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令和6年能登半島地震情報

◆今月の1枚 [2024年12月]

能登町 「恋路海岸」

恋路海岸「恋路ロマンチックパーク」内 崩落したまま残された岩
(震災後 2024年10月 編集部撮影)

恋路海岸「恋路ロマンチックパーク」駐車場入り口 
地震の影響で歩道が通行止めになった 
(震災後 2024年10月 編集部撮影)

恋路海岸「恋路ロマンチックパーク」内 「幸せの鐘」
(震災後 2024年10月 編集部撮影)

恋路海岸「悲恋伝説」 助三郎と鍋乃の像
(震災後 2024年10月 編集部撮影)

 恋路海岸は能登半島七尾北湾に位置する海岸。内浦と呼ばれる年間を通して比較的穏やかな海であり、夏には海水浴場が開設される。沖には真っ赤に塗られた鳥居の後方に弁天島があり、引き潮の時には歩いて渡ることが出来る。恋路という名前から恋人達の聖地として人気のスポットとなっており、2人で鳴らすと幸せが訪れると言われる幸せの鐘が設置されている。

 恋路と言うロマンティックな名前からは想像しがたいが、実はこの名前は約700年程前の悲恋伝説に由来するものである。かつてこの地に住んでいた助三郎と鍋乃という2人の若者の仲を妬んだ源次の凶行により、助三郎は海で命を落としてしまい、その悲しみから鍋乃は後を追って身を投げてしまった。それから長い歳月が経ち、この地に1人の旅の老僧がやってきた。誰も気が付かなかったが、この老僧こそがかつて悲劇の原因となった源次その人である。己の過ちを悔いた彼は仏門に入り、2人の霊を弔いながら諸国で修行の日々を送り、故郷に戻ってきたのである。
 源次はその後、観音堂で2人の冥福を祈り続けていましたが、男女の仲を取り持つこともあったので、いつしか観音堂は参詣すると結ばれる名所と言われるようになり、この地は「恋路」と呼ばれるようになったと言い伝えられている。
 浜辺の一隅には今も助三郎と鍋乃の像が立っており、毎年7月の海の日の前日には、伝説にちなんだ大小2基のキリコが海の中を練り廻る恋路火祭りが行われている。

 令和6年1月1日の能登半島地震によって岩場が崩落してしまった。崩落した岩は大小問わずそのまま残されており、地震の激しさを感じることができる。また、残念ながら今年の恋路火祭りは神事のみとなってしまったが、地元の有志による、早期復興を願いキャンドルを灯すイベントが開催された。

 地震の影響でこの地を訪れる人が減っていたが、編集部が撮影に訪れた際、海辺を散歩している方を見る事ができた。少しずつ人流が戻り、幸せの鐘が再び海岸に鳴り響く日はそう遠くないのかもしれない。

 参考WEBページ
  恋路海岸(能登町役場 ふるさと振興課)
  恋路海岸・弁天島(能登町観光ガイド)
  ほっと石川旅ねっと 恋路海岸(公益社団法人石川県観光連盟)
  ほっと石川旅ねっと 恋路火祭り(公益社団法人石川県観光連盟)
  恋路火祭り(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会)

公開日:2024年12月19日

2024年11月の1枚

珠洲市 「春日神社」

春日神社本殿
(震災後 2024年11月10日 編集部撮影)

春日神社参道
階段奥に本殿がある(震災後 2024年11月10日 編集部撮影)

飯田町燈籠山祭り
(震災前 2014年7月20日 編集部撮影)

 春日神社は、珠洲市役所そばの春日山麓に位置する古社。その歴史は古く、平安時代の康治年間に若山荘(能登国珠洲郡にあった能登最大の荘園)が設置された際、荘園の鎮守神として創建された。当初は「若山社」と称され、近郷七ケ村の総社として仰がれており、弘長元年に春日神社の神官である葛原伊勢守秀行が、大和の春日大社の分霊を拝受し、現在の地に合祀した際、「春日神社」と改称された。

 境内には、樹齢700を越える大樹が生い茂っている他、三十六歌仙に数えられる大伴家持が国守として能登の巡行を行った際に歌った万葉歌碑が残されており、歴史を感じる事ができる。また、春には見事な桜が咲き誇る名所として知られ、夏には能登でも有数の珠洲市で一番大きな祭り「飯田町燈籠山祭り」(神事としては「おすずみ祭り」と呼ばれる)、秋には秋季祭礼が斎行されるなど、地元の方々にも親しまれている。

 令和4年6月19日に発生した地震により、鳥居や灯籠が倒壊し、参道も液状化によって大きな被害を受けてしまった。氏子や出身者からの寄進、クラウドファンディングなどで支援を募り、何とか再建を進めていたものの、令和5年5月5日に発生した地震で、灯籠や参道に再び被害が生じてしまった(この時鳥居は再建前だったので無事だった)。

 度重なる困難に負けず、令和5年7月6日、この年の「飯田町燈籠山祭り」に間に合うよう鳥居が再建され、震災復興の第一歩として大いに喜ばれた。ところが、令和6年1月1日の能登半島地震によって、この復興の象徴となる筈だった鳥居が再度倒壊してしまった。

 発災当初はもう再建はできないと言われ、「飯田町燈籠山祭り」の実施も未定とされていたが、復興を祈願した「おすずみ祭り」と秋季祭礼が規模を縮小して斎行され、地元を盛り上げた。

 残念ながら復興の象徴としての形(鳥居)は再び失われてしまったが、春日神社の存在は変わらず地元の方々の心を支え続けている。

 参考WEBページ
  春日神社(珠洲市役所 観光交流課)
  大伴家持歌碑(珠洲市春日神社境内)(公益社団法人石川県観光連盟)
  春日神社(石川県神社庁)
  飯田町燈籠山祭り 公式(飯田町燈籠山祭り保存会)

公開日:2024年11月21日

2024年10月の1枚

輪島市 「輪島キリコ会館」

写真1:輪島キリコ会館外観(震災後 2024年10月 編集部撮影)

写真2:輪島キリコ会館内 夜の雰囲気を楽しめる(震災前 2016年7月 編集部撮影)

写真3:輪島キリコ会館内 展示されているキリコは迫力満点(震災前 2016年7月 編集部撮影)

 輪島市マリンタウンに位置する輪島キリコ会館は、日本海に面した施設であり、能登地方の伝統的な祭り「キリコ祭り」を紹介するためのものである。キリコとは、切子灯籠(きりことうろう)の略称であり、巨大な直方体の灯籠を掲げた山車の一種で、その美しい装飾や迫力ある姿は多くの人を魅了する。

 キリコ祭りの歴史は古く、豊穣祈願・疫病退散・航海安全など地域ごとに異なる内容を祈願するために始まり、毎年7〜10月に能登半島の各地で開催されている。2015年には「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」という名称で文化庁から日本遺産の認定を受けている。

 会館内には、実際に使用されるキリコが展示されており、祭囃子のBGMや光の演出が作り出す夜のキリコ祭りの雰囲気を存分に感じることができた。また、キリコ担ぎや太鼓叩きの体験、御陣乗太鼓の実演会などのイベントも開催されていたため、地元の方々と交流できる貴重な場でもあった。

 令和6年1月1日の能登半島地震により被害を受け、現在は休館となっているが、チャリティーイベントや目の前に飲食店が開かれるなど、今も多くの方が訪れている。

 いずれ来る再開の日を待ちながら輪島の復興を静かに見守っている。

 参考WEBページ
  輪島キリコ会館
  日本遺産巡り#12◆灯(あか)り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜 (日本遺産ポータルサイト)
  能登のキリコ祭り (日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会)

公開日:2024年10月17日

2024年9月の1枚

輪島市 「鹿磯」

写真1:鹿磯漁港北側の隆起し新たに形成された陸地(震災後 2024年5月撮影)

写真2:鹿磯集落高台より八ケ川河口を望む(震災後 2024年5月撮影)

 輪島市門前町鹿磯は、輪島市市街地より北西に約20km程、旧門前町に位置し、八ケ川(はっかがわ)河口付近の外浦海岸を望む地区。

 令和6年1月1日の能登半島地震により、鹿磯付近の海岸は、高さ約4mの地盤隆起が確認されており、今回の地震による地殻隆起量が最大の地域とされる。

 写真1は、鹿磯漁港北側の地震に伴い隆起・離水した新たな段丘面。海岸線は約150m海側に移動した。新第三系の安山岩質の礫岩および砂岩泥岩互層の縞模様が絶景をなし、新たなビュースポットとなっている。写真2は鹿磯集落の高台より見た八ケ川(はっかがわ)の河口。最大270m程、海岸線が海側に移動し、三角州(砂浜)が拡大した。緑色の草が生えている部分が、震災前の陸地である。

石川県などが、能登半島地震により隆起した海岸などについて、震災遺構として「ジオパーク」申請登録に向けて調整を始めたことが、8月31日に報道各社が伝えている。

 参考WEBページ
  被災前後の地形比較(地理院地図リンク)
  2024年能登半島地震の緊急調査報告(海岸の隆起調査) (産総研 地質調査総合センター)

公開日:2024年9月05日

2024年8月の1枚

輪島市 「曽々木海岸・窓岩」

写真1:崩落した窓岩(震災後 2024年4月撮影)

写真2:窓岩ポケットパークより岩倉山北側斜面を望む(震災後 2024年4月撮影)

写真3:岩倉山中腹 千体地蔵展望台より望む窓岩(震災前 2010年4月撮影)

 輪島市町野町曽々木(そそぎ)海岸にある景勝地。板状の岩山に直径2m程の窓状の穴が開いた奇岩で、日本海に沈む夕日が岩穴に収まる瞬間の絶景を見ることができる。窓岩の背後に控える岩倉山の中腹まで30分程登れば、「千体地蔵」と呼ばれる流理と柱状節理が造形した流紋岩奇岩がある。その展望台からは窓岩を上空から眺めることもできる(写真3)。

 地質は新第三紀中期中新世の粟蔵層で、岩倉山が噴出源とされる流紋岩の一連の火山活動によって形成された地層が分布する。噴出源に近い岩倉山や窓岩付近では塊状の流紋岩や火山角礫岩が分布している。岩倉山の東方には、水底火砕流堆積物と考えられる流紋岩火砕岩および凝灰質砂岩が広く分布している。

 令和6年1月1日の能登半島地震により、窓岩は上部の岩塊が崩落し、岩穴は姿を消した。(写真1)。流紋岩が分布する岩倉山周辺斜面では、岩盤崩壊による崖くずれが数多く発生し、千体地蔵への遊歩道も立入禁止となっている。(写真2)。周辺の国道249号の海岸線沿いでは、水底火砕流堆積物の分布域において、大規模な地すべりが発生し、現在も数か所で通行止となっている。

 被災前の姿はこちら
  曽々木海岸・窓岩(輪島たび結び:輪島市観光協会)
  千体地蔵(輪島たび結び:輪島市観光協会)
  曽々木海岸 能登輪島(曽々木観光協会)

公開日:2024年8月01日

2024年7月の1枚

珠洲市 「見附島」

(2024年4月 編集部撮影)

 珠洲市宝立町鵜飼に位置する石川県指定の天然記念物及び名勝の無人島。島の形が軍艦に似ていることから「軍艦島」とも呼ばれる。飯田湾に面し、北西-南東方向に160m、北西-南西方向に45m、高さ28mの紡錘形の島。島の目前まで踏み石が並べられており、引き潮の時間帯には島の近くまで徒歩で近づくことができ、海上にそびえ立つ大迫力の奇岩に圧倒される。珠洲市随一の観光名所。

 地質は能登半島北東域に散在する新第三紀中新世後期の砂質泥岩〜泥質砂岩(飯塚層)よりなる。岩相は塊状を呈することが多いが、厚さ1〜数mの層をなしていることもある。

 令和6年1月1日の能登半島地震の地震動と津波により、岩盤の崩落が進み、崖下には岩塊が堆積する。特に写真奥の南東部、船で例えるなら船尾の部位が大きく崩壊した。また、島の目前まで整備されていた踏み石も損壊し、島に近づくことができなくなった。

 被災前の姿はこちら
  「見附島」(珠洲市観光サイト GO TO SUZU)
  「見附島 / 軍艦島」(ほっと石川旅ねっと)
  「見附島(史跡・名称・天然記念物)」(石川県教育委員会文化財課)

公開日:2024年7月11日

2024年6月の1枚

輪島市 「トトロ岩」

(2024年4月 編集部撮影)

 能登半島の北側は外浦海岸と呼ばれ、青い海と空が広がる絶景のドライブ&ツーリングロードとなっている。剱地権現岩(つるぎじごんげんいわ)は、輪島市門前町大泊地区、国道249号沿いの海岸にそびえ立つ。通称トトロ岩。
岩に荒縄で作った目玉を飾り付けて以来、そのほっこりした容姿から、多くの観光客の立ち寄りスポットとなっている。
地質は新第三紀の安山岩類。

 令和6年1月1日の能登半島地震に伴い、左耳が崩落した。また、震災前に足元に広がる波打ち際も、数十m後退した。能登の復旧・復興が進み、多くの観光客が訪れることを心待ちにしている。

 被災前の姿はこちら
  「剱地権現岩(トトロ岩)」 (輪島たび結び:輪島市観光協会)

公開日:2024年6月06日

2024年5月の1枚

輪島市 「白米千枚田」

 写真手前の田んぼで代掻きが進む
 (2024年4月26日 編集部撮影)

 輪島市白米町に位置し、日本海に面した高低差約50mの急斜面に1004枚の棚田が広がる。2011年、世界農業遺産に登録された「能登の里山里海」のシンボル的存在。能登を代表する観光スポットである。年会費を納めればマイ田んぼをもつことができ、作業イベントに参加できる「オーナー制度」を導入し、県内外から多くの会員が参加している。

 奥能登地域の外浦側は、「地すべり」の多発地帯であり、白米千枚田もその典型である。棚田内には集水井等の地すべり対策工が設置されている。

 令和6年1月1日の能登半島地震に伴い、棚田に多数のひび割れが入り、農業用水も土砂や倒木で破壊されるといった被害が生じ、コメ作りをできない状況となった。また、通過する国道249号で大規模崩壊が生じ、輪島市南志見地区(写真奥)との往来が分断された。

 地元南志見地区の有志で結成される「白米千枚田愛耕会」では、棚田修復のためのクラウドファンディングを実施。石川県、輪島市とも連携し、復旧に着手した。令和6年5月11日、被害が小さいか、修復が完了した約120枚での田植えが始まった。

 被災前の姿はこちら
  「能登輪島 白米千枚田」 (石川県輪島市公式)
  「輪島白米千枚田」(輪島たび結び:輪島市観光協会)

 日本の地形千景プラス
  石川県:「白米千枚田」の地すべり地形(GIPH)

公開日:2024年5月16日

過去情報

「能登町 イカキング」

輪島市 鴨ヶ浦塩水プール(登録有形文化財)

1.「令和6年能登半島地震から10日」 [2024.01.11公開]

2.「令和6年能登半島地震から30日」 [2024.02.08公開]

3.「令和6年能登半島地震から70日」 [2024.03.14公開]

4.「令和6年能登半島地震から100日」 [2024.04.11公開]

5.「令和6年能登半島地震から半年」 [2024.07.04公開]

6.「令和6年能登半島地震から300日」 [2024.10.24公開]

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