
直轄代行事業及び直轄災害復旧事業の概要
(農林水産省北陸農政局 令和6年3月1日 報道発表資料)
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1-5. のと鉄道
能登半島地震で被災した のと鉄道 七尾線は、令和6年4月6日、全線で運行再開しました。
七尾線は、1月1日に発生した地震の影響で線路や駅設備等に大きな被害を受け、全線で運転見合わせになっていました。2月15日以降は七尾駅〜能登中島駅間で運転を再開、4月6日には能登中島駅〜穴水駅間も運転再開となりました。
能登鹿島駅は「能登さくら駅」とよばれ、ホーム沿いにソメイヨシノが植えられており、ちょうどいま、見ごろを迎えています。2021年5月21日放送のNHK『ドキュメント72時間』に取り上げられたこともあって、多くの観光客が訪れていました。
2. 令和6年能登半島地震3ヶ月報告会
2024年1月1日に発生した 令和6年能登半島地震 に対して、多くの学協会は、救援活動や緊急調査・研究を精力的に続けています。令和6年3月25日には、日本学術会議 防災減災学術連携委員会と一般社団法人防災学術連携体が共催にて、防災学術連携体『令和6年能登半島地震三ヶ月報告会が開催されました。報告会の模様は、Toutubeにてアーカイブスで配信されるとともに、報告会資料が公開されています。
司会:
米田雅子(防災学術連携体代表幹事、東京工業大学特任教授)、 永野正行(日本学術会議連携会員、東京理科大学教授)
0:00:48
開会
0:02:05
開会挨拶 三枝信子(日本学術会議副会長、国立環境研究所地球システム領域長)
0:04:57
趣旨説明 竹内 徹(日本学術会議会員、防災減災学術連携委員会委員長)
0:07:17
来賓挨拶 高橋謙司(内閣府 政策統括官(防災担当))
【セッション1 「令和6年能登半島地震について」】
0:14:18
日本地震学会「令和6年能登半島地震とその災害について」吾妻崇(産業技術総合研究所主任研究員)
0:29:28
0:41:30
0:54:40
1:07:53
1:21:36
質疑応答(10分)
【セッション2 「地形変化と土砂災害について」】
1:35:15
1:49:05
2:02:44
2:16:09
2:30:03
質疑応答(10分)
【セッション3 「被災状況と対策、復興について」】
2:42:45
日本地震工学会「地震工学的視点から見た能登半島地震の被害と教訓」
2:54:36
3:08:05
3:21:44
3:35:38
3:49:36
質疑応答(10分)
【セッション4 「避難・救援について」】
4:01:48
災害看護学会「能登半島地震における中長期看護活動」酒井明子(福井大学名誉教授)
4:15:40
日本公衆衛生学会「令和6年能登半島地震における公衆衛生活動」奥田博子(国立保健医療科学院上席主任研究官)
4:30:05
4:45:08
4:58:29
5:12:26
5:27:45
質疑応答(10分)
5:41:18
閉会挨拶 和田 章(防災学術連携体代表理事、東京工業大学名誉教授)
3. 現地報告:被災地の実情 ―被災した実家を訪れて−
弊社職員の一人が、震災3ヶ月を前に、奥能登地域の能登町で被災した実家を訪れました。能登町は、富山湾側に面した内浦と呼ばれる地域で、震度6強の揺れと、地震後には津波被害を受けました。その時の様子をインタビュー形式でお伝えします。
Q:地震時はどこに?
A:例年、年始は能登町の実家に帰省していたものの、今年はたまたま金沢の自宅にいたので、被災しませんでした。地震後、なかなか家族に連絡がつきませんでした。お正月で帰省していた大学生の姪っ子が、携帯電波の繋がる場所を探して、なんとか連絡をくれ、身内の全員が無事であることが分かりました。特に山手の親戚の安否がわかるまでには、数日かかりました。
Q:ご家族は皆さん無事でしたか?
A:無事でした。
Q:実家の家屋の状況は?
A:2階建てのごく一般的な木造家屋でしたが、自治体の応急危険度判定で全壊判定となりました。倒壊はしなかったため、家族は無事でした。屋根瓦も落下することもありませんでした。ただ、家屋の中はめちゃくちゃで、1Fも2Fも床が傾いていて、歩くと平衡感覚がおかしくなる状況です。家屋周りには多数の地割れも発生していました。地割れした箇所には雨水が溜まり、緩みが生じ、この箇所から家屋の傾きが更に進んでいるようでした。とても住める状態ではなく、地震後、家族は避難所に身を寄せていました。
Q:いつぐらいに建てられた家屋?
A:築三十数年、1990年頃です。
Q:1981年の建築基準法改正後ですね。1981年の「新耐震基準」以降は、震度6強程度の大地震で倒壊・崩壊しないことが求めれれていますので、何とか倒壊は逃れたといったところかと思います。一方、現行の耐震基準(2000年基準)で義務化されている地盤調査は当時、求められていませんでした。家屋の周辺に地割れが多数生じていることから、基礎の不同沈下が生じ、家屋が傾動したのかもしれませんね。
ところで、奥能登地方は能登瓦と呼ばれる黒い瓦屋根の家屋が見渡す限り続いてますよね。地震を考えると、屋根が重いのは不利だと思うのですが、なぜ、瓦屋根が圧倒的に多いのですかね?
A:奥能登では“瓦自慢”という言葉があります。『あの家の瓦は重くて黒光りして、立派!』・・・といった会話がなされるほどです。屋根を瓦にするのは常識(文化)です。
Q:津波はどうでした?
A:実家は海まで150m程の距離でしたが、少し高台にあるため、浸水はありませんでした。ただ、集落内では津波被害にあった家屋もありました。津波の被害は、津波浸水ハザードマップと概ね一致していたようです。
Q:周辺はどんな様子でしたか?
A:集落には三十数戸の家屋がありましたが、多くが地震動と津波により被災して、なんとか住める家屋は、数軒程度と聞いています。多くの方が、二次避難しているようです。海沿いは津波の痕跡もまだ残っている状況です。
Q:家屋周辺の地形は?
A:海岸沿いの平野部です。軟弱な地盤だったのかもしれません。同じ能登町内でも、平野部以外の岩盤が分布する地域では、築100年以上の家屋でも、被害はあまりなく、震災後も住めている家もあります。同じ震度(地震動)であっても、基礎の地盤によって、家屋被害に大きな差があることに驚いています。事前にハザードマップような形で揺れやすさ等がわかっていれば・・・とも思いました。
Q:実際に実家を見て、いかがでしたか?
A:現地に行ったのが3月の2週目です。被災から2週間後くらいから、金沢へ二次避難していた家族と一緒に、向かいました。金沢からの道路状況がある程度整備されて、また途中の道の駅やサービスエリアでトイレが整備されたのを待ってのタイミングでした。また、家族は、仕事の再開に併せて、能登町内へ戻る必要がありましたので、その引越しと実家の片付けに向かった次第です。
Q:仮設住宅には、まだ入居できないですよね?
A:そうです。能登町内の避難所への移動です。仕事があるため、避難所で暮らさざるをえない人がたくさんいます。自治体職員でも、避難所から通って、地域を支えているのが現状のようです。
Q:避難所生活での困りごとは聞いていますか?
A:トイレ・お風呂・洗濯ですね。“トイレ”はだいぶ改善されてきましたが、地震直後は想像どおり、なかなか壮絶だったようです。避難所で生活している方々で、トイレ掃除の当番を決めてうまく回るまで、苦労したと聞いています。二つ目は、“お風呂”です。自衛隊が開設したお風呂に、連日、列を作っていたとのことです。町や民間の入浴施設も順次再開されつつありますが、特に、仕事をしていると日中に利用することは難しく、夜、利用できるお風呂があることが助かっているようです。自衛隊等の支援が今後縮小されるのが心配と聞いています。三つ目は“洗濯”です。洗濯は、数は少ないですが公共の洗濯機が用意されていました。深夜0時まで営業しているコインランドリーを利用されている方も多くいらっしゃるようでした。
Q:家屋の片付け等は進んでいますか?
A:宿泊施設の問題から、町で受け入れ可能なボランティアが少なく、なかなか進んでいないのが実情のようです。実家の方は、たまたま個人的なつながりで、被災地での活動経験が豊富なボランティアの方々に、家財の運びだし等をお願いすることができました。ボランティア仲間の電気屋さんを手配してくれて、エアコンの取り外し等もしていただけ、非常に幸運でした。自分たちで炊き出しや宿泊も段取りするような、“プロボランティア”といってもよい方々でした。
Q:震災から3ヶ月が経過して、避難している方々は何を望まれていますか?
A:まだ避難所生活が続いているため、何より仮設住宅の完成を待ちわびています。
Q:これから能登の復興に向けて、地元に対しどんな思いがあります?
A:半島という地理的に不利な条件も重なり、ボランティアをまだ十分受け入れられることができていない状況です。片付けもまだまだ全然進んでおらず、景色が変わっていません。一方で、マスコミ等の報道も減ってきており、SNSで地震に関する情報を発信できる若者も少なく、この能登地震が忘れ去られてしまうのが心配です。能登特有の、“我慢する文化”も大切かもしれませんが、ぜひ声をあげていければと思います。
能登町 津波浸水被害の状況(弊社職員撮影)
能登町 「フィッシングブリッジ赤崎」津波浸水被害の状況(弊社職員撮影)
◆今月の1枚
能登町 「イカキング」

能登町小木の「イカの駅つくモール」に鎮座する、スルメイカ巨大モニュメント。2021年4月完成。「イカの駅つくモール」は、日本三大イカ釣り漁港に数えられる小木漁港のそば、九十九湾に面した地に2020年6月にオープン。イカ料理に、イカ墨ソフト、イカの特産品…などなど、その名に違わずとにかく “イカづくし”!で、そのどれもがとにかくおいしい。
令和6年1月1日の能登半島地震に伴う津波により、浸水するものの、目立った傷もなく無事だった。1月20日更新の公式Xでは、「津波が迎えに来ましたが、海には帰らず、いつもの場所にいます。奥能登が好きだから。これからも奥能登を元気にするぞ」と無事を報告した。震災後休業していた「イカの駅つくモール」は、4月8日より、営業を再開した。
被災前の姿はこちら 「イカキング」 (能登町観光ガイド)
<参考リンク>
●1.「令和6年能登半島地震から10日」 [2024.01.11公開]
●2.「令和6年能登半島地震から30日」 [2024.02.08公開]
●3.「令和6年能登半島地震から70日」 [2024.03.14公開]