1982)
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図8 A測線地質推定断面図(群馬県林務部,1971,昭和46年度報告書)
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図8は、A測線地質推定断面図(群馬県林務部,1971,昭和46年度報告書)で、地質状況はかなり複雑ですが、昭和46年度施工の集水井付近では、深度15m付近で岩着し、すべり面もこの付近と推定しています。集水井は深度20mまで施工されており、すべり面の下まで達されています。表3でも説明したように、集水井付近のNo.14測点では、5.4年間で27.72cm(5.2cm/年)変位しています。集水井施工から51年経過していますので、集水井の蓋のハッチを空け、中の変位状況を確認すべきです。
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写真22 巡視路に巻き付けたリボン 集水井と書き込む(BV-44-2号孔付近)
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写真23 昭和46年施工の集水井(掘進20m) 鋼製蓋は安定している(中は見えなかった) |
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写真24 1978年施工の集水井(深度15.3m) ライナープレートと鋼製蓋は変形していない
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写真25 蓋は開けることができた H鋼材で補強、砕石で埋められている |
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写真26 集水井の中の状況 中央の黒い管(径50cm)は水位観測用か
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写真27 昭和53年(1978)年施工の 集水井の掘削残土 |
昭和46、47年(1971,1972)当時は、完成したばかりの治山堰堤には水がたまり、野鳥や熊の水飲み場でしたが、今回の調査時には、堰堤の背後には流出土砂が大量に堆積していました。この堰堤に流入する渓流は裸地状態でしたが、鋼製の谷止工が施工され、植生は繁茂し、安定しているようでした。
現地調査の翌日出発前に松浦旅館(ロッジまつうら)の玄関で、松浦様(写真中央)と一緒に記念写真を撮りました。来年は水芭蕉の咲いている頃、松浦旅館と長蔵小屋に泊まり、大江湿原の柳蘭の丘にある平野家の墓地のお参りをしてから、巨大地すべり地の現地調査を行いたいと思います。
写真28 松浦旅館(ロッジまつうら)玄関での記念写真,写真中央が松浦氏
6. むすび
3回の現地調査で多くのことが判明しましたが、新たな不明点も多く見つかりました。
巨大地すべり地の先端部付近は、地すべり対策工事(3基の集水井)や治山堰堤・谷止工などの施工により、植生が繁茂しており、安定しているように見えます。しかし、平成7年度(2005)のGPS観測結果によれば、斜面下部のCブロックで4〜5cm/年の変位量が認められました。昭和46年(1971)施工の集水井は工事完了から51年経過しています。なるべく早く集水井の蓋のハッチを空け、集水井の中の変動量を確認すべきでしょう。昭和53年の集水井は昭和55年頃詰石工事が施工されており、集水井にはかなりの変形があったと考えられます。
小淵沢林道は小淵沢通過後巨大地すべり地の先端部に到達するまでに数回のヘアピンを通って登って行きますが、この付近は新第三紀の流紋岩(石英粗面岩)の小尾根部を通過します。この基岩はかなりの硬岩で、巨大な深礎杭のように巨大地すべりの変動を抑止しているように見えます。しかし、送電線の巡視路付近を写真判読・現地踏査すると、まだ地すべり変動が継続しているようです。
足立様は今までの調査結果について、日本応用地質学会誌に投稿中です。佐藤様は膨大なUAV(ドローン)の画像データを解析中であり、その結果を楽しみに待ちたいと思います。
本コラムをまとめるにあたり、種々の資料を提供して頂いた国土交通省関東地方整備局利根川水系砂防事務所、群馬県環境森林部森林保全課、並びに林道奥鬼怒線の使用を許可して頂いた片品村役場に御礼申し上げます。
引用・参考文献
足立勝治・井上公夫・佐藤昌人(2022.12):UAV画像によるニゴリ沢地すべり地線路下伐開地の微地形分析,応用地形学研究部会,配布PPT資料,39コマ.
足立勝治・中曽根茂樹・小野田敏・佐藤昌人(投稿中):空中写真判読による応用地形学図作成の試み―大規模地すべり地の活動状況調査の事例―,応用地質,9p.
井上公夫(2018):歴史的大規模土砂災害地点を歩く,V,丸源書店,コラム10 日光・大谷川流域の地形特性と土砂移動特性,p.58-65.
井上公夫(2019.7):現地見学会 コラム64群馬県北東部尾瀬沼東部の巨大地すべり地形を歩く,配布PPT資料,40コマ.
井上公夫(2019.11):第2回現地見学会 コラム64群馬県北東部尾瀬沼東部の巨大地すべり地形を歩く,配布PPT資料,48コマ.
井上公夫(2019.11):コラム64 群馬県北部尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形,いさぼうネット,18p.
井上公夫(2020):歴史的大規模土砂災害地点を歩く,V,丸源書店,コラム64 群馬県北部尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形,p.196-213.
大八木規夫(1974):尾瀬沼南東の大規模地すべり地形,講座V 空中写真で見る地すべり地形,地すべり技術,10号,口絵写真,本文p.47-49.
大八木規夫・内山庄一郎・小倉理(2015):地すべり地形分布図 第60集「関東中央部」,地すべり地形分布図の作成方法と活用の手引き,防災科学技術研究所資料,第394号,p.1-14.
群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区報告書
群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)報告書
群馬県林務部治山造林課・沼田林業事務所(1973):昭和47年度復旧治山事業戸倉(ニゴリ沢)地区地すべり調査報告書
後藤充(1984):尾瀬−山小屋三代の記,岩波新書,190p.
日本応用地質学会編(2000):山地の地形工学,古今書院,213p.
日本地形学連合(2017):地形の辞典,朝倉書店,地形種の分類,「表 規模による地形種の分類とその例」,p.562-563.
平野長靖(1972):尾瀬に死す,新潮社,274p.