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シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く コラム106 尾瀬沼南東部の巨大地すべり地を歩く−(3)

1.はじめに

コラム64,81で説明しましたが、群馬県北東部尾瀬沼東部には巨大地すべり地形が存在します。この地すべり地の現地調査を令和元年(2019)7月27日(土)〜29日(月)と11月1日(金)〜2日(土)、令和4年(2022)10月7日(金)〜9日(日)の3回実施しました。詳しくは、いさぼうネットのコラム64とコラム81をご覧下さい。

それから3年経ちましたので、令和7年(2025)11月14日(金)〜15日(土)に現地調査を行いました。今回の参加者は以下の6名です。

  • 井上公夫:一般財団法人砂防フロンティア整備推進機構
  • 足立勝治:株式会社プライムプラン
  • 秋山晋二:国際航業株式会社
  • 佐藤昌人:防災科学技術研究所
  • 岡崎 丈:日本工営株式会社
  • 高橋響介:日本工営株式会社

今回は群馬県利根沼田環境森林事務所の「令和7年度復旧治山事業(調査委託) 利根郡片品村大字戸倉(ニゴリ沢)」の業務を担当されている日本工営株式会社の岡崎様と高橋様にも参加して頂きました。

2025年11月14日(金)に宿泊予定だったロッジまつうらのご主人松浦和男様が11月8日に亡くなられたため、急遽宿泊先を変更しました。訃報をお聞きしたため、14日の夕方戸倉に着いて、ロッジまつうらに行き、和男様の霊前に焼香しました(享年85歳,葬儀は11月12日)。その際に奥様と娘(長女)様にお会いし、昭和46年(1971)、47年(1972)に担当した「ニゴリ沢地すべりの調査」では、民宿松浦旅館に泊めて頂き、公私ともにお世話になったことなどにお礼をお伝えしました。その後、資料館「おぜの山遇楽」を見学させて頂きました。

松浦和男様は、2022年12月10日に『尾瀬の語りべ』(上毛新聞社出版編集部発行)を上梓されました。この本は、和男様が述べる自叙伝を宇土秀顕様が口述筆記して、取りまとめ、上毛新聞出版編集部が出版したものです(図1)。本コラムでは、この本の内容を含めて、尾瀬の紹介とニゴリ沢地すべりについて説明したいと思います。

図1
図1 松浦和男(2022):『尾瀬の語りべ』(上毛新聞社出版編集部)の表紙と裏表紙(一部拡大)

2.資料館『おぜの山遇楽』の見学

写真1は3年前の現地調査で、2022年10月9日に宿泊後、ロッジまつうらの玄関先で撮影した松浦様(中央)と現地調査したメンバー(左から佐藤・青木・秋山・松浦・井上・今村・足立)の集合写真です。

写真1
写真1 ロッジまつうらでの集合写真(2022年)
写真2
写真2 おぜの山遇楽で説明される松浦様

松浦和男様は尾瀬に関わって50年の節目を迎えた平成18年(2006)に、「尾瀬と私の関わりを写真や資料で伝えたい。」そんな思いから、『おぜの山遇楽』を建てたそうです。山遇楽とは、「山に来て思いがけない出会いがあって、楽しかった。この蔵の中には何があるのだろう。」そんな意味を持たせて命名されました(松浦,2022)。建築に使用した木材はすべて、松浦様が所有する山林から、ご自身が時間をかけて吟味し、伐り出した木材を建材として使ったそうです。

写真3
写真3 松浦様が撃った熊の毛皮とはく製
写真4
写真4 「夏の思い出」の歌詞と小動物の毛皮

資料館『尾瀬の山遇楽』では、尾瀬の歴史や魅力を広く伝えるための様々な資料や写真が展示されています(写真2〜4)。また、松浦様は新聞社から取材を受け、TEPCOや片品村からインタビューを受けたり、さらにはテレビやラジオに出演したり、山岳ガイドの活動をしたり、尾瀬の紹介を積極的に取り組んでおられました。

上毛新聞(2015年6月17日付):北毛発温泉百景 山歩き60年「恩返し」
尾瀬戸倉個人で資料館 (松浦(2022):『尾瀬の語りべ』,p.151)

また、学校の自然学習などで、たくさんの小学生・中学生・高校生も訪ねてくれました。好奇心に満ちた彼らの瞳はキラキラしていました。囲炉裏を囲みながら、ここでも尾瀬の歴史や集落の文化を若者に伝える時間は実に楽しかったそうです。

個人の資料館としては非常に貴重な写真や資料が多く展示されています。和男様が亡くなられたので、この資料館はどうなるでしょうか。

群馬県・片品村・上毛新聞社などが配慮してほしいと思います。

3.尾瀬の歴史と平野長靖・松浦和男

井上がニゴリ沢地すべりの調査を行っていた昭和46〜47年(1971〜1972)当時、大清水から沼山峠に抜ける自動車道の建設工事が進捗中で、地元はかなりもめていました。大清水(標高1190m)から一ノ瀬(標高1420m)まで工事が進んでいましたが、石清水の湧水が枯れるなど、様々な問題が発生しました。平野長靖氏は昭和10年(1935)生まれ、松浦和男氏は昭和15年(1940)生まれで、5歳の差があります。

コラム64で、平野(1972)『尾瀬に死す』をもとに、平野長靖氏関係の年表を作成しました。ここでは、この年表に加えて、松浦(2022)『尾瀬の語りべ』より、松浦氏関係の年表を青字で追記しました。また、緑字で井上などが実施したニゴリ沢地すべり調査や現地見学会の項目を追加しました。

  • 慶長五年(1600):この頃に松浦家が戸倉に移り住む。真田信之が会津沼田街道を整備。
    戸倉には戸倉関所が置かれ、松浦家が関所番を代々担ってきた。
    福島県 生活環境部 自然保護課:福島尾瀬旅,尾瀬の一番古い道「尾瀬会津沼田街道」
    https://www.pref.fukushima.lg.jp/w4/oze/column/column009.html
  • 慶応四年(1868)五月:戸倉戦争(戸倉33戸のうち32戸が会津藩兵に焼き払われる)
    当時の村制度の「助郷」により、2日後に焼失した32戸の小屋を作り上げる。
  • 明治22年(1889):桧枝岐村の平野長蔵(当時19歳)、仲間と燧ケ岳に登頂する。
  • 明治23年(1890):平野長蔵(当時20歳)、尾瀬の沼尻に小屋を建てる。
  • 明治36年(1903):尾瀬の水力発電計画が初めて発表される。
  • 明治43年(1910):長蔵小屋が沼尻に建つ。
  • 大正4年(1915):沼尻より現在地の尾瀬沼東岸に移築し、山小屋営業を開始する。
  • 昭和5年(1930):平野長蔵死去。
  • 昭和6年(1931):片品村の千明賢治氏が根羽沢鉱山(大清水付近)の発掘始める。
  • 昭和9年(1934):日光国立公園に指定される。
  • 昭和10年(1935):平野長靖生まれる。
  • 昭和10年(1935):根羽沢鉱山が三菱鉱業に売却される。
    大清水に鉱山町ができる(鉱山労働者300〜1000人)。
    松浦家は三菱鉱業会社荷扱所として馬の荷車の世話役になる。
写真5
写真5 根羽沢鉱山の仕事を請け負っていた頃の松浦家、自宅はまだ茅葺きだった
松浦和男(2022):『尾瀬の語りべ』,上毛新聞社出版編集部
  • 昭和13年(1938)5月13日:尾瀬は特別地域に決定される。
  • 昭和15年(1940)1月1日:公園利用計画の一部として、旧沼田街道を県道沼田・
    田島線の名で車道化することが計画される。
  • 昭和15年(1940):松浦和男生まれる。
  • 昭和17年(1942)4月:長靖、沼田国民学校に入学する。
  • 昭和22年(1947)4月:和男、片品村立片品小学校戸倉分校に入学する。
  • 昭和23年(1948)4月:長靖、片品村鎌田の片品中学校に入学する。
  • 昭和24年(1949):NHKラジオで『夏の思い出』が流れる。
  • 昭和24年(1949)10月15日:一部計画の追加決定。上記の道路は主要地方道大清水
    七入線として確認される(大清水〜三平峠〜尾瀬沼〜沼山峠〜七入)。
  • 昭和26年(1951)4月:長晴、群馬県立沼田高校に入学する。
    尾瀬の入山者が4万人台になる。
  • 昭和27年(1952):尾瀬に初めて木道が敷かれる。
  • 昭和28年(1953)4月:和男、片品村立中学校に入学する。
  • 昭和28年(1953)12月22日:尾瀬地域は特別保護地区に決定される。
  • 昭和29年(1954)4月:長靖、京都大学文学部に入学する。
  • 昭和29年(1954)夏休み:和男、尾瀬・長蔵小屋まで馬を曳いて荷を運ぶ。
  • 昭和31年(1956)3月:和男、中学校を卒業し、馬方になる。
  • 昭和32年(1957):和男、尾瀬ヶ原見晴に山小屋3軒分の建築資材を運ぶ。
  • 昭和33年(1958)春:厚生省は日光国立公園尾瀬管理事務所を開設する。
  • 昭和34年(1959)4月:長靖、京都大学を卒業し、北海道新聞社に入社する。
  • 昭和35年(1960)3月25日:尾瀬、特別天然記念物に指定される。
  • 昭和37年(1962):松浦家、民宿「松浦旅館」を始める。
    片品村で最初のスキー場が戸倉に開設される。
  • 昭和38年(1963)4月:長靖、北海道新聞社を退社、尾瀬沼の長蔵小屋に戻る。
    戸倉から鳩待峠まで自動車道が開通する(鳩待峠−尾瀬ヶ原への登山ルート開設)。
  • 昭和39年(1964):長靖、紀子と結婚する。
  • 昭和39年(1964):和男、戸倉スキー場の指導員になる。
  • 昭和40年(1965):和男、宮子と結婚する。
  • 昭和41年(1966)後半:大清水から奥の拡幅工事始まる。
  • 昭和42年(1967)12月5日:日光国立公園尾瀬地区の公園計画(尾瀬を守る計画)
    が決定される。昭和24年の計画路線を特別保護地区の界沿いに迂回するルートに
    変更される。尾瀬沼でのボート、釣りが禁止になる。
  • 昭和42年(1967):和男、長女・清美誕生。
  • 昭和44年(1969):和男、尾瀬ヶ原弥四郎小屋の建設を手伝う。
    和男、次女・友美誕生。
  • 昭和45年(1970):和男、片品村救助隊員に任命される。
  • 昭和45年(1970)8月25日:柳沢〜三平峠間の自動車道着工を厚生大臣が承認する。
  • 昭和45年(1970)12月:柳沢〜一ノ瀬間の建設工事がほぼ完了する。
  • 昭和46年(1971):和男、日本スキー連盟の正指導員になる。
  • 昭和46年(1971)春:一ノ瀬〜石清水間の建設工事が着工される。
  • 昭和46年(1971)4月:井上、日本工営株式会社に入社する(防災部に配属)。
  • 昭和46年(1971)6月:井上、群馬県沼田林業事務所のニゴリ沢地すべり調査始める。
  • 昭和46年(1971)6月20日:三平峠手前の石清水(いわしみず)が潰される。
  • 昭和46年(1971)7月1日:環境庁(自然保護局を含む)が開設される(初代長官・大石武一)。
  • 昭和46年(1971)7月19日:「尾瀬の自然を守る会」結成の準備会ができる。
  • 昭和46年(1971)7月21日:平野長靖は大石武一長官に面会し、「尾瀬の現状を直接見て下さい」
    と陳情する。
  • 昭和46年(1971)7月22日:大石長官「現地を視察し計画を再検討したい」と語る。
  • 昭和46年(1971)7月30日〜8月1日:大石長官、尾瀬を視察し、三平道路の中止または路線変更
    の意向を表明する。
    和男は新聞記者から「このニュースを明日の朝刊に載せたい! 朝刊の記事原稿を締め切りの22時までに、沼田市役所内の記者クラブに届けてもらいたい!」と懇願された。和男はこの大きなニュースのために、「やります!」と引き受け、原稿を届けるために、夜の会津沼田街道を必死に走り下った。
  • 昭和46年(1971)8月2日:守る会発会へのアピールを発送する。道路建設反対の署名活動が
    始まる。
  • 昭和46年(1971)8月18日:環境庁が群馬・福島・新潟県知事に、47年度以降の工事の中止と
    46年度分の遊歩道化への協力を求める。
  • 昭和46年(1971)8月19日:神田群馬県知事「工事中止と路線変更を検討する」と語る。
  • 昭和46年(1971)8月21日:尾瀬の自然を守る会発会する(署名はこれまでに1万)。
  • 昭和46年(1971)8月22日:平野長靖、東京新聞に「なぜ車道に反対するか」を投稿し、
    掲載される。
  • 昭和46年(1971)8月23日:平野長靖、大石武一長官に書簡を送る。
  • 昭和46年(1971)11月11日:井上、ニゴリ沢地すべり調査を終了し、東京に帰る。
    同日15時頃、「川崎ローム斜面崩壊実験事故」発生し、15名死亡する。
  • 昭和46年(1971)12月1日:平野長靖、冬籠りの支度に区切りをつけて、
    山麓・戸倉の家族の元へ帰る途中、猛吹雪に遭い、石清水付近でビバーク中に遭難死する。
    戸倉集落に「長靖さん遭難」の一報が翌朝届く(戸倉でも50cmの積雪)。
    和男ら片品村救助隊員は、大清水からブルトーザーで一ノ瀬に向かう。
    一ノ瀬の遭難現場では雪が多く、和男も胸のあたりまで雪に沈んだ。
    雪の中を泳ぐようにして長靖さんの元へ駆けつけたが、すでに冷たくなっていた。
  • 昭和47年(1972):ゴミ持ち帰り運動始まる。
  • 昭和47年(1972):和男、三女・百合子誕生
  • 昭和54年(1979):和男、民宿の体育館が完成する。
  • 平成2年(1990):和男、片品ガイド協会を設立する。
  • 平成5年(1993):和男、2度目の民宿を建て替え、屋号を「ロッジまつうら」とする。
写真6
写真6 平成5年に現在の建物に建て替えて、屋号を「ロッジまつうら」とする
松浦(2022):『尾瀬の語りべ』,上毛新聞社出版編集部
  • 平成8年(1996):尾瀬の入山者64万人/年(過去最大)になる。
  • 平成11年(1999):和男、片品文化財団調査員に任命される。
  • 平成17年(2005):和男、私設の資料館『おぜの山寓楽』を建てる。
  • 平成19年(2007):和男、尾瀬サミットにて親子三代で国立公園宣言する。
    尾瀬が日光国立公園から分離独立する。
  • 平成20年(2008):和男、脊柱管狭窄症でスキー指導員引退する。
    自然公園関係功労者環境大臣表彰を受ける。
    群馬県が尾瀬学校を開設する。
  • 平成21年(2009):和男、藍綬褒章を受章する。
  • 平成29年(2017):和男、尾瀬保護財団評議員に就任する。
  • 令和1年(2019):和男、片品ガイド協会長を退任して名誉会長になる。
  • 令和1年(2019)7月27日〜29日:井上など、第1回ニゴリ沢地すべり現地調査
    11月1日〜2日:井上など、第2回ニゴリ沢地すべり現地調査
  • 令和2年(2020):和男、尾瀬保護財団評議員を退任、燧ケ岳へ傘寿の記念登山。
  • 令和4年(2022)10月7日〜8日:井上など、第3回ニゴリ沢地すべり現地調査
  • 令和7年(2025)11月8日:和男、逝去。
  • 令和7年(2025)11月14日〜15日:井上など第4回ニゴリ沢地すべり現地調査

4.ニゴリ沢地区大規模地すべり調査の概要

昭和46年(1971)と47年(1972)の群馬県林務部治山造林課・沼田林業事務所「復旧治山業務(戸倉地区地すべり調査)」と平成17年(2005)の群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所「復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区」の報告書の概要については、コラム64,81で紹介しました。

図2は、国土地理院昭和53年(1978)編集、昭和54年1月発行の5万分の1修成図「尾瀬」の一部です。北西部から至仏山・尾瀬ヶ原・燧ケ岳・尾瀬沼が並んでいます。戸倉は群馬県側最後の集落で、尾瀬沼へは尾瀬戸倉からバスか車で大清水まで行き、三平峠経由で入ります。尾瀬ヶ原には戸倉から富士見下・富士見峠経由で行っていたのですが、戸倉から鳩待峠の自動車道が昭和38年(1963)に開通したため、鳩待峠経由で行く人が多くなりました。北東部に沼山峠があり、福島県側の自動車道(国道382号)は沼山峠まで開通していました。3項で説明した自動車道建設問題は、大清水−三平峠−沼山峠間の道路建設と環境(完成後の観光客増加問題を含む)に関する問題でした。

図1
図2 1/5万修成図「尾瀬」(昭和53年(1978)編集),赤丸が調査地の巨大地すべり地形
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図2
図3 防災科学技術研究所の立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原」図幅
多くの巨大地すべり地形が存在する(赤丸が調査地の巨大地すべり地形)
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図3は、防災科学技術研究所の立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原」図幅で、図の北部に尾瀬ヶ原・燧ケ岳・尾瀬沼が存在します。尾瀬沼の東にある赤丸の範囲が調査対象の巨大地すべり地形です。大きさは尾瀬沼とほぼ同じで、南北1.2km、東西1.0kmであり、頭部滑落崖は落差80〜100mで半円形に続いています(大八木,1974)。図3を見ると、この地域周辺には調査地域と同様の巨大地すべり地形が多く存在することが分かります。

図4は、尾瀬沼東南部の巨大地すべり地周辺の赤色立体地図(国土交通省関東地方整備局利根川水系砂防事務所提供のDEMデータをもとに足立勝治作成)です。図2と比較するとわかりますが、巨大地すべり地形の西側には、小淵沢田代から小淵沢(ニゴリ沢)、中ノ岐(奥鬼怒林道が通る)を経由して大清水に至る登山道(白点線)があります。巨大地すべり地の東側には、奥只見ダム(高さ157m,総貯水量6.01億m³,電源開発褐嚼ン,1960年完成)から首都圏を結ぶ只見幹線(高圧送電線鉄塔)が建設されています。巨大地すべり地内のNo.130鉄塔は地すべり変動によって、数m移動したと言われており、鉄塔基礎の補強工事が実施されています。小淵沢林道終点の巨大地すべり地の尖端部からNo.130鉄塔を通り、No.129,No.128,No.127,No.126,No.125を通る巡視路があり、白点線で示されています。

図3
図4 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の赤色立体地図(足立勝治作成)
(国土交通省利根川水系砂防事務所提供の1mDEM利用)
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写真7
写真7 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の地すべりブロック図
(林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C29-10)
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写真7は,巨大地すべり地周辺の空中写真(林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C29-10)で、井上が判読した地すべり滑落崖を赤線で示してあります。写真の上端部に白く見えるのは、小淵沢田代で尾瀬沼の東部にあります。あまり登山客の通らない湿原で、観光客が増加する前の静かな湿原の雰囲気が残っています。巨大地すべり地の南側の尖端部は地すべり変動が活発で,群馬県林務部によって昭和44年(1969)年頃から復旧治山事業が行われました(私の昭和46、47年2年間の調査は復旧治山事業のための地すべり調査でした)。地すべり地形内の東側には只見幹線の送電線が通り、路線下付近が幅100mにわたって刈り込まれ、送電線巡視路が通っています。伐開されているため、UAVの撮影などでは、微地形がよく判読できます。

私が担当した昭和46(1971)年度の調査は、ボーリング調査(7孔,掘進長240m)、変動量観測、弾性波探査(7測線,距離3600m)、地下水検層(5孔)、地下水追跡(1式)でした。昭和47(1972)年度の調査は、ボーリング調査(8孔,掘進長353.3m)、変動量観測、電気探査(測線4.1km)、放射能探査(測線4.1km)、地下水検層(9孔)、地下水追跡(1式)でした。

松浦旅館(現ロッジまつうら)の松浦和男様には、測量の伐開作業を行って頂くとともに、地下水追跡ではボーリング孔や湧水地点の採水(19箇所,11月一杯)などを行って頂きました。地下水追跡は試薬を変えて2回行いました。昭和46年(1971)は11月2日にBV46-5号孔に硫酸マンガン、BV46-7号孔にフローレッセンという試薬を投入、19箇所で11月30日まで採水を行いました。昭和47年(1972)は11月15日にBV47-3号孔硫酸マンガン、A300地点付近の湧水地点にフローレッセンという試薬を投入、23箇所で11月30日まで採水を行いました。松浦和男様には猟銃をかついで地すべり地内を巡回し、採水瓶で採水して頂きました。採水瓶は日本工営樺央研究所に送り、地下水分析をして頂き、地下水の流動状況の推定を行いました。その結果、数ヶ所で投入した試薬が確認でき、地下水の流下経路が判明しました。集水井などの設置位置は、上記の調査結果を踏まえて決定されました。

図5は、平成17年度復旧治山事業にごり沢地区平面図(群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所,2005)で、昭和46・47年度業務から33年後の平成17年(2005)時の巨大地すべり地の現地調査と地すべり変動調査の結果を示しています。<拡大表示>をクリックすると、鮮明な拡大画像が閲覧できます。令和4年(2022)の現地調査は図5の平面図から17年経過しているため、樹木が生い茂り、伐開しないと集水井などの施設にたどり着けませんでした(その後の調査で集水井は確認されました)。

昭和46、47年(1971,1972)当時は、完成したばかりの治山堰堤には水がたまり、野鳥や熊の水飲み場でした。しかし、今回の調査時には、堰堤の背後には流出土砂が大量に堆積していました。この堰堤に流入する渓流は裸地状態でしたが、鋼製の谷止工(かなりの変形が認められる)が施工され、植生は繁茂し、安定しているようでした。

令和元年(2019)と令和4年(2022)の現地調査写真とUAV撮影写真については、コラム64とコラム81をご覧下さい。

図4
図4 平成17年度復旧治山事業にごり沢地区平面図  群馬県利根沼田県民局・
利根環境森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区報告書
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5.令和7年(2025)11月の現地調査とUAVの撮影結果

令和7年(2025)11月の現地見学会では、「令和7年度復旧治山事業(調査委託) 利根郡片品村大字戸倉(ニゴリ沢)」を実施中の日本工営株式会社の担当者の岡崎丈様と高橋響介様も参加されました。令和5,6,7年度の調査結果などを聞きながら一緒に現地調査しました。令和7年(2025)11月現在の中間報告資料を頂き説明を受けましたが、令和7年度の業務は業務期間中であるため、このコラムでは説明致しません。

  • 変動箇所の変遷
  • GPS移動杭観測
  • 干渉SAR時系列解析
  • 地質調査結果
  • 計器観測結果などが調査・解析中ということでした。

防災科学技術研究所の佐藤昌人様は、ニゴリ沢地区で令和元年(2019)以来、9回のUAV撮影を行っており、ニゴリ沢地すべりの地形変化状況を解析されています。これらの研究成果は、来年度以降公表されることを期待します。

岡崎様と高橋様の説明によれば、調査地は群馬県北東部で、福島県・栃木県との境界付近に位置し、燧ヶ岳(標高2356m)と尾瀬沼の南東部に位置します(図2,3,写真8参照)。この地域の末端部には、利根川水系の片品川の支流である小淵沢(ニゴリ沢)が流れています。周囲は標高1500m以上の山地で構成されており、調査地の両側には檜高山(標高2228m)と高石山(2004m)などの山岳がそびえています。

ニゴリ沢地すべりの背後には火山噴出物による溶岩台地が形成されています。溶岩台地には尾瀬沼、小淵沢田代をはじめとする湖沼・湿原が存在します。調査地は溶岩台地の境界部に位置し、西側及び南側は河川侵食が急激に進み、急峻な谷地形となっています。

写真8
写真8 ニゴリ沢地すべり上空から燧ケ岳・尾瀬沼・小淵沢田代を望む
(UAV撮影 防災科学技術研究所 佐藤昌人)
写真9
写真9 ニゴリ沢地すべり地南側の渓流に施工された治山堰堤群(UAV撮影 佐藤昌人)
昭和46年(1971)頃は、建設されたばかりで、水が溜まり、熊や鳥の水飲み場だった
写真10
写真10 林道終点付近の露岩 多くの亀裂が発達している
写真11
写真11 林道終点直下の治山堰堤
昭和46年(1971)当時は水が溜まっていた
現在は流出土砂で、満砂状態となっている
写真12 写真12 写真11の上にある
 GPS No.15地点
 移動量は地点中最大
 (6.7m/25年)
写真13 写真13 熊の足跡
写真14 写真14 動物の足跡
写真15 写真15 No.130鉄塔から
 No.131鉄塔を望む
 No.131の手前は側方崖
写真16 写真16 No.129鉄塔から
 No.130,131鉄塔を望む
 No.130は補強されている
 No.131の手前は側方崖
写真17 写真17 No.131鉄塔手前
 の巨大地すべりの側方崖
写真18 写真18 No.131鉄塔
 でのUAVの撮影準備
写真19 写真19 No.131鉄塔
 でのUAVの撮影準備
写真20 写真20 No.131鉄塔
 からNo.130まで
 飛んできたUAV
写真21 写真21 No.130鉄塔から
 No.129鉄塔方向を望む
写真22
写真22
写真22 GPSのNo.12地点
 全移動量74.9cm/19年
写真23
写真23
写真23 GPSのNo.17地点
 2年前に新設されたが、
 移動量39.2cm/2年と大きい
写真24 写真24 遊水地・湧水池が
 数ヶ所存在する
写真25 写真25 遊水地から大きな
 湧水池に向かう沢地
写真26
写真26 中腹にあるかなり大きな湧水池

6.むすび

令和7年(2025)11月の現地調査では、「令和7年度復旧治山事業(調査委託) 利根郡片品村大字戸倉(ニゴリ沢)」を実施中の日本工営株式会社の岡崎丈様や高橋響介様も参加して頂きました。防災科学技術研究所の佐藤昌人様は今回撮影されたUAV画像と令和元年以降に撮影された9回のUAV画像の解析をされていると思います。岡崎様や高橋様は今回の現地調査結果(令和8年(2026)春の地すべり変動量調査を含む)も踏まえて、令和7年度の報告書の解析が行われます。

巨大地すべり地形であるニゴリ沢地すべりの発生機構の解明と変動状況の把握は極めて重要だと思います。これらの調査成果が学会などで公表されることを期待します。

本コラムを作成するにあたり、許可して頂いた群馬県利根沼田環境森林事務所の関係各位に御礼申し上げます。

引用・参考文献

  • 福島県 生活環境部 自然保護課:福島尾瀬旅,尾瀬の一番古い道「尾瀬会津沼田街道」
     https://www.pref.fukushima.lg.jp/w4/oze/column/column009.html
  • 足立勝治・井上公夫・佐藤正人(2022.12):UAV画像によるニゴリ沢地すべり地線路下伐開地
     の微地形分析、応用地形学研究部会,配布資料,39コマ.
  • 足立勝治・中曽根茂樹・小野田敏・佐藤正人(2023):空中写真判読による応用地形学図作成の試み
     ―大規模地すべり地の活動状況調査の事例―,応用地質,64巻3号,p.1-12.
  • 井上公夫(2015):コラム10 日光・大谷川流域の地形特性と土砂移動特性,歴史的大規模土砂災害
     を歩く,丸源書店,p.58-65.
  • 井上公夫(2019):コラム64 群馬県北東部尾瀬沼東部の巨大地すべり地形を歩く,
     歴史的大規模土砂災害を歩く V,丸源書店,p.196-213.
  • 井上公夫(2022a):コラム76 川崎ローム斜面崩壊実験事故の背景  ―大石道夫先生と私―,
     いさぼうネット,歴史的大規模土砂災害を歩く,20p.
  • 井上公夫(2022b):コラム81 尾瀬沼南東部の巨大地すべり地形を歩く,いさぼうネット,
     歴史的大規模土砂災害を歩く,21p.
  • 大八木規夫(1974):尾瀬沼南東の大規模地すべり地形,講座V 空中写真で見る地すべり地形,
     地すべり技術,10号,口絵,p.47-49.
  • 大八木規夫・内山庄一郎・小倉理(2015):地すべり地形分布図 第60集「関東中央部」,
     地すべり地形分布図の作成方法と活用の手引き,防災科学技術研究所資料,394号,p.1-14.
  • 群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)
     にごり沢地区報告書
  • 群馬県林務部治山造林課・沼田林業事務所(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区
     地すべり調査)報告書
  • 群馬県林務部治山造林課・沼田林業事務所(1973):昭和47年度復旧治山事業戸倉(ニゴリ沢)
     地区地すべり調査報告書
  • 後藤充(1984):尾瀬−山小屋三代の記,岩波新書,190p.
  • 日本応用地質学会編(2000):山地の地形工学,古今書院,213p.
  • 日本地形学連合(2017):地形の辞典,朝倉書店,地形種の分類,「表 規模による地形種の分類
     とその例」,p.562-563.
  • 平野長靖(1972):尾瀬に死す,新潮社,274p.
  • 松浦和男(2022):尾瀬の語りべ,上毛新聞社出版編集部,177p.

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