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横浜の関東大震災(1923)による土砂災害については、以下のコラムで説明しています。
>コラム37 関東大震災(1923)による横浜の土砂災害―9月1日のプールの逃避行ルートを歩く―
>コラム82 プールの関東大震災(1923)9月2日以降の逃避行と復旧復興に果たした神戸の役割
>コラム83 ユーハイムとドイツ菓子(バウムクーヘン)@―2度の世界大戦と関東地震・阪神大水害を経験した独菓子職人―
>コラム84 ユーハイムとドイツ菓子(バウム
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筆者は「いさぼうネット」で、平成27年(2015)4月から『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』のシリーズコラムを執筆・公開してきました。令和6年(2024)8月までにコラム95まで公開され、総アクセス数は71万7927件となっています。『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』のコラムは「いさぼうネット」で検索すれば、誰でも無料で閲覧できる便利なサイトです。...
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コラム93と94で、丹沢山地東部、特に大山阿夫利神社周辺の関東地震による被害状況と復興状況について説明しました。現地調査と原稿の執筆中に、秦野市(旧東秦野村)北部にあった諸戸林業株式会社((株)諸戸ホールディングス)と清川村札掛集落の関東地震前後の変遷の状況が分かってきました。...
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2024 年3月15 日(金)に伊勢原市教育委員会の諏訪間伸様に案内して頂き、井上と相原延光様で関東地震(1923)によって激甚な土砂災害を受けた大山阿夫利神社参道周辺の寺院や民家と河川地形の状況を現地調査しました。関東地震後に内務省は直轄砂防事業として、金目川水系鈴川源流部の南沢と不動沢(大山ケーブル駅附近)に3個所の重力式練積堰堤(元滝堰堤、八段堰堤、袋町堰堤)を昭和3年〜5年(1928〜1930)を建設しました。
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2024年1月21日(日)に横浜情報文化センターで、丹沢大山再生委員会主催(神奈川県自然環境保全センター共催)の2023年度丹沢大山自然再生活動報告会が「関東大震災から100年〜歴史からみる丹沢〜」をテーマとして開催されました。
プログラムは以下のようになっています。
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千葉県南部は、関東地震による激震地域ですが、土砂災害はあまり知られていません。参謀本部陸地測量部(現国土交通省国土地理院)は、震災直後の9月6日〜15日に延べ94名の要員を配して徒歩で現地調査を行い、「震災地応急測図」(1/20万帝国図(地勢図)2枚,1/5万地形図28枚,1/5万秘図7枚,1/2万地形図7枚,1/1万地形図19枚,計63枚)を作成しました。
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コラム85、86で説明したように、明治22年(1889)8月の紀伊半島災害による奈良県十津川流域の被災民は、石狩川中流部の滝川に到達し、翌年の春石狩川を渡って新十津川村に入殖しました。
愛別町史編集委員会(1969)によれば、さらに石狩川上流部(上川地区)の開発に熱意を傾けたのは、初代北海道長官の岩村通俊(明治19年(1886)1月〜明治21年5月)と2代長官の永山武四郎(明治21年(1888)6月〜明治23年6月)でした。長官と屯田兵本部長を兼任していた永山は、前長官についで測候所や水測所を設置し、北見道路を完成させました。
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明治22年(1889)紀伊半島災害などについては、以下のコラムで説明しました。
コラム28 明治22年(1889)紀伊半島災害による土砂災害[公開日:2017年
2月15日]
コラム57 大規模土砂災害と防災施設の現地見学会@,−和歌山県田辺市奇絶峡
付近の風穴と巨石積堰堤を歩く−[公開日:2019年3月28日]
コラム58 大規模土砂災害と防災施設の現地見学会A,−昭和28年(1953)の
日高川町彌谷災害を歩く−[公開日:2019年4月25日]
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2023年9月1日に関東大震災から100年となりましたが、数日後金原明善編集委員会から『マンガでわかる!郷土の偉人 金原明善きんぱらめいぜんさんと今を生きるわたしたち』(64p.)が贈呈されてきました。この本は、浜松市内の子供たちに金原明善の偉業を知ってもらうために、「浜松市東区地域力向上事業 市民提案による住みよい地域づくり助成事業」の一環としてマンガで編集され、1万9000部印刷されました。...
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令和5年(2023)9月2日午前中に「震生湖誕生100周年記念式典」がクアーズテック秦野カルチャーホール(文化会館)において、秦野市主催で開催されました。式典の背景・目的は、「令和3年(2021)3月26日に国登録記念物に指定された震生湖は、大正12年9月1日に発生した関東大地震から100年目となる9月1日をもって誕生100年を迎えます。...
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令和5年(2023)9月1日で、関東大震災から100年となります。いさぼうネットの「歴史的大規模土砂災害地点を歩く」では、関東大震災による土砂災害について、以下のコラムで紹介してきました。
コラム37 関東大震災(1923)による横浜の土砂災害 ―9月1日のプールの逃避行ルートを歩く―[2017年8月28日公開]...
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奈良県十津川村から移住した石狩川右岸の地域とは、被災民にとってどのような土地だったのでしょうか。
コラム85の図9、図10に示したように、新十津川村(町)は、道央空知地方のほぼ中央部、樺戸郡の北端にあり、石狩川の右岸に位置しています(新十津川町教育委員会,2019)。東西35km、南北30km、面積は495.47km²です。...
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令和5年(2023)5月9日(火)〜11日(木)に砂防学会(札幌大会)があり、井上は下記の口頭発表をしました。
R4-5 井上公夫・足立勝治・佐藤昌人:尾瀬沼南東部の巨大地すべり地の地形特性変動状況について
発表の詳細は、いさぼうネットのコラム64と81をご覧ください。...
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コラム83では、ドイツ人菓子職人カール・ユーハイムが生まれてから第一次世界大戦中の捕虜生活まで、特に、広島・似島での暮らしを説明しました。コラム84では、捕虜生活解放から第二次世界大戦終了の前日(1945年8月14日)に亡くなるまでの数奇な経歴を説明し、ドイツ人菓子職人としての生き方を考えてみました。...
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コラム82を執筆していて、ドイツ人菓子職人カール・ユーハイム(Karl Juchheim)の存在を知りました。彼は日本にはじめてバウムクーヘンを紹介したことで有名ですが、2度の世界大戦と関東地震(1923)・阪神大水害(1938)などを経験しました。戦争も災害と考えると、実に数奇な災害経験を何度も経験して、生き延びてきました。...
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本年は9月1日で関東大震災から100周年です。90周年にあたる2013年9月1日に、『関東大震災と土砂災害』(井上編著,2013)を出版しました。
関東大震災による土砂災害については、いさぼうネットのコラム37,38,39,40,41,74で説明しました。 ..
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コラム64で、3年前の2019年7月27〜29日と11月1〜2日に実施した尾瀬沼南東部の巨大地すべり地の現地調査について説明しました。 3年前の2回の現地調査で多くのことが判明しましたが、新たな不明点も多く見つかりました。このため、2022年7月19日に群馬県環境森林部森林局森林保全課にお伺いし、3年前の調査結果を説明するとともに、以下の報告書を再度借用しました。・・・
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自然災害などを題材とした小説を皆さんは何冊位読まれていますか。防災対策がかなり進んだ現在では、家族を含めて自然災害で被災する可能性は少なくなっています。しかし、地球の温暖化によって、豪雨災害が激化している面もあります。実際に自然災害に直面したときにどう対応したらよいのでしょうか。 ..
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平成23年(2011)3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震が発生しました。気象庁(2011年3月)によると、地震の規模は モーメントマグニチュードMw=9.0で、国内観測史上最大規模でした。宮城県栗原市で最大震度7が観測されました。 ..
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平成23年(2011)9月の紀伊半島大水害では、多くの命と文化遺産が失われました。和歌山県立博物館では、翌24年(2012)春に、災害時における文化財(未指定も含む)のレスキュー活動の必要性を一般の方に訴える特別展「災害と文化財―歴史を語る文化財の保全―」を開催しました。平成26年(2014)度からは、文化芸術振興補助金(国庫補助)による「地域に眠る『災害の記憶』と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」(事業主体:和歌山県立博物館施設活性化実行委員会)で、「災害の記憶」を伝える記念碑や古文書の調査を行い、その成果を地域住民の方々に還元するために、和歌山県各地で現地学習会を開催してきました。 ...
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平成23年(2011)9月の紀伊半島大水害では、多くの命と文化遺産が失われました。和歌山県立博物館では、翌24年(2012)春に、災害時における文化財(未指定も含む)のレスキュー活動の必要性を一般の方に訴える特別展「災害と文化財―歴史を語る文化財の保全―」を開催しました。平成26年(2014)度からは、文化芸術振興補助金(国庫補助)による「地域に眠る『災害の記憶』と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」(事業主体:和歌山県立博物館施設活性化実行委員会)で、「災害の記憶」を伝える記念碑や古文書の調査を行い、その成果を地域住民の方々に還元するために、和歌山県各地で現地学習会を開催してきました。 ...
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昭和46年(1971)11月11日に国立研究開発法人防災科学研究所の前身である国立防災科学技術センター(以下防災センターと呼ぶ)をはじめとする4研究機関が、多摩丘陵にある生田緑地公園(川崎市)において実施した人工降雨による斜面崩壊実験を行いました。しかし、15時30分頃予想外の速度の斜面崩壊・土砂流下が発生し、15名の死者と11名の負傷者を出す極めて重大な事故を引き起こしました。2021年は崩壊実験事故から50年となりました。 ...
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明治14年(1881)10月発行の『村誌越後国西頚城郡鬼伏村』によれば、永祚(えいそ)元年(989)の地震により新潟県糸魚川市鬼伏で大規模な山崩れが発生し、大型船舶の停泊できる港は消滅したと記されています。国土地理院の2時期の航空写真(写真1,2)を立体視してみると、幅300mの明瞭な滑落崖と長さ600mの崩落堆積物の地形が読み取れます。地震地すべりの事例として重要なので、東京農工大学名誉教授中村浩之先生(元地すべり学会長)などと一緒に令和3年(2021)10月28日(木)に、現地調査したので、その結果などを報告します。 ...
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静岡県熱海市伊豆山周辺で令和3年(2021)7月3日10時半頃、大雨によって大規模な土石流災害が発生しました。逢初川上流部で発生した土石流が逢初川を2kmも流下し、多くの人家が流出・破壊され、8月3日現在で22人の死亡が確認され、5人が行方不明となっています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の1日も早い復興をお祈りいたします。...
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コラム72では、「五畿七道地震(887)による北八ヶ岳の大規模崩壊と千曲川に形成された天然ダム、その後の稲子岳周辺の変位」について説明しました。コラム73では、「大月川岩屑なだれによる天然ダム形成(887)と303日後の天然ダム決壊による千曲川の仁和洪水」について、放射性炭素(14C)年代測定と樹木年輪を構成するセルロースの酸素同位体比を測定する酸素同位体比(δ18O)年輪年代測定による新しい知見を含めて説明します。...
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いさぼうネットで、「コラム3 八ヶ岳大月川岩屑なだれによる天然ダムの形成(887)と303日後の決壊」と題して、2015年5月28日に公表してから6年が経過しました。このコラムに対しては多くの方から色々な指摘を受けました。コラム 3 のアクセス数は1万6599件(2021 年 6 月現在)と、いさぼうネットの全コラムの中でも、最も多くなっています。コラム3の公開以降新しい知見がかなり増えましたので、その後の経緯を含めて、コラム72と73で説明したいと思います。...
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東京の西に聳える高尾山から陣馬山に向かって延びる稜線があります。相模の国と武蔵の国との国境で、多摩川と相模川の分水嶺でもあります。稜線の南西側には美女谷(底沢)と地元で呼んでいる谷(現相模原市緑区千木良)があり、小仏峠から下って小原宿に至る甲州街道の北側から相模川へ流入する面積7.6km2の渓流です。
ここに住んでおられた塚本良則先生から2冊の本をご恵贈頂きました。...
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平成7年(1995)1月17日早朝5時46分に発生した兵庫県南部地震(M7.3)は、阪神地方を震度Zの激震となって襲いました。気象庁HPの『過去の地震津波災害(明治以降1995年まで)』(2021年3月12日閲覧)によれば、死者・行方不明者6,437人,倒壊家屋19万戸にも達する大惨事となり、阪神・淡路大震災とも呼ばれています。
神戸〜西宮市街地の背後には、六甲山地の急峻な山並みが続いており、風化を受けやすい花崗岩で形成されています。このため、土砂の生産・流出・堆積作用が非常に活発で、下流域は度々大きな被害を受けてきました。...
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私は、ヨーロッパアルプス地方で開催された国際防災会議(Interaevent,インタープリベント)に4回参加させて頂きました。
2004年 イタリア,リーバデルガルダ
2008年 オーストリア,ドルンビルン
2012年 フランス,グルノーブル
2016年 スイス,ルツェルン
図1は、アルプスの範囲図の上に4回の国際防災会議の開催都市と主な都市を追記を示します。...
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栃木県日光市、利根川水系鬼怒川上流の五十里(いかり)地区(江戸から50里,200km)で天和三年九月一日(1683年10月20日)の日光天和地震(M7.0±1/4)によって、鬼怒川(男鹿川)の右岸斜面(葛老山南西部の戸板山)が大規模な深層崩壊・地すべりを起しました。この地点は震央からわずか3kmで、ほぼ直下で起きた地震によって土砂移動が発生しました(井口・八木,2012)...
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私は、昭和47年(1972)の沖縄施政返還の翌年に、沖縄県土木部のご依頼により、日本工営株式会社が実施した「沖縄県中南部地すべり地及び急傾斜地調査」の一部を担当しました(沖縄県土木部,1973,井上,1979,井上,1990,井上ほか,1973)。調査時期は復帰直後で自動車は右側通行であり、日本との違いを色々な面で経験しました。...
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平成27年(2015)4月に一般土木情報サービス「いさぼうネット」で、シリーズコラム『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』の執筆を開始してから、5年が経過し、コラム65まで公開することができました。これは「いさぼうネット」の運営会社である五大開発株式会社で私の拙い原稿を公開用原稿に修正し、公開して頂いたお蔭だと思っています。このシリーズコラムを閲覧して頂いた多くの方々のお陰です。...
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令和元年(2019)10月6日にマリアナ諸島で発生した台風19号は、12日に静岡県伊豆半島に上陸し、関東地方や甲信地方、東北地方で記録的な大雨となり、激甚な被害をもたらしました。消防庁災害対策室2019年11月8日発表の「令和元年台風19号及び前線による被害および消防機関等の対応状況(第49報)」によれば、死者95名、行方不明5名にもなりました。国土交通省砂防部11月12日発表の「令和元年台風19号に伴う土砂災害の概要」(Ver.1.20)によれば、土砂災害発生件数935件、死者15名、行方不明5名にもなりました。...
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今回のコラムの場所は私にとって大変思い出深い現場です。そして、社会人または技術者として最初の一歩として2年間(7月〜11月)を過ごした地すべり調査の経験は貴重な財産となっています。さらに、もう一つ忘れられない出来事が重なっています。それは、これから説明する尾瀬沼南東部の巨大地すべり調査を終了して、東京に帰る途中の昭和46年(1971)11月11日15時頃、車内のラジオで「川崎ローム斜面崩壊実験事故」のニュースを聞いたからです(コラム43参照)。...
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「コラム41」でも述べたように、昭和33年(1958)の狩野川台風は、観測史上最大級の台風(最低気圧887ミリバール(以下mb,hPaと同じ)で、最盛期の9月24日3時〜25日の36時間もの間、中心気圧は900mb以下でした。図1は昭和33年(1958)9月26日0時の天気図(気象庁,1964)で、少し衰えたものの中心気圧は935mbでした。...
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「コラム37〜40」でも述べたように、筆者らは、『関東大震災と土砂災害』(井上編著,2013)を著し、4回の現地見学会を行ってきました(井上,2014;井上・相原・笠間,2014;井上・蟹江・相原,2016;井上・相原・森・山口,2016)。2013年10月16日の伊豆大島・元町での激甚な土砂災害発生直後に、現地調査を行いました。...
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「コラム34」でも説明しましたが、山梨県内は明治40年(1907)、明治43年(1910)に激甚な土砂災害を受けました。特に、明治40年災害は最も被害が大きく、表1に示したように、山梨県全体で、死者233人(全国の死者436人)、家屋全壊1267戸、流失4500戸もの激甚な被害を受けました。図1は、早川・須田(1911)の『山梨縣水害誌』の口絵に挿入されている「明治四十年八月下旬山梨縣水害略図」です。...
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環太平洋インタープリベント2010(INTERAEVENT 2010, International Symposium in Pacific Rim, Taipei, Taiwan)が平成22年(2010)4月26日〜30日に台北市で開催され、 シンポジウムと現地見学会に参加しました。私は、「浅間山天明噴火(1783)による鎌原土石なだれと天明泥流による被害とその後の復興対策」と題して、ポスター発表しました(Inoue,2010;コラム18,19参照)。...
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図1に示したように、阿武隈川水系の福島市街地に流入する荒川・松川・須川流域の上流部には、吾妻火山や安達太良火山などの活火山が存在し、荒廃した地域が多く、何回も土砂災害を受けてきました。このため、明治33年(1900)に荒川流域で砂防事業が開始され、国土交通省東北地方整備局 福島河川国道事務所(当時は建設省福島工事事務所)では、昭和11年(1936)に荒川流域を、昭和25年(1950)に松川流域を、昭和52年(1977)に須川流域を直轄砂防区域に編入し、直轄砂防事業を実施しています。...
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昭和28年(1953)7月17日〜18日の災害は、有田川の中・上流域で大規模な土砂災害を発生させたため、「有田川水害」と呼ばれることが多いのですが、図1に示したように、和歌山県・奈良県のほぼ全域で、土砂・洪水災害が発生しているので、「昭和28年紀伊半島災害」と呼ぶべきだと思います。特に、有田川上流では深層崩壊、天然ダムが多数発生・決壊し、大きな被害が発生しました(和歌山県編,1963;和歌山県伊都郡花園村,1982;藤田・諏訪,2006)。...
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東北地方太平洋沖地震が発生した平成23年(2011)3月11日から半年後の9月3〜4日に日本列島を襲った台風12号により、紀伊半島南部の奈良県、和歌山県などで大規模な深層崩壊が発生し、激甚な土砂災害が発生しました。十津川流域を中心として、紀伊半島の多くの箇所で深層崩壊に伴う河道閉塞(天然ダム形成)によって、決壊洪水が発生した箇所もありました。...
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新潟県中越地震は、平成16年(2004)10月23日17時56分に新潟県中越地方で発生した直下型地震です。震源の深さ13km、マグニチュードM6.8、川口町で最大震度7を震度計で観測しました。また、同日18時11分にM6.0、18時34分にはM6.5の余震が発生し、川口町で最大加速度2515ガルを観測しました。新潟県中越地震の本震・余震は、深さ5km〜20kmの浅い地層がずれて発生したため、中越地域で非常に多くの土砂災害が発生しました。...
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『掘るまいか 手掘り中山隧道の記録』(橋本信一監督)という映画をご存知でしょうか。どんな映画なのか、インターネットで検索してみて下さい。平成16年(2004)10月23日の新潟県中越地震の1年前の平成15年(2003)春に完成した16ミリ・83分の映画です。ときどき各地で上映会をやっていますので、ぜひご覧になって下さい。映画の原作の三宅雅子著『掘るまいか−山古志村に生きる』は、平成18年(2006)に鳥影社から出版されました。
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昭和47年(1972)7月5日の豪雨によって、高知県香美市(旧土佐山田町)繁(しげ)藤(とう)、通称追廻山(おいまわしやま)の山崩れは、同日早朝の山崩れによる家屋の土砂排除などの作業中に埋没した一人の消防団員の救出中に起こった二次災害で、消防団員や一般協力者など、60名の尊い犠牲者を出しました。 ...
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コラム52で述べたように、2018年9月13日(木)に高知県吾川郡仁淀川町(旧仁淀村)長者地すべり地の現地調査を行いました。長者地すべり地は、長期にわたって変動が継続している活発な地すべり地で、地下水が非常に豊富であることが地すべり変動の重要な発生誘因になっています。長者地すべりは、昭和33年(1958)に地すべり防止区域(防止区域面積68.6ha)に指定され、多くの地すべり対策事業が実施されました。 ...
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高知県中央部は、昭和50年(1975)の台風5号、昭和51年(1976)の台風17号に伴う異常な集中豪雨によって、河川の激しい増水・氾濫、並びに地すべり・崩壊・土石流などの土砂災害が発生し、2年連続して激甚な被害を受けました(岡林ほか,1978,(1),(2))。このため、高知県では復旧対策や長期的な防災対策の樹立を目的として、「高知県地すべり等防災対策会議」(委員長:栃木省二)を設置しました。...
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マヨン火山(標高2463m)は、コラム50の図1や表1に示したように、ルソン島の南東部(首都マニラから330km)に位置し、7〜10年間隔で山頂噴火を繰り返す火山活動の極めて活発な火山です。写真1に示したように、非常に美しい円錐形の成層火山で、マヨン火山には側火山が一つもありません。常に、山頂のみから噴火を続け、大量の溶岩(溶岩噴泉を含む)や火砕流・降下火砕物(火山灰)を周辺地域に堆積させています。これらの火山噴出物は山頂から四方八方に流下・堆積しています。...
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フィリピンにはマヨン火山やタール火山を初めとして、活火山が84以上あり(守屋,2014)、噴火のたびに大きな火山災害を受けてきました。特に、20世紀最大と言われた1991年のピナツボ火山噴火は、フィリピン国に大きな被害をもたらしました。噴火そのものによる直接被害もひどいものでしたが,噴火によって生じた膨大な量の降下火砕物や火砕流などは、火山性堆積物としてピナツボ火山の周辺に堆積し、その後の降雨によりラハール(lahar,泥流)となって繰り返し流出し、下流の集落や農地、幹線道路などを襲い、ラハールとの長い戦いが始まりました。 ...
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今回は、富士川右支小武川·ドンドコ沢の巨大深層崩壊と岩屑なだれ(887)について、砂防学会の公募研究会(2015〜2018)の調査経緯と研究成果について、説明します。
日本アルプスの各地には、地質時代〜歴史時代の巨大(深層)崩壊地(移動体体積≧107m3)が多く存在します。それらをもたらした崩壊の発生年代を確定することは、崩壊の発生間隔や士砂災害史、地形発達史などを論じる上で重要です。...
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大分県西部の日田市大山町(旧日田郡大山町)の1級河川・筑後川(大山川)右岸に面した山際地区(図1)では、比較的急傾斜な地区一帯(幅450m,奥行300m,面積13.5ha)に、昭和62年(1987)7月中旬頃から地すべり亀裂が認められるようになりました。現地踏査の結果、当地すべりは大規模で深い岩すべりであり、そのまま放置して地すべり変動がさらに活発化すれば、地すべり土塊は筑後川に流入し河道閉塞する可能性がありました。...
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昭和20年(1945)9月17日に広島を襲った枕崎台風については、柳田邦男の『空白の天気図』(1975年刊行,1981年新潮文庫,2011年文春文庫)に詳しく記載されています。柳田は昭和35年(1960)にNHKに入社、社会部遊軍記者として、広島に着任しました。以来、3年3ヶ月の在広島時代に原爆問題の取材活動を精力的に続けました。後述する昭和42年(1967)の呉豪雨災害後に、枕崎台風の被害についても詳しく取材を行い、本書を書き上げました(眞田,1989)。...
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平成26年(2014)8月20日未明、広島市安佐南区から安佐北区にかけて局地的な豪雨に見舞われ、大規模な土石流が同時多発的に発生し、甚大な被害を生じました。局地的な短時間豪雨によって、安佐南区八木・山本・緑井、安佐北区可部などの住宅地背後の山が崩れ、同時多発的に大規模な土石流が発生しました。広島市災害対策本部のまとめでは、8月22日時点で少なくとも土砂崩れ170箇所、道路や橋梁への被害290箇所が確認されました。また、国土地理院が8月22日までに行った航空写真の解析結果で、約50箇所の土砂流出を確認しています。...
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御嶽山(標高3063.4m)は、本州中央部に位置する成層火山で(図1)、火山としては富士山に次ぐ日本第2位の高さを持っています。図2の地質図によれば,御嶽山は第四紀更新世に活発な火山活動がありましたが、活動の長い休止期を挟んで、古期御嶽火山と新期御嶽火山に区分されます(山田直利・小林武彦(1988): 1/5万地質図幅,「御嶽山」,通商産業省工業技術院地質調査所)。古期御嶽火山は75万年前に活動を開始し、おもに安山岩からなる成層火山群を形成して42万年前に終了しました。...
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昭和22年(1947)9月に関東地方を襲ったカスリーン台風から平成29年(2017)は70周年となったため、様々なイベントや雑誌(『地図中心』,9月号)の特集が行われました。
防災・減災シンポジウム「カスリーン台風から70年 いま考える水災害対策」(群馬県・群馬県建設技術センター、上毛新聞社主催)が平成29年8月17日、前橋市大渡町の県公社総合ビルで開かれ、約300人が参加しました。...
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コラム42に引き続き、神奈川県・静岡県・千葉県の「びゃく」の事例を紹介します。表1は「びゃく」の災害事例と地名(神奈川県・静岡県・千葉県)です。これらの地点は、コラム42の図1をご覧ください。
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伊豆大島での「びゃく」の事例を調査した後、南関東の「びゃく」の事例を調査してみると、今ではあまり使われていませんが、「びゃく」と呼ばれる災害事例や小字名などが南関東で多く見つかりました。図1は「びゃく」の事例一覧図(背景は井上誠氏作成の傾斜量図)で、表1は東京都と山梨県の土砂災害を示す「びゃく」の一覧図です。方言辞典などには、一般に平仮名またはカタカナで掲載されています。...
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伊豆大島・元町では、平成25年(2013)10月16日の台風26号の襲来によって、死者36名、行方不明者3名、島内の建物被害は全壊73戸、半壊37戸という激甚な被害を受けました(消防庁応急対策室,平成26年1月15日現在,平成25年台風26号による被害状況について−第37報)。元町の集落は、延元三年(1338)の噴火により流出した溶岩台地(緩斜面部)の上にあります。他にこれほど大きな集落は大島には存在しません。...
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『関東大震災と土砂災害』(井上編著,2013年9月1日,古今書院発行)の原稿執筆時の平成24年(2012)12月14日(金)〜15日(土)に13名の参加で、小田原市根府川・白糸川流域の現地見学会を行いました(内田・井上,2012)。関東地震当時10歳だった内田一正(2000)の手記と測量図(1975)で、根府川集落を襲った白糸川の土石流について、正確な情報が得られました。...
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いさぼうネットのコラム37と38では、横浜(第1回)、横須賀(第3回)の現地見学会の報告を含めて、関東大震災の神奈川県東部の土砂災害について、説明しました。2014年9月27日(土)に第2回シンポジウムと現地見学会として、「関東大震災による秦野盆地と大磯丘陵の土砂災害,―秦野駅から震生湖周辺を歩く―」を開催しました(井上・相原・笠間,2015)。...
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神奈川県東部の横浜や横須賀・鎌倉地域では、人家背後の急斜面が崖崩れを起こし、多くの人家が押し潰され、多数の死傷者を出しました。しかし、地震の揺れによる人家の倒潰や火災被害が甚大であるため、土砂災害の詳しい調査・研究はあまり行われていませんでした。中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会の1923関東地震小委員会(2006)では、...
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筆者は関東大震災から90周年にあたる2013年9月1日に、『関東大震災と土砂災害』(編著,古今書院)を出版しました。関東大震災では、10.5万人もの死者・行方不明者を出したが、土砂災害が167箇所、1056人以上の死者・行方不明者を出したことはあまり知られていません(井上・伊藤,2008)。関東地震による土砂災害について、これから数回に分けて説明致します。 ...
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静岡市を南北に流下する安倍川は、南アルプス東南端に位置する大谷嶺(標高1999.7m)に源を発する一級河川(図1,流路長51km,流域面積567km2)です。安倍川流域の東側山地には北北西に通過する十枚山地質構造線が、西側山嶺部にはほぼ南北に併走する笹山地質構造線が存在します。このため、安倍川流域を構成する古第三紀の瀬戸川層群(主たる地質は砂岩・泥岩互層)は、強い構造作用により脆弱で破片化しやすくなっています。 ...
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明治44年(1911)8月8日3時頃に発生した「稗田山崩れ」(稗田山の大崩壊)は、土石流(岩屑なだれ)となって姫川の左支川・浦川を流下し、姫川との合流点に天然ダム(長瀬湖と呼ばれた)を形成しました。浦川下流では100m程度の土砂埋積があり、右岸側段丘面に存在した石坂集落の3戸は埋没し、死者・行方不明は23名にも達しました(姫川本川の池原下の1戸を含む)。流下土砂の一部は浦川下流部の松ヶ峰と呼ばれる小尾根部を乗り越え、来馬河原に流入しました。 ...
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富士川右支川大柳川(山梨県富士川町)は、図1に示したように、富士川の上流、釜無川と笛吹川との合流点より下流側に位置する右支川で、流域面積42km2、流路延長9kmの一級河川です。富士川町は2010年に鰍沢町と増穂町が合併し、鰍沢町は1955年に鰍沢町と五開村が合併しました。この地域はフォッサマグナ西縁の糸魚川−静岡構造線沿いに位置しており、地形はかなり急峻で、脆弱な地質からなります。 ...
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根尾谷では、濃尾地震から29日後の明治24年(1891)11月26日より大雪が降り続いたが、40日後の12月8日には気温が上昇して午後から大雨(降水量不明)になりました。このため、コラム32の表2に示したように、西根尾村(本巣市)大字大井字上ノ山(地点L)では、夜20時頃大音響とともに土砂が樹木を混じえて崩れ落ち、180mあまり離れた人家を埋没させました。同夜、大字高尾字吉尾(地点K)でも、土石流が発生し、人家9戸を埋没させました。 ...
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濃尾地震(M=8.0)は、明治24年(1891)10月28日6時38分に岐阜県本巣郡西根尾村の水鳥(みどり)の北方を震央として発生しました。明治22年(1889)7月1日に町村制施行とともに、宇津志村・高尾村・水鳥村・松田村・大井村・大河原村・能郷村が合併して西根尾村が発足しました。明治37年(1904)4月1日に、東根尾村・中根尾村・西根尾村が合併して、根尾村となっています。 ...
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天正地震は天正十三年十一月二十九日(1586年1月18日)に発生した大規模直下型地震で、阿寺断層系または庄川断層系等、複数の断層によってもたらされた可能性が大きいと考えられています。地震の規模は、河角(1951)はM7.9、宇佐美(1996,2003)はM7.8±0.1、飯田(1979,1987)は震度分布からM8.2、村松(1998)はM7.8、などと推定しています。 ...
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青森県南西部に位置する白神(しらかみ)山地中を北流して日本海へ注ぐ追良瀬川は、流路延長33.7kmで、全体的にV字谷を形成し、下流域には狭い谷底平野が連なります。防災科学技術研究所(2000)の地すべり地形分布図によれば、上流域には地すべり地形が多数分布し、河口から約5km上流の松原集落西方に位置する岩山の対岸にも地すべり地形が存在します ...
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明治25年(1892)7月25日、台風に伴う集中豪雨によって、四国東部・徳島県の那賀川中流右岸の高磯山と海部川中流右岸の保勢(保瀬)で大規模崩壊が発生しました。大量の崩壊土砂は河道を閉塞し,巨大な天然ダムを形成しました。そして、豪雨後の出水に伴い、2〜3日後に天然ダムは満杯となり、河道閉塞箇所からの溢水によって一気に決壊しました ...
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紀伊半島では、明治22年(1889年)に平成23年(2011年)以上の激甚な土砂災害が発生し、大規模な天然ダム(当時「新湖」と呼ばれた)が数多く形成されました(宇智吉野郡役所,1891,芦田,1987,平野ほか,1984)。平成23年災害以前から、現地踏査や詳細な資料調査などにより様々な報告がされています ...
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三方を海に面する山口県には、大小約 240 の島があり、このうち最も大きな島は、面積 128km2 の周防大島(すおうおおしま(島名:屋代島))です。瀬戸内海の島としては、淡路島、小豆島に次ぐ3番目の広さを有しています。平成16年(2008)に久賀町・大島町・東和町・橘町が合併して、周防大島町となりました。 ...
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図1は、宝永四年十月四日(1707年10月28日)に発生した宝永地震(M=8.6)と嘉永六年(安政元年)十一月四日(1854年12月23日)の安政東海地震(M=8.4)、32時間後の安政南海地震(M=8.4-8.5)による土砂災害分布です(井上ほか,2012)。 ...
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上越新幹線で東京から大清水トンネルを抜けると越後湯沢の駅に着きます。図1に示したように、駅の西側は有名な温泉街・スキー場となっています。東側は魚野川の沖積低地で湯沢の町が広がっています。この付近は東京と新潟を結ぶ交通の要衝で、JR上越新幹線、上越線、関越自動車道、国道17号が通過しています ...
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火山(富士山)は噴火しないと安全でしょうか。噴火が終了すれば安全でしょうか(早川,2014,石丸,2014,岩松,2014,小山・鈴木,2014,井上,2014)。富士山は噴火していない時期でも地震・豪雨などによって侵食され、下流に大量の土砂を流出し、大きな被害を与えてきました ...
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写真4は、桑崎山上空から見た立山カルデラの状況を示しています(国土交通省立山砂防工事事務所,2002)。飛越地震は、跡津川断層の東端では鳶崩れと呼ばれる大規模崩壊を発生させ、大量の崩壊土砂は岩屑なだれとなって、カルデラ内の湯川から常願寺川を流下・堆積しました ...
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常願寺川は、立山(弥陀ヶ原)火山を源とし、富山平野を流れる急流河川で、流域面積356km2、流路長56km、比高差2830m(最高点2992m,扇頂高度162m)であり、江戸時代末まで舟便があるなど、比較的安定した河川でした。ところが、安政五年二月二十六日(1858.4.9)の飛越地震(M7.3〜7.6,災害教訓に関する専門調査会,2009,宇佐美,2003)時に、常願寺川の源流部・湯川の左岸斜面で、「鳶崩れ」と呼ばれる大規模崩壊が発生し、天然ダムが形成されました ...
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コラム20でも紹介しましたが、松代藩の家老・河原綱徳の『むし倉日記』には、岩倉山の地すべりによって形成された大規模天然ダムの形成と決壊に対する松代藩の対応が詳述されています。一巻(元)は、松代城下の様子や善光寺地震 の報告と対応が中心ですが、次第に周辺の山地部から激甚な土砂災害の情報が入ってきます ...
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善光寺地震は、弘化四年三月二十四日(1847年5月8日)に発生したM7.4の直下型地震で、震源地は地震断層や被災状況から判断して、長野市浅川地区と推定されています(宇佐美,2003)。この地震によって,長野県北部では非常に多数の山崩れを起こし,松代藩領で4万2000箇所,松本藩領で1900箇所に及びました(善光寺地震災害研究グループ,1994,井上,2008) ...
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コラム18の図3に示しましたように、浅間山から高速で北麓を流下してきた鎌原土石なだれは、吾妻川右岸側の急斜面からなだれ落ちました。そして、そこにとどまることなく(天然ダムを形成せず)、すぐに天明泥流となって、吾妻川から利根川を流下し、千葉県の銚子で太平洋に達しました。一部は千葉県関宿付近から江戸川に流入し、江戸(東京湾)まで達しました ...
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千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館では、開館20周年記念展示として、2003年7月8日〜9月21日に、「ドキュメント災害史1703-2003,−地震・噴火・津波、そして復興−」という企画展示が開催されました。この企画展示は、災害史研究者の北原糸子氏が、災害史に関心のある自然科学者と歴史科学者を集めて共同研究を組織し、応募・採用されたものです ...
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長野県北信地域における天然ダムを調査してみますと、図1に示すように、19事例(@の青木湖を除くと過去500年間)も発生しています(中村ほか,2000,田畑ほか,2002)。弘化四年(1847)の善光寺地震に伴う天然ダムが7事例(E〜K)ありますが、それ以外に12事例も存在します。 ...
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信州小谷地震(M61/4,宇佐美,2003)は、正徳四年三月十五日夜戌亥刻(1714年4月28日22時頃)に発生し、姫川に沿った小谷村を中心に激震が襲いました(小谷村誌編纂委員会,1993a)。この地震の素因は糸魚川−静岡構造線活断層系の部分的活動にあり、震央は南接する白馬村堀之内付近で最大震度は7とされています(都司,1993)。 ...
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長野県白馬村から小谷村を通って新潟県糸魚川市に北流する姫川流域は、フォッサマグナ西縁の糸魚川静岡構造線に位置しています。姫川は南北に連なる北アルプスの東側を並行して流れる川で、流域面積722km2、本川延長50kmです。西側山地は大起伏山地で、中古生層や第四紀の火山砕屑岩類からなるのに対し、東側山地は新第三紀の左岸や泥岩などが分布します。 ...
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図1に示しましたように、富士川流域には深層崩壊が多く発生していることが分ります。宝永東南海地震(1707)では、安倍川上流の大谷崩れや富士川流域の白鳥山,右支早川・雨畑川の八潮崩れなどが知られています(中村ほか2000)が,下部(しもべ)温泉上流の富士川左支・下部川でも天然ダムが形成されました ...
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コラム12でも説明しましたように、宝永四年十月四日(1707.12.24)に発生した宝永地震(M8.4〜8.6)は、南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が生じた海溝型巨大地震です。この地震の激震によって、人家の潰滅、津波、などの激甚な被害が発生しました(小山内・井上,2014) ...
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宝永四年十月四日(1707年10月28日)に発生した宝永南海・東南海地震は、日本列島周辺で最大規模の地震で、震動の範囲は北海道を除く日本全国に及びました。震源は遠州灘と紀伊半島沖で、東南海と南海地震の2つの地震(いずれもM8.4程度)がほぼ同時に発生しました(飯田,1979,宇佐美,2003) ...
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日光大谷川流域の土砂災害状況を把握するために、集落毎に区長や老人等から過去の土砂・洪水災害について、聞き込み調査と現地調査を行いました(建設省日光砂防事務所,1988)。そして、日光市教育委員会の資料や沼尾(1975)、栃木県立博物館(1984)などをもとに、図7の大谷川流域の災害状況図を作成しました ...
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図1接峰面図(井上1993,2006)に示したように、日光火山群には東から女峰・赤薙火山、小真名子火山、大真名子火山、太郎火山、男体山、日光白根火山などの火山が並んでいます。河田(1955)は、女峰・赤薙火山が日光火山群の中で最も古く、数万年前に火山活動を終了したとしていますが、これらの火山の発達史はあまり知られていません ...
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地震地すべり研究プロジェクト委員会(2012)の『地震地すべり』では、名立崩れを取り上げ,カルテ票を作成しています。井口・八木(2013)の「空から見る日本の地すべり地形シリーズ―27―」においては,セスナから撮影した写真(写真5)などで、名立崩れの地形状況を説明しています。...
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高田地震(越中・越後地震)は、寛延四年四月二十六日丑刻(1751年5月21日午前2時頃)、高田平野の直下を震源(東経138.2°,北緯37.1)として発生しました。宇佐美(2003)によれば、マグニチュードM=7.2±0.2と推定されています。...
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図1に示しましたように、雲仙普賢岳は223年前に寛政噴火(1791-92)を起こし、噴火の最末期の寛政四年四月朔日(1792年5月21日)夜、四月朔地震(M6.4)によって、島原城下町の西側にそびえる眉山が大規模な山体崩壊を起こしました(片山,1974,井上,1999)。...
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富士山では、平成12〜13年(2000〜2001)に、富士山直下で低周波地震の多発が観測されました。このため、平成13年7月に国及び関係県・市町村により、「富士山火山防災協議会」が設置され、その下に「富士山ハザードマップ検討委員会」(委員長・荒牧重雄東京大学名誉教授)が組織され、平成16年6月に委員会報告書(2004)が作成されました ...
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2004年5月24日〜27日に、北イタリア北部のトレント州リーバ・デル・ガルダ(Riva del
Garda)において,Interpraevent(国際防災学会)の第10回大会が開催されました。世界14ヵ国から約400名(日本からは約50名)の参加者がありました。本会議は防災に関する国際会議で、環太平洋支部の大会が2002年に長野県松本市で開催されました。...
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宇佐美(1996)、中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会(2005)によれば、寛文二年五月一日午之上刻(1662年6月16日11時頃)、京都・大阪・大阪地域を中心として、近江・若狭地震(琵琶湖西岸地震,M71/2〜3/4)が発生しました(図1,井上・今村,2002,今村ほか,2002,井上,2006)。琵琶湖西岸では田畑が湖中に「ゆりこむ」とあり、検地史料などをもとにした分析から水没現象があったようです(萩原ほか,1982)。...
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平安時代の仁和(にんな)三年七月三十日(ユリウス暦887年8月22日)の五畿七道の地震(南海―東海地震)で、北八ヶ岳(きたやつがたけ)の火山体が強く揺すられ、大規模な山体崩壊が発生したことが知られています(石橋2000)。千曲川沿いの佐久平(さくだいら)から善光寺平(ぜんこうじだいら)付近までの平安時代前半の遺跡では、条里制水田などを覆うほぼ同じ年代(陶磁器などで認定)の洪水砂が多くの遺跡で発掘され、「仁和の洪水砂」(川崎2010)と呼ばれています...
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新潟県中越地震(2004年10月24日)によって、信濃川東部の丘陵性山地(魚沼丘陵)では、多くの土砂移動現象が発生しました。このため、各地で河道閉塞を引き起こし、背後に多量の湛水を抱え、徐々に水位が上昇していきました。左の写真は新潟県中越地震時の寺野の河道閉塞・湛水状況を示しています...
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高知城の北に隣接する地に寺田寅彦邸があります。寅彦が青年時代を過ごした実家で、現在は寺田寅彦記念館(入場無料)として、様々な記念物が展示されています...
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プロフィール
○井上公夫:一般財団法人砂防フロンティア整備推進機構・専門研究員。
○略歴:
1948年東京都生まれ。東京都立大学理学部地理学科卒業。 京都大学論農博1993年。専門は防災地形学。首都大学東京、筑波大学非常勤講師。中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会「1707富士山宝永噴火」、「1847善
光寺地震」、「1858飛越地震」、「1923関東大震災」、「1947
カスリーン台風」、「1707宝永地震」報告書分担執筆。
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